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地獄ハイキング 鉄輪街歩きコース

別府八湯アンバサダー「地獄ハイキング鉄輪コース」ガイドブック

基本コース

基本行程:120分

(1) 大谷公園集合 
(2) 地獄蒸し工房 
(3) 温泉山永福寺
(4) 蒸し湯 
(5) 冨士家 
(6) 熱の湯 
(7) 鉄輪断層 
(8) 地獄蒸し体験「縁間」
(9) 湯雨竹(高温の温泉を加水せずに適温にする装置)
(10) 大谷公園解散

1)大谷公園

大谷探検隊石碑

大谷公園は、日本最大の仏教宗派である浄土真宗本願寺派第22世法主の大谷光瑞を記念して建設された公園です。大谷光瑞は、仏教伝播の道を明らかにすることを目的として中央アジアへの探検隊を組織しました(大谷探検隊)。 この探検隊の遠征は 1902 年から 1910 年のわずか8年の間に 3 回も行われています。晩年、大谷光瑞は重病に倒れ国立別府病院で治療を受けるため別府で余生を送りました。 この記念公園は、彼が 1948 年に 71 歳で亡くなるまでの間住んでいた場所に建てられています。

2)地獄蒸し工房鉄輪

地獄蒸し工房

大谷公園裏手の坂を下ると「地獄蒸し工房鉄輪」があります。地熱エネルギーの温泉噴気を利用した、鉄輪では江戸期以前から用いられていた伝統の調理法「地獄蒸し料理」を体験できる施設です。
別府市の鉄輪温泉エリアは、古くから温泉地として栄えてきた地域です。以前は湯治宿で湯治客が調理をするために地獄蒸しを使用するくらいで、一般の観光客が地獄蒸しを体験できる施設は多くありませんでした。

地獄蒸しについて
ここ鉄輪温泉は何百年も前から、温泉の蒸気を料理に利用してきました。この調理法を地獄蒸しと呼んでいます。

湯けむりの噴気を利用した生活の知恵で、100度近い地獄の噴気を利用して食材を蒸すというシンプルな調理法です。昔は農家の方々が農閑期になると作物を持って湯治宿に滞在していました。野菜や肉類、魚介類など様々な食材を蒸すことができます。また、器等を応用すれば煮込み料理や炊飯も可能です。

古くからは噴気を利用してゆで卵を調理するということは各地で行われてきましたが、噴気を利用して食事も調理するということは、やはり豊富な湯量と泉源を誇る別府でならではと言えます。

地獄釜とは、温泉の噴気を利用した蒸し釜です。釜にかぶせられた木の蓋を開けると、ざるや鍋を置けるくぼみがあります。

天然の温泉の蒸気(特に鉄輪温泉の殆どが塩化物泉で適度に塩味が付いています)をまとった食材は、素材本来の旨味が引き立つ奥深い味わいです。

鉄輪は何百年もの間「湯治」の街として知られていました。湯治とは、療養を目的として、温泉に一定期間滞在することを言います。地獄窯を使った間借りの旅館では、湯治客が食べ物を持ち込んで自炊を行っていました。

鶴見七湯廼記 今井地獄

<歴史>
地獄蒸しによる調理法の歴史は古く、江戸時代末期に制作された『鶴見七湯廼記』にも描かれています。これは今井地獄について記載した箇所で、「同(今井地獄のこと)蒸物」と題しています。
・蒸気が出ている穴に芋を入れて蓋をかぶせようとしている女性
・蒸し上がりをキセルをくわえて待つ男性
・蒸した ばかりの芋を桶に入れ頭に載せて運ぶ親子
・地獄の上に鉄瓶を直接置いて湯を沸かしている様子
などが、いきいきと描かれています。現在の地獄蒸しかまどのようにきちんとした設備ではなく、自然の地獄をそのまま利用しており、地獄蒸しの古い形を知ることができます。

http://www.beppumuseum.jp/miu/002.html
(所蔵:大分県立歴史博物館)

3)温泉山永福寺(鉄輪の地獄を鎮めた一遍上人が開祖)

永福寺

「永福寺」は一遍上人ゆかりのお寺です。山号を「温泉山」といい、所在地は「風呂本」です。この近くに「温泉神社」もありますが、明治の神仏分離令で今の場所に移されるまでは永福寺の境内社でした。これらのことから、ここが鉄輪温泉の中心であることが伺えます。
一遍上人は鎌倉時代中期に伊予の国道後温泉近くで生まれ、踊り念仏で衆生(民衆)を救う「時宗」の開祖となりました。一遍上人は(遊行の)旅の途中に「別府海浜砂湯」のある「上人が浜」から上陸し、鉄輪へやってきました。通りかかった老人から、ここには鉄輪地獄があり、地獄から噴き上げる蒸気が霧となり、住民が難儀をしていると聞きました。
上人は経文を一字一石に書き、それを地獄に投げ込み、大地獄のほとんどを鎮めました。そして、最後まで鎮まらなかった噴気の四方を石で囲み、蒸し風呂を造りました。これが「鉄輪蒸し湯」の始まりで、「風呂本」の地名もここに由来します。
そして一遍に帰依した大友三代頼泰により永福寺が建立されましたが、九州では唯一の時宗の寺です。寺宝(寺の宝)として国の重要文化財の「遊行上人絵伝巻第七(ゆぎょうしょうにんえでんまきだいなな)」が伝わっており、毎年9月に上人像を「渋の湯」や「蒸し湯」で沐浴させる「湯あみ祭り」の際に公開されます。

ちなみに時宗の本山は神奈川県藤沢市の「清浄光寺」で、別名を「遊行寺」といい、正月の箱根駅伝では難所の「遊行寺の坂」で知られています。
境内にある「市有渋の湯上泉源」は天然の保湿成分といわれるメタケイ酸を689.6mg/Lも含有し、日本でも有数の濃度です。

4)むし湯(風呂の原型)
こちらの施設は、「鉄輪むし湯」です。この建物の出っ張った部分が「むし湯」で、男女それぞれ8畳くらいの石室になっています。入口は、1メートル四方の木戸で、そこをくぐって中に入り、石菖(セキショウ)という薬草が敷き詰められた床に横になります。中は薄暗く、天井も低いので、初めての方はちょっとびっくりするかもしれません。温泉の蒸気が充満しているので、横になるとすぐに体中から汗が出てきます。係の方がタイマーを渡してくれ、8~10分たったら出ます。

神経痛、筋肉痛、関節痛、疲労回復等々に良いと言われています。それに加え、床に敷かれた石菖が高温で蒸されることにより、鎮痛効果のあるテルペンを成分とする芳香が放出され、それが皮膚や呼吸器から体内に吸収されるので、さらに良い効果が得られます。

石菖は、清流沿いにしか群生しないそうです。別府市の温泉課の職員が、県内の様々な場所から刈り取ってきたものを、乾燥させたものを保存して使っています。
「蒸し湯」の敷地内には市が管理する足蒸し湯があり、こちらは無料で楽しめます。

5)冨士屋旅館(築100年超の元旅館)

冨士屋ギャラリー

明治32年に建てられた木造2階建桟瓦葺(さんがわらぶき)のカギ型の建物で、別府に唯一残る明治時代の旅館建築です。開業当時は新聞社の大分県内旅館の人気投票で大分県一になりました。
当時の鉄輪は貸間(かしま)旅館がほとんどで、湯治客は相部屋で過ごしていましたが、この富士屋旅館は、初めて一泊二食、個室部屋を導入した旅館です。筑紫の炭坑王と呼ばれた伊藤伝右衛門や現麻生太郎副総裁の曽祖父の麻生太吉も常宿としていました。

ここには、大分県の特別保護樹木に指定されている樹齢200年のウスギモクセイがあり、秋にはその名のとおり薄い黄色の香り高い花を咲かせます。

平成8年に旅館営業を終えましたが、平成13年に国の登録有形文化財に指定され、平成14年から平成16年まで再生工事が行われ、平成16年4月に冨士屋ギャラリー一也百(はなやもも)として再スタートしました。コンサートホール、ギャラリースペース、カフェ、ギャラリーショップなどがあり、カフェを利用すれば建物の見学ができます。現在は、カフェだけでなく鉄輪温泉の歴史と風情を感じる明治の建物として、コンサートや展覧会などのイベント会場としても利用されています。

6)熱の湯(ジモ泉:地域の共同浴場)

熱の湯

熱の湯は、無料で入浴できる鉄輪温泉で唯一の市営温泉です。別府の共同浴場でよく見られる公民館を併設しています。無料駐車場も完備され、地元だけでなく、観光客にも利用されています。名前の「熱の湯」から熱い湯を想像されると思いますが、実は体の熱を取る効果があることから名づけられたと伝えられています。
以前は、飲泉場(建物の左側に跡地が現存)や調理場、洗濯場(建物の右側に現存。下熱の湯とも呼ばれていましたもありました。
泉質はナトリウム-塩化物泉で、体がポカポカと温まり、湯ざめしにくいのが特徴です。

また、「別府八湯温泉道」スタンプラリーの対象施設にもなっています。スタンプはお隣の入舟荘にあります。

7)鉄輪断層(ブラタモリで紹介)

鉄輪断層

この熱の湯の側の、石垣になっている場所は、自然にできた崖、断層崖です。断層とは、地中のある面を境に地盤の相対的なずれのことです。断層には4つのタイプ(正断層・逆断層・右横ずれ断層・左横ずれ断層)があります。

断層について

この断層は、以前ブラタモリでも紹介された「鉄輪断層」といいます。今から約3万年前(氷河期の終わり頃でマンモスが栄えていた時期に当たります。)に活発になった火山活動により生じた、大きな断層の一つです。明礬温泉の奥にある火山の伽藍岳方向から鉄輪地域を通り海岸に至っています。

この断層崖は別府の温泉にとって、温泉が沸くために欠かせないものです。なぜか分かりますか。実は、温泉が湧くには三つの要素が必要です。それは、水・熱源・水路です。水は雨水、熱源は地下深くにあるマグマ、そして水路になるのが断層です。

8)地熱観光ラボ縁間

縁間 足湯

地熱観光ラボ縁間では地獄窯を使って料理体験ができます。また、縁間では竹細工体験もできます。

9)湯雨竹(高温の温泉を加水せずに適温にする装置)

夢雨竹

この温泉水が流れている装置は、「湯雨竹(ゆめたけ)」といいます。源泉からひのきの樋にポンプで上げられた熱湯を、竹の枝を伝えさせて下に落とすことによって、瞬時に50℃以下に冷ますという、竹製温泉冷却装置です。
この革新的な湯雨竹はひょうたん温泉の所有で、ここからひょうたん温泉に温泉水が引かれています。平成17年(2005年)に完成しました。
ひょうたん温泉には二つの源泉があり、その泉温は100℃近くあり、浴槽に使用するにはそれよりもさらに低い温度が必要です。お湯を長時間放置したり、入浴に適した温度まで冷やすために冷水を足したりすると、温泉効果が失われてしまいます。この湯雨竹を利用することで、瞬時に冷却をし、温泉の効能が失われることを防いでいます。
湯雨竹は、ひょうたん温泉と大分県産業科学技術センターが共同で開発した温泉冷却装置で、実用新案登録をしています。

*本事業はR5「別府市市民活動支援補助金」の助成を受けています.


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