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人情溢れるこの町で、情熱を燃やす。 生きがいがここにある。

下町の職人。口下手で、黙々と仕事をする。

でもそんな人が年に一度、目の色を変えて情熱をかける行事があります。
それが、5月の大祭の日。

お祭りは「命」「宿命」。そう語った恩田さんの地域愛にフォーカスします。

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<Profile>
恩田勝哉(おんだ・かつや)さん
入谷に生まれ育つ。本職は指物職人。
小野照崎神社の拾五ヶ町睦会の会長。多くの神社行事に携わり、大祭では本社神輿を先導する「御幣(おんべ)」の役割を務めた。

慣れ親しんだこの神社で

ーーこの神社での思い出を教えてください。

小さい頃は、このお富士さんに登るのが楽しみでした。年に一度の山開きの日に、登るための「登山券」をもらって。昔は氏子の子どもしか登れなかったので、それが誇らしくて、嬉しかった思い出があります。

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お山(下谷坂富士塚)。年に一度の山開きで登ることができる。

あと、境内に夜店がで出た時はワクワクしましたね。色々な見せ物小屋があって、見て回った記憶があります。「大イタチだよ!」って言われて見たら、でっかい板に血が付いてるだけで。「オオ板(イタ)血(チ)」だって。騙されたってはしゃいで、楽しかったですね。

私が子どもの頃は毎年決まった日にちで大祭をやっていましたので、その日が楽しみでしょうがなかったです。特別に学校をお休みできたんですよ。すぐ隣が違う神社の区域でしたから、他の神社がお祭りの日は授業中もそわそわしてね。お囃子が聞こえてきますんで、もう授業どころじゃなかったですね。

お祭りのたび、この町を好きになる。

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ーーお祭りが近づくとどんな気持ちになりますか。

この辺でお祭りって言ったらもう命みたいなもんでね。「血が騒ぐ」と言いますか。私は仕事で指物をやってるんですけど、弟子に言わせると、その頃は訪ねてくるお祭り関係の町会の人の目つきが変わっているそうです。目がギンギラ光って、いつも寝てるような顔がきちっと引き締まって見える。そのくらいみんなお祭りっていうとちょっと高揚してくるんです。

ーーお祭りの間はどんなことを考えていますか。

今はもうお祭りの先頭に立って自分が騒いだりはできないですが、その代わり、参加した人が楽しめるように気を配っています。
そして、またお子さんが思い出に残るようなお祭りにできればという気持ちでいます。「お祭りって楽しかったな」という思い出が残るようにしたいですね。ずっとこの地域の人がお祭りを好きになっていただけるように、努力しています。

みんなの楽しそうな表情を見ていると、もうすごくいいですよね。子どもさんにも声をかけたりお菓子をあげたりして。相手の目が輝いて、すごく喜んでいるのが分かるとこっちも嬉しくなります。それが自分の楽しみにもなっていますね。

みんなが楽しんでいただくのが一番いいことですんで。自分だけじゃなくてね。町じゅうが輪になって生きていくのが面白いと思いますよ。子どもの時から、ずっとそう感じています。

下町にいたら下町の味や良さがあります。今、お神輿を担ぎにだけ来る人も多いですけれど、それだけじゃない楽しさっちゅうのが。また全然違いますからね。

ーーみんなで「輪」になっているのはどんな時に感じますか?

例えば、本社神輿という特別大きなお神輿が出る年は、気持ちが全然違います。みんなで気持ちを一つにしないと担ぐことができません。
でも難しい分、きれいに担げた時は喜びもひとしおです。お祭りでますますみんなのことが好きになるね。

ーー大祭が終わったあとはどんな気持ちになりますか?

終わった後はもう「お祭り騒ぎのあと」ってね。寂しくてたまらないですね。お祭りの最後にみんなでまあるくなって「鉢洗い」という直会をするんですが、それが終わるともう片付けですから。すっかり片付けてしまうと寂しさがこみ上げますね。

優しい人たちが作る熱いお祭りを次の世代に

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ーーご家族からは神社の行事に取り組むことをどう言われますか。

家族はね、女房なんかは結婚した時から諦めてますから。お祭りの時期は準備の時期からずっと家にいなくなってしまうので。もうそわそわしてしまって仕事にならないですから。「また今年もね」と。
子どもは血を引いているからか、楽しんでやっていますね。

私は「氏子青年会」の第一期生なんです。そこから神社との繋がりができて、だんだんとその中で友達や大切な仲間ができました。そのあと睦会にも入会して、人の繋がりが広がっていきましたね。

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氏子青年会の看板。恩田さんが持ってきた木で作った。

若い世代の方とのかかわりも生まれています。第一期の頃からメンバーこそ変わっていますが、みんなの神社や地域に対する思いは当初と変わりません。時代が変わって物の考え方も多少は変わるんでしょうけど、後輩たちはみんな一生懸命、地域を盛り立ててくれていると思います。

ーー今後、神社や地域がどうあってほしいですか。

ここは私のウォーキングコースの一部で、ほぼ毎日来ています。立ち寄ってお参りをしたり自然を眺めたり、生活の一部になっていますね。

この神社はこの町の生き神様としてとても親しみやすくて地域との距離が近いと思います。そんな神社が私にとっては大切で、これからも変わらない存在でいてほしいと思います。

この町のいいところは、人ですね。とにかくみんな優しい。普段は落ち着いていて「下町らしくない下町」って感じるところもあります。でも、喋ってみると意外と優しい。

そういった人たちが一年に一度、お祭りの時には我を忘れてわっと盛り上がる。それが魅力です。それがこの町に生きる人の宿命というか、血が騒ぐ感じがするんでしょうね。自分でもわからないんですが。

ーーそれはご家族やご友人に言われて気づくのでしょうか。

そうですね。「恩田さんはお祭り大好きだからしょうがないよね」って言われます。でも嫌じゃないですよ。口では「別に好きじゃねぇよ」言う時もありますけどね。やっぱり好きですから。

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この町もだんだんとマンションが増えて人との繋がりが少なくなってきましたけれど、色んな行事をきっかけに楽しい経験を増やせればいいなと思います。
お祭りや地域のことはどんどん若い人に教えてあげたい。そして、もっともっと住みやすい町になってほしいですね。

ーーいい町ですね。

うん。もっとうまくしゃべりたかったんだけど、あんまりうまく喋れなくて。職人なもんで。口下手なもんですみません。

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地域の方の思い、いかがでしたでしょうか。
この記事は、「明日を始める夏に。」小野照崎神社 令和2年 大祭特別企画 でのインタビュー記事です。

みんなでお神輿を担ぐことができない夏。
この機会に、会えないからこそ、お祭りを通じた繋がりや地域の和を今一度感じることができたらと、「お祭りのスペシャルコンテンツ」を制作しました。

こちらの特設サイトから、ドキュメンタリー映像やその他の特集記事もご覧いただけます!

小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)

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東京の下町 入谷にある学問・芸能・仕事の神様をお祀りする神社です。
御祭神は、平安時代有数のマルチアーティストである 小野篁(たかむら)公。文鳥を愛する絵画の神様で、百人一首にも登場したり朝は朝廷に夜は冥界に出勤される多動な神様です。852年⛩創建 、境内には重要文化財の富士塚も🗻

東京メトロ日比谷線 入谷駅 4番出口 より徒歩3分
JR山手線 鶯谷駅 南口 より徒歩7分

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「明日を始める夏に。」小野照崎神社 令和2年 大祭特別企画
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