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母親が亡くなりました

2023年5月に僕の母親、小野瀬茂子が亡くなりました。昭和5年生まれの93歳でした。昨年自宅で倒れて入院。そのまま退院することなく旅立ちました。半年の入院中は意識も殆ど戻らず、栄養補給は点滴だけでしたが、心臓だけは強くしっかりと動き続けていました。そしてコロナによる面会制限がようやく解けようと云う時に突然亡くなったのでした。身内だけでしたがちゃんとお見送りも出来て、偶然ではあるとは思いますが、色々な制限が解除されるまでがんばってくれたのだなと思いました。なかなかこんな風に書く気にならずにいて、もう年末に差し掛かったこの時期にわざわざこんなことを書くのもどうかとは思ったのですが、年を越してしまうのも如何かと思い、書くことにしてみました。この忙しい年末の最中にすみません。

母親のことをあーちゃんと呼んでいました。かあちゃんの頭のKAのKが取れてあーちゃんになったと思うのですが、そして自分が長男であるので、それを云い始めたのはきっと自分なのでしょうが、きっかけなどは判りません。幼稚園や小学校に行くと、他の子が母親のことをママとかお母さんとかかあちゃんとか汎用性のある呼称で呼んでいて、自分だけが独自の呼び方をしているのがとても恥ずかしく思えたことがありました。変えようにも、もう弟も、お父ちゃんでさえ、あーちゃんと呼んでいるので変更は叶わず。全くの余談だがPerfumeのメンバーにあーちゃん(イントネーションは違う)がいるのを知って、ああ人生二人目のあーちゃん(イントネーションは違う)だと思って安堵に似た気持ちになったのを覚えています。

あーちゃんは戦後、服飾の学校を卒業して新宿の伊勢丹で子供服のデザイナー(本人談)として働いていた。お父ちゃんと結婚したのを機に、伊勢丹を退職し、自宅を改造して服の縫製の部屋を増設して、そこでお父ちゃんと一緒に子供服を作って、伊勢丹に卸す事業を始めた。今考えるとなかなか突飛なことをしたものだと思う。今であればベンチャーとかイノベーションとか訳の判らん横文字が付いてきそうなことである。僕が小学校に入って暫くは事業も安定していたようだが、オイルショック(第1次・1973年)などで世の中が激変、色々あってその家業を畳むこととなった。負債を抱えての倒産である。

その負債を埋ようと色々画策したのが裏目に出続けて、散々なこととなったのだが、あーちゃんはそれをあまり気にすることもなく(真剣に悩んでいたとは思うが)飄々としてたように思えた。その飄々さに息子の僕が声を荒げることもあったが、どこ吹く風でどこかへ出掛けてゆくのであった。これ以上詳しく書くことは差し控えるが、なかなか波瀾万丈なあーちゃんの人生であったと思う。我々もそのその波瀾万丈の余波で随分と苦労したけれど。

あーちゃんはすぐに人を信用した。初めて会った人でも信じた。だからよく騙された。こっぴどく騙された。徹底的に騙された。騙されたのが判った時は悔しく思ったのだろうが、時間が経てばどこ吹く風であった。

わさび漬け

あーちゃんはわさび漬けが好きであった。しかし問題はその食べ方である。家族の食事が終わると、家族それぞれが使った醤油などが小皿に残っている。それを全部集めてわさび漬けにぶっかけて混ぜて食べていたのだ。醤油だけならまだ良い。ソースもケチャップも、かけられそうなものは全部回収してわさび漬けにぶっ込んでいた。その食べ方を見て僕ら子供が苦言を呈しても、これもどこ吹く風である。そんな食生活が祟ったのか、ある日あーちゃんが病院に行って血圧を測定してみると240/180mmHgなどと云う常軌を逸したハイスコアを叩き出したのだ。慌てた医者に「奥さん今すぐ入院してください」と云われたのだが、それもあーちゃんはどこ吹く風で帰ってきてしまった。高血圧の治療などはあまりしていなかったようだが、それでも93歳まで生きた。我が母親ながら、大したものだと思う。

長野県上田市の日昌亭のやきそば

あーちゃんのルーツが長野県にあると聞いたことがある。太平洋戦争中の疎開も長野だったかと思う。僕は先日、長野県上田市に行って焼きそばの取材をしてきたのだが、こちらではお酢に辛子を溶いたものをあんかけ焼きそばにたっぷりかけて食べる。あーちゃんもあんかけ焼きそばを食べる時に大量のお酢をどぼどぼとかけて食べていた。昔の人(特に女性)はよくそうして何にでもお酢をかける傾向があるけれど、あーちゃんは「なんでそんなにかけるの」と子供の頃の僕が諫めるくらいにかけていた。そして上田市であんかけ焼きそばを食べている時に、もしかしたらそのお酢どぼどぼのルーツはここではないかと思ったのだった。そして長野であんかけ焼きそばを定着させたのが、大正時代に横浜で修行をされた方だったと云うのを知って、何か深いご縁のようなものを感じたのだった。長野、あんかけ焼きそば、お酢どぼどぼ、辛子、横浜、あーちゃん。今となっては真偽の程は判りません。

領収書

僕が生まれた時の病院の領収書。出産費用合計18192円。産んでくれてありがとう。この病院のあったところ(東急東横線白楽駅からすぐ)は現在Brixton Marketと云うバーになっていて、先日そこでライブもやった。僕が生まれた場所で61年後にギターを弾いて歌を歌っているなんて摩訶不思議なことである。

Brixton Market

このまままだまだ書き続けられそうではあるが、今日はここまでにしておく。お父ちゃんもあーちゃんもこの世にはいなくなってしまったけれど、ふと自分の中に二人ともいるような気がして驚くことがある。その感覚を文字にするのはなかなか難しいけれど、そのうちゆっくり書いみるつもりです。お正月かな。もう幾つ寝るとお正月だ。まだまだがんばるよ。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫