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ひき肉甘辛炒め弁当

ウインナー弁当のことを書いていて思いだしたのだが、僕が高校生の頃に母親が作ってくれたお弁当はパターンが四つか五つしかなかったと思う。そのうちの一つを思い出したので何となく作ってみることにした。そのお弁当のことを何と呼んでいたのか考えたけれど、特に名前はなく「ひき肉の弁当」と呼んでいたと記憶している。僕の母親のことだから絶対に工夫などはせずに、最低限の要素を最低限の調理法で作ったはずだ。だからなるべく工夫はしないようにしようと思う。

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近所のスーパーで買った牛豚合挽肉。これでよかろう。

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合挽肉をフライパンで炒めて、甘辛く味付けをすれば良いと思う。味付けはきっと砂糖と醤油だけだと推測する。それ以外の要素の記憶もないし、何かちょっと工夫をすればもう少し美味しくなるはずだと云う発想を持ち得なかった母親だったからだ。余談になるが家族の食事が終わって、食器を下げて洗い物をする前に、僕の母親は小皿に残った醤油やソース、ケチャップやマヨネーズに至るまでの調味料の全員分を全部自分用のわさび漬けにぶっかけて、混ぜて、それをご飯に載せて食べていた。なぜそんなことをするのかと問うたところ「勿体ないから」と単純明快な答えが返ってきた。とにかく塩辛いものに絶大なる耐性を誇っていた母親なので、後年血圧が常軌を逸するほどの高さとなっており、ある時ちょっと風邪をひいた時に町医者に行き、たまたま血圧を測ってみたところ240/180mmHgと云う驚異的な数値を叩き出して担当医をして「奥さん今すぐに入院してください!」と慌てさせた実績を持つ。ちなみに現在91歳、耳は遠くなったがまだ元気である。

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ひき肉甘辛炒め弁当の完成。味付けは醤油と砂糖だけ。こんなにシンプルでも完全には程遠い出来映えとなった。完全でない部分は、まずご飯をぎゅうぎゅうに詰め込んでいないことが一点。そしてひき肉炒めもこの倍くらい押し込んでいないといけない。隙間恐怖症なのではないか、または押し寿司や箱寿司でも作っている気になっていたのではないか、そう思える程にみっちりと詰め込んであったのだ。そして炒めてひき肉から出た脂も全てご飯の上からかけられていた。弁当箱と蓋の隙間からその脂が沁み出てしまい、教科書やノートが脂まみれになると云う惨事にも幾度となく見舞われた。僕が作ったのはかなりお上品に気取ったものとなった。あと砂糖も上白糖がなくてグラニュー糖だったのもいけなかったか。レコーディング直後のあれをこうすれば良かったこれをああすれば良かったと堂々巡りの反省モードに近い気持ちになっている。

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実はこのところひき肉を色々と探究している最中でもあった。その成果、いやまだ途中経過なのだが、これもまた果てしなき方向へ行きそうなので何とか一件落着とするべく頭の中を整理中。行き先を明確にしないと亡者モードに入ってしまいがち。自分で自分を説得するのが意外に大変である。

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ウマウマウー。シンプルだからこそ色々なことが見えてくる。これはあれに通じてあれはこれに通じる。なるほど。なるほどなるほど。と自分だけ納得しても仕方がない。いつか「こう云うことでした」とシンプルに説明出来る日が来るのを夢見ている。でも「それは皆もう知っていますよ」と云われて、実は最後にゴールするランナーかも知れない。それでも良いけれどもね。ビリ上等。参加することに意義がある、なんてね。でも参加するの凄く大変じゃん。参加出来なきゃ意義もなにもないのか。収支の発表が来年4月ってどう云うことよ。そっちの話じゃないか。いつもの通りまとまらずに終えます。そう云えばもう9月も後半戦。クレイジーケンバンドのツアー、10月2日の福生市民会館より始まります。無事にあちこちに行って楽しく騒いで楽しく帰って参ります。その前にリハーサルか。がんばります。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫