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横浜大空襲から76年

ちょっと過ぎてしまったのだけれど、やはり書いておこうと思う。76年前の1945年5月29日に横浜大空襲があった。このことに関しては昨年に僕が書いた文章をまた読んで戴けたらと思う。よろしくお願いします。

お父ちゃんとおじいちゃんと横浜大空襲

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ふと思い出して、横浜の三ツ沢公園(神奈川区三ツ沢西町)にある横浜市戦没者慰霊碑を見に行ってみた。久しぶりに行ってみたら塔が覚えていたのよりもずっと大きく感じて、暫し圧倒された。僕は30年前まではこの近くに住んでいて、この近くをよくうろうろしていたのだけれど、この塔にはあまり関心を払っていなかった。昭和28年(1953年)に建立され、平成7年(1995年)に改修されている。塔の奥には安置堂があり、西南戦争(1877年に起きた日本国内最後の内戦)から第2次世界大戦までの戦没者2万余柱の御霊が安置されている。

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何度も文章に書いたことだが、僕が子供の頃はまだ太平洋戦争の残り香が身の回りに濃く残っていたし、戦争について語れる人もとても多かった。でも僕はかなりの年齢になるまで戦争について関心がなかったし、むしろリアルな戦争のことを自分から遠ざけていたと思う。それでも「戦争はいけないことだ」と繰り返し聞かされることだけでも、戦争反対のアティテュードは明確に自分の中に構築された。それは今でも変わりはない。

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何かのイベントに参加する時に「参戦します」とコメントする方がSNS上などで多々見受けられるけれど、いくらそれが戦いと無縁の気持ちではあっても、僕は全く良い気分はしない。太平洋戦争が終わって76年。戦うと云う言葉がある部分では形骸化している日本で、本気で世界を変えようとする機運など起きようもないのだけれど、それでも自由と平和をずっと唱え続けていたいと思う。この声がいつかきっと大きく響いて、願いが叶うと信じて。自由と平和を愛する人が一人でも多くなることを信じて。

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きっと、黙りこくってしまったらずっと黙っていなくてはならなくなる。だから何かずっと話したり書いたり歌ったり踊ったりしようと思う。共感とか同意を求めているのではなく、何かを考えるきっかけになってくれたらと思うだけだ。

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慰霊塔の近くに、秋でもないのに紅葉したような色をした紅葉があった。ノムラモミジと云う園芸品種で、紅葉したのではなく元々このような色の葉なのだそうだ。ノムラと云うのは野村ではなく濃紫の意だそうな。

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人は何かを見たり聞いたりした時に「これはこれだ」と考えもせずに反射的に決めつけてしまう。ノムラモミジの葉を一瞥して、季節外れの紅葉だと思い込む僕も同じ。世の中はきっとそんな決めつけや思い込みに満ちあふれているのだと思う。それが今、世の中の流れが停滞して、うまくカモフラージュされていた様々な物事の化けの皮が剥がれたり尻尾が出て来たりしているように思う。「これはこれじゃないかも」と多くの人が思うようになって来るかも知れない。この時代を、この時を、しっかり生きようと思う。もうあと一年ちょっとで60歳になってしまうけれど(ひぃー)まだまだ伸びてやる。まだまだ蔓延ってやる。覚悟しておけよ。誰に云ってる。とっ散らかったままの文章で失礼しました。戦争反対。


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