丸美屋の麻婆豆腐の素中辛使用の麻婆豆腐丼
丸美屋の麻婆豆腐の素が発売されて50周年とのことである。発売は1971年(昭和46年)。帰ってきたウルトラマンや仮面ライダーや天才バカボンやルパン三世初期シリーズの初放映でお馴染みの1971年である。映画だとゴジラ対ヘドラやガメラ対深海怪獣ジグラや八月の濡れた砂の1971年である。わたしの城下町や知床旅情やまた逢う日までや傷だらけの人生やよこはまたそがれがヒットした1971年である。ナオミの夢や男の世界(マンダム)やマイスイートロードやブラックマジックウーマンや移民の歌や喜びの世界もヒットした1971年である。そしてカップヌードルやサッポロ一番ソースやきそばやキャラメルコーンが発売された1971年である。マクドナルド1号店が銀座に開店した1971年である。詳しくはないけれど国内情勢も世界情勢も色々と動いていた1971年である。僕が8歳から9歳になった年。その年に丸美屋の麻婆豆腐の素も発売されたのである。
小野瀬家では丸美屋の麻婆豆腐の素を使った麻婆豆腐が頻繁に食卓に出ていた。必ず中辛であった。この中辛と云うのが実は発売当初からのオリジナルの味で、最初は辛さのバリエーションがなかったのをご存じだろうか。1978年に甘口が発売され、従来の味の製品は中辛と云うことになった。辛口は1979年発売であり、ここでようやく甘口中辛辛口の3種類が顔を揃えることとなったのだ。更に云えば箱入りとなったのも1978年以降(発売当初は袋入り)。小野瀬家での丸美屋導入は箱入り中辛表記のものと記憶しているのでこれもやはり1978年以降となる。様々な事情で引っ越しを頻繁にしていた小野瀬家だったので、記憶が飛び飛びの曖昧になっている部分もあるが、1980年以降横浜市保土ケ谷区に落ち着いてから本格的に頻繁にお世話になったと思う。小野瀬家息子3名育ち盛りの食べ盛りで毎食物凄い量の食品が消費霧消される中、簡単に作れる丸美屋の麻婆豆腐は大変に重宝したことであろう。大量の揚げもの、煮物、麻婆豆腐、鍋物。作っていたのはほぼ父親、小野瀬義郎、お父ちゃんなのだけれど。
世にはカレーでも麻婆豆腐でも塩鮭でも中辛が中途半端でよろしくないと云う意見が多数散見されるが、僕は中辛擁護派だ。各メーカーや加工業者が色々と努力して甘いのが好きな人も辛いのが好きな人も一緒に満足をしてもらえるようにと研究開発した中辛の成果をリスペクトすべきだと思っている。塩鮭はカテゴリーが違うかとは思うが、こちらにはインジェクターと云う魚塩蔵品製造の機械の開発が深く関わっているようで興味深い。改めて調べよう。そうしてどんどん脱線して行くのだがそれもよかろう。そして中辛と云う表記はカレーよりも麻婆豆腐の方が早いようだ。カレーに中辛表記がされたのが1983年のハウスバーモントカレーが最初であるとのこと。麻婆豆腐の1978年に遅れること5年である。中辛と云えば麻婆豆腐。それも丸美屋の麻婆豆腐の素。それを心に銘じたい。
小野瀬家の風習に則って3人前×2の6人前をいっぺんに作った。量を増やすために挽肉とタケノコを追加投入。ニンニクとショウガの微塵切りを最初に炒めると云うプロセスもお父ちゃんはやっていたけれど今回は割愛。特筆すべきはタケノコ。普通にどこでも売っている水煮のタケノコ。小野瀬家ではクオンティティを確保するために様々な料理にタケノコが入っていた。鍋物はモチロンのこと、炒め物全般、すき焼き、煮物、タケノコの出番は多かった。偏食の多かった僕とお父ちゃんもこのタケノコに関しては問題なく食べられて、小野瀬家では大変に重宝した。タケノコに心から感謝の意を表したい。今度ともどうぞよろしくお願いします。
小丼に盛って、丸美屋の麻婆豆腐の素中辛使用の麻婆豆腐丼の出来上がり。名称が長いので丸美屋の麻婆豆腐丼と略す。豆腐も挽肉もタケノコもたっぷりである。具を増量した分、味付けを足しているが、それはもういい加減に醤油を足しているくらいなのでその場のノリでよろしいかと思う。ちょっと雑に作っても出来上がりのクオリティが下がることはほぼない。最後に加えるとろみ粉(水で溶いて使う)が満遍なく行き渡らずにゼリー状のとろみが偏在してしまうとろみ問題も、改良が成されたように思う。安定の丸美屋なのである。安心して作られるが良い。
ウマウマウー。これだこれこれ。この味だ。昔から変わらない味を愛すると云う点で、僕にとってサッポロ一番も日清から揚げ粉も、そしてこの丸美屋の麻婆豆腐の素中辛も殿堂入り。これがあればご飯がいくらでも食べられるのだ。58歳になった今でもその感覚は忘れていない。ただ本当にいくらでも食べちゃうので(食欲旺盛)それだとどんどん大型化(代謝低下)してしまうことが懸念されるので小さい丼で満足出来るようになろう。若い頃はこの麻婆豆腐がふりかけ程度のものであって、更におかずが必要だったこともある。エアー麻婆豆腐。それでも僕の体重は60Kg前後だったのだから今は別人なのだと考えないとならないか。第2の人生。いやもう第3とか第4になっているかも知れない。この先第10や第100を受け入れなければならないこともあろう。まあそれはそれで何とかしよう。
簡単に作れて美味しくてスイスイと食べられる。これを文明と云わずして何と云うか。現在のこの難しい時代も美味しいものを食べて元気にがんばろうではないか。一寸先は闇だなんて気取って云ってみても、よくよく考えたらそれは平時でも緊急時でも同じ。しっかり考えてしっかり対策して前進あるのみ。美味しかった。御馳走様でした。
クレイジーケンバンドのレコーディング、最終盤に差し掛かっている。ラストスパート。ライブも何本か出来て演奏することの歓びを久しぶりにたっぷりと感じた。世の中の正常化にはまだまだ時間がかかるだろうけれど、そもそも正常化したって前のペースには戻れないのかも知れないけれど、しっかり音楽をやって行こうと思う。減量もやる。本当にやろう。明日からやる。それじゃダメか。ぼちぼちやります。