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父親が亡くなりました

2020年2月に僕の父親、小野瀬義郎が亡くなりました。昭和4年(1929年)10月生まれ、90歳でした。昨年からずっと誤嚥性の肺炎で入院しておりました。2月に入ってからはコロナ禍もあって面会も叶わず、最期に話したのは1月の中盤くらい。亡くなった日の午前中に急変の知らせを受け、病院に駆けつけた時にはもう息を引き取った後でした。お知らせは本当に内々にだけして、葬儀は数日後に身内だけで済ませました。とてもショックを受けている自分と、何だか呆気ないなとぼんやりする自分とが両方いて、こうして父親について何かお知らせしようとか書いてみようとかなかなかそう云う気持ちになれませんでしたが、ようやくしっかり思い出してみる気持ちになりました。

僕は父親からの影響をとても受けている。僕の父親は僕が生まれた頃は母親と一緒に洋服の縫製の仕事をしていましたが、母親と結婚するまでは横浜は本牧の米軍住宅に出入りして、通訳の傍ら物資の調達なども請け負う今で云うところの便利屋のようなことをしていたようです。僕が子供の頃に米軍住宅にまで一緒に連れて行ってくれたこともあった。ライフル銃を持った兵士(本当に怖ろしかった)のいるゲートをくぐり、テレビで観るアメリカ映画そのもののような緑色の芝生と瀟洒な住宅のある米軍施設内。広々として余裕があってまるで天国。フェンスとの内と外。子供ながらにその差に唖然と致しました。父親の知り合いの家に入ると天井には物凄い大きさのシャンデリアが光り輝いていてまたも唖然。父親は英語でアメリカ人と仲よさそうに話している。なんじゃこりゃ。夢か。あれ以上に圧倒された経験はその後あまりないと云っても良いくらい。僕のお父ちゃん(父親のことをずっとそう呼んでいました)はスゴイ人だ。後年事業に失敗して夜逃げ同然で引っ越しを繰り返したり、借金取りに罵声を浴びせられて頭をさげて謝っている姿を見ても、僕のお父ちゃんはスゴイ人だったことに変わりはありません。

僕が洋楽が大好きになったのも、お父ちゃんが車を運転している時に必ず米軍のラジオ放送FEN(現在はAFN)をかけていたからだし、持っていたレコードも洋画のサントラ盤やラテンミュージックだったし、そして僕が洋楽を聴き始めてからは歌詞の簡単な聞き取りや対訳をしてくれたりもした。中学1年のクリスマスに初めてギターを買ってくれた時に、お父ちゃんが「ちょっと貸してみろ」と云ってポロポロとつま弾いた時には「何だ弾けるのか、知らなかったぞ」とビックリした覚えもある。後に物置からバイオリンや三味線の壊れたのも出て来て、どうも弦楽器に興味を持つ習性も受け継いだようである。それまで何故か僕が楽器を欲しいと云ってもなかなか買ってくれなかったのだけれど、ようやくギターを買ってもらってからは、それまで努力など一切しなかった僕が一生懸命に練習をしているの見て、お父ちゃんが「やっぱりこうなると思った」と諦めたように呟いたのを忘れない。どうやらお父ちゃんは僕の中に自分と同じ何かを強く感じていたらしい。僕がその後音楽の道に進もうとしても反対もせず、好きなことをずっとやらせてもらえた。まあ反対されても僕は音楽をやっていただろうけれど。それからずっと歳月を経て、僕が参加したクレイジーケンバンドがちょっと有名になってテレビに出るようになったのを、お父ちゃんはとても喜んでくれた。コンサートに来てくれたこともあったけれど、あまり感想は云わなかった。お父ちゃんはアルゼンチンタンゴが好きだったので、まあそこは趣味の違いか。僕がした数少ない親孝行だったかと思う。

僕が煙草を吸っていたのもお父ちゃんが吸っていたから。僕が本を読むのが好きなのはお父ちゃんが本が好きだったから。インスタントコーヒーはゴールドブレンドとかじゃなくてエクセラが好きなのもそう。僕も最近はお父ちゃんがやっていたように砂糖を一匙入れる。文章を書くのが好きなのも実はお父ちゃんがNHKラジオで公募したシナリオコンテストに応募するくらいに文章を書くのが好きだったから。何から何までお父ちゃんの影響を受けている。

ここ数年はときどき電話をくれて「ツアーは大変か」と僕の健康を心遣っていてくれた。頭の方はツルッとしてしまったが、近年は髭を生やし始めてドラゴンボールの亀仙人のような風貌になっていた。僕がステージでかけていた白いフレームでレンズがミラーのサングラスをお父ちゃんがかけた写真を撮らなかったのが心残りではある。今年に入って嚥下障害があってずっと点滴だけで栄養を摂っていて、見舞いに行くと「腹減ったなぁ」と半分笑いながら云っているのを聞いたのがお父ちゃんの最期の台詞になってしまった。お父ちゃんごめん、息子はたんまり飯を食っている。そして偏食だったお父ちゃんの影響が薄れて雑食悪食の母ちゃん(90歳存命)の影響で好き嫌いもなくなってしまった。やれやれだよね。お父ちゃんのやりたかったこと、これからまだまだがんばって叶えます。お父ちゃんありがとう。天国で囲碁の大会に出て優勝していてください。それにしても僕は囲碁だけは全く判らない。センスなし。そこは受け継がなかったようだ。またお父ちゃんのこと、書くよ。

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