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ヘヴィーメタル

突然ではあるけれどヘヴィーメタルのことについて書こうと思う。普段自宅でPCに向かっている時、音楽をかけないことが殆どだけれど、いざ流すとなったらヘヴィーメタルかテクノをかけている。気分は高揚するし集中力も高まるし良いことずくめである。でも今からご紹介するアルバム5枚は自分にとって特別なアルバムばかりで、かけると耳を持って行かれて仕事にならないので、さあ聴くぞと云う心構えが必要なものばかりだ。あまり微に入り細に入りにならないように気をつけて書く。

Sorrow and Extinction / Pallbearer

アメリカのアーカンソー州リトルロック出身の4人組、Pallbearer(棺担ぎ者の意)の2012年発表のファーストアルバム『Sorrow and Extinction』。もう11年前なのか。ヘヴィーメタルの中でもドゥームと呼ばれる重苦しくテンポの遅い陰鬱な曲調のジャンル。ギターやベースのチューニングを4度くらい落として、もう弦のテンションもベロベロに緩くして、それを歪ませて轟々と鳴らしておられる。PVなどを見るとデビュー当時は7弦ギターや5弦ベースなどは使わずに普通の楽器を使っていて、その辺りに非常に好感が持てる。とにかく低い。音程が低い。これでもかと低い。もう音程なんて判別出来ないギリギリのところまで低い。そしてテンポがこれでもかと遅い。遅いから曲の長さも長くなる。全5曲のうち、10分超えが2曲、後の3曲も8分台と長い。そしてどれも真っ暗で鬱々とした曲調。地面の下に引きずり込まれると云うよりも宇宙の彼方に放り出されるような救いようのなさ。その曲調の中で歌声だけが普通にストレートに響いてこれまたストレンジ。このファースト以降、数年おきに新作を発表していて、どの作品も重く低いのだけれど、このファーストの、まとまりきっていない、だからこそ初期衝動も感じられる、ファーストアルバムだからこその至高の美しさは感じられなくなってきていいる気がする。ラブクラフトの小説に出てくるような人知を超えた忌まわしい狂気の宇宙の墓場に繋がっているのはメタリカ(曲名にラブクラフト作品のタイトルがよく使われている)よりもこちらの方だと思う。これからもずっと聴き続けるアルバム。

Lateralus / Tool

アメリカのバンド、Toolが2001年に発表したサードアルバムで、チャート初登場全米1位を獲得したアルバム『Lateralus』。メタルと云ってもビートはひねくれていて1曲目はいきなり5/4拍子をぶち込んでくる。3曲目も5/4拍子。4/4拍子は7曲目にようやく登場する。アルバムのそこかしこに、どこか中東の音楽っぽい響きもオリエンタルな音階もある。圧倒的な世界観開陳。ヘヴィーでありながらこれだけの空間バリエーションを持つバンドはそうそうない。こんなにスゴイのに日本ではあまり知られていない。この特殊で歪んだ音楽性が受けるのはやはりアメリカそのものが真っ暗で病んでいると云うことか。ヴォーカリストのMaynard James Keenanはステージでは前面におらずドラムの横辺りにいてスポットライトも当たらない(2013年幕張メッセのオズフェストに出演したのを観に行った、最高だった)。それ以前はドラムの後ろで誰も見えないところで歌っていたこともあったようだ。その後リリースのアルバムも素晴らしいがこのアルバムが頂点のように思える。これも一生ずっと聴くアルバム。

Vulgar Display of Power / Pantera

アメリカはテキサス州ダラスで結成されたPanteraが1992年に発表した(メジャーでの)セカンドアルバム『Vulgar Display of Power』。邦題は『俗悪』。この時点までのハードロック、ヘヴィーメタルの全てのエッセンスを凝縮して一気に放射したようなこれまた最高の一枚。ギタリストのDimebag Darrell(2004年にステージで演奏中に射殺された)の卓越したギターテクニックが存分に楽しめる。バンドとしての一体感もスゴイ。曲も名曲揃いである。僕は1994年に来日した際、グリーンホール相模大野でのコンサートを観に行った。何でまた相模大野なんて場所でやるのか不思議だったが、圧倒的に素晴らしい演奏で感銘を受けた。あの奇跡的に特殊な空間にいられたことを今でも思い出しては、自分に気合いが入るような感覚に浸ることがある。このアルバムもずっと聴く。これを聴いてがんばる。

Diary of a Madman / Ozzy Osbourne

1981年発表のOzzy Osbourneのソロ2作目『Diary of a Madman』。当時はレコードで聴いていた。1作目の『Blizzard of Ozz』収録の“Crazy Train”も衝撃的であったが、この2作目でギタリストRandy Rhodesのたがが外れたようなギタープレイに当時の僕(まだ20歳前)は熱狂して没頭してギターフレーズをコピーをしたけれど、結局のところ決して到達し得ない高みのサウンドであると理解してコピーは頓挫したのだった。Randyのギターの基本にブルースロックはしっかりあって、それにクラシカルなフレーズが入り交じっているところが特徴なのだけれど、それに硬質で荒っぽいギターの音色が絶妙にマッチして狂気の沙汰(褒め言葉)になっている。後の世に大勢現れる完璧なテクニックのギタープレイヤーに比べれば、リズムは撚れているし弾き切れていないフレーズも多いし、放りっぱなしの雑な音切れであったり、中途半端なアーミングダウンがあったり、やけのやんぱちで弾いちゃったようなパートもあるけれど、それらが全て美しいのだ。圧倒的な美なのである。バッキングからリードまで、エフェクトからヒスノイズまで全てが神域なのである。〇〇〇〇みたいな音なのに、良く聴くと物凄い下品な音なのに、何でこんなに愛おしく思えるのだろうか。このアルバムには奇跡が録音されているのだ。そして元Uriah HeepのLee Kerslakeのドラムがこれまた素晴らしいのである。彼の重くてドタバタしたドラムを僕は凄く好きなのだよ。これまたリズムは撚れるしテンポも揺れるし完璧では全くないのだけれど、それが良いのだよ。ああ語り尽くせない。いつかこの溢れる想いを全て聞いてやってください。

Paranoid / Black Sabbath

名盤中の名盤。1970年発表のBlack Sabbathセカンドアルバム『Paranoid』を最後に取り上げる。ヘヴィーメタルと云うことであれば、Led ZeppelinでもThe WhoでもDeep Purpleでもなく、やはりBlack Sabbathである。今から53年前にしてこの内容、この音像、この完成度。そしてこの暗黒世界。この音楽は人によって作られたものではあるけれど、その音像の隙間から垣間見えるのは、忘却は許されずに全てが重なるだけの無限。このアルバムを聴く度にそんなイメージが膨らんでしまうのである。その原因は“War Pigs”でも、“Iron Man”でもなく、全くギターの音色が歪んでいない“Planet Caravan"がいけないのだと思う。私達は果てのない空を旅している、なんて歌詞だもの。それでも救いがあるのは1番の歌詞にも2番の歌詞にもTrees、樹木が生えていることだ。虚空と対比して、大地に根を張る樹木の存在の安心感。いや安心してはいられない。樹木そのものが宇宙のメタファーであるかも知れない。桜の木の下、宇宙の暗闇、ああそれはクレイジーケンバンドの“観光”の歌詞ではないか。剣さんの書いた歌詞とブラックサバスが繋がってしまった。そこからハインラインにもラブクラフトにもダンセイニにも野坂昭如にも内田百閒にも大野一雄にも水木しげるにも繋がって人生の観光は続くのだ。何のこっちゃ。

小樽『龍鳳』のブラックサバス焼きそば

今回はなんだか訳の判らんことをぶつぶつ呟く支離滅裂で根暗な文章になってしまったが、これも僕です。どうぞよろしく。決して気持ちが落ち込んだりしているわけでなくて平常運転中です。たまにこうして暗黒な自分を楽しんでおります。ああすっきりした。クレイジーケンバンドのワールドツアー、月曜日からは北海道。バッチリがんばります。

末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫