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イカ

僕はイカを食べて育ってきた。人生のあちこちにイカがいたように思う。僕がまだ小さかった頃、父親がどこかから大量のイカの加工品を持ち帰ってきた。ソフトさきいか、さきいか、あたりめ、どれもお酒のつまみになりそうなイカばかり。どれだけ食べても一向に減る気配がないくらいに大量にあった。それらがようやく底をつくとまた大量にイカがやってきた。偏食が激しかった僕もさきいかやあたりめは喜んで食べた。まだ食卓に焼肉や生姜焼きなどが並ぶずっと前のことだったのでそれらはきっと貴重なタンパク質として僕や家族の身体を形作っていたに違いない。それくらいイカを食べていました。

横浜港の山下公園にまだ貨物の高架があった頃、その薄暗い高架の下に軽食やお土産を売っていた売店が幾つもあった。その存在を覚えいている横浜出身者も減ってきているかも知れない。冷えた牛乳や瓶入りのジュースがあって、軽食はおでんやラーメンや焼きそば、そしてイカの丸焼きがあったと記憶している。

僕が初めてイカの丸焼きを食べたのは多分その山下公園の売店だったと思う。木製の串にぶすりと突き刺されたイカの丸焼きはゴムを食べているかのように噛みきれなくて、醤油辛くて、イカの匂いが顔中にまとわりつくようで、これは何だか野蛮な食べ物だなと思っていた。今では山下公園は素っ気ないくらいに綺麗に整備されて、当時の薄暗さは微塵もなく払拭されてしまった。昭和は遠くなりにけり。

お酒が飲める年齢になってもまだイカのお世話になっていた。僕が成人した頃にはまだチェーンの居酒屋などはまだとても少なくて、個人経営の店しか選択肢がなかったように思う。僕が在籍した神奈川大学のある白楽六角橋周辺は学生も入れるちょっと大きめの居酒屋があったけれど、自分が住んでいた隣の妙蓮寺となると喫茶店がそのまま夜やっている体のスナックが数軒あったのみ。

酒のつまみはポテトチップスやポッキーやミックスナッツなどの乾き物が殆ど。その中で一際人気を誇っていたのが炙ったあたりめ。それを七味唐辛子醤油マヨネーズを付けて食べるのが当時としては非常に画期的で、お酒(ビールかウイスキーか日本酒、酎ハイなどはまだ一般的でなかった)を飲みながら「これこそが世界で一番美味しい食べ物だ」と割かれたあたりめを有り難く噛み締めていたのを思い出す。たかだか30数年前、1980年代前半、まだ日本はそんな感じだった。今では近所のスーパーでも世界中の食材が手に入るし、飲食店が星の数ほどあって、便利で贅沢な時代になったのです。普通に生きていても太るよね。最近の僕は当時を思い出すようにしてハイボールと一緒にあたりめを囓りながら飲んでいる。足るを知る、のようなものです。

自分が人生で一番と思うイカの記憶がある。1990年代も終わりに近くなってから、梅雨入り前に三浦半島に出かけて三崎港のお寿司屋さんで食べたアオリイカの握りが最高に素晴らしかったのを今でもよく覚えている。三崎と云えばマグロが有名だけれど、相模湾の美味しい魚もいっぱい獲れる。

アオリイカの身のとろりとした質感と、ふわっと広がる夏の日差しのような香り、香りの背後から無邪気な笑顔が覗いているような甘味、そして旨味。酢飯の加減もサイズも、そしてワサビと醤油のサポートも全てが直列にぴたりと並んで、奇跡的な2貫を楽しむことが出来た。きっと刺身では感じ得なかったアオリイカの秘密。僕はその秘密を知ってしまった。ウマウマウー。

そしてその後も何度となく追体験しようと思って三崎に足を運んだけれど、追体験はまだ叶っていない。もしかしたら一期一会だったのかと喪失感めいた気持ちに苛まれることもある。イカと比べるのはどうかと思うけれど、もう生きては逢えない人もたくさんいて、その人達にも同じような気持ちを感じる。命あるものに共通のほんの少しだけ感じる甘い香りを、時々鮮明に思い出してはまたすぐに見失って、いつもうろたえてしまう。

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