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お父ちゃんと煙草のこと

お父ちゃんのことを思い出していたら、気持ちがパチッと弾けたみたいになって眠れなくなった。だからもう少し何か書こうと思う。お父ちゃんは愛煙家だった。2020年2月に亡くなる数年前まで、本数は少なくはなっていたけれど煙草を吸っていた。軽いヤツではなくセブンスターだった。僕も煙草を吸っていた頃に愛用していたのはセブンスターだった。これも父親の影響が大。僕は色々なことで父親の影響を深く受けていた。

僕がまだ小さかった頃、お父ちゃんの机の上にいつも置いてあったのは缶入りのピース両切りだった。フィルターのないおっかないヤツ。僕もヘビースモーカー時代に何度か試したけれどこれだけは強すぎて受け付けなかった。そしてお父ちゃんの友達が家に遊びに来ると、みんながみんな煙草を吸っていて、部屋の中が紫煙で雲海のようになった。小さかった僕はその中を泳ぐようにして遊んだ。煙の輪っかを口から出せる人は僕にとって憧れの的だった。後に自分も出来るようになると妙に感動したものだった。

僕が喫煙し始めた年齢は公表出来しません。まあ同世代の友達よりもかなり早かったとだけ申し上げておく。気が付いた頃には立派なヘビースモーカーになっていて1日に2箱3箱は当たり前、1本消したらまたすぐ次のに火を付けると云う依存ぶり。21世紀に入っても勢いは衰えずに、クレイジーケンバンドのレコーディング中は1カートン10箱入りが2日と持たないくらいに吸っておりました。以降何度か禁煙を試みましたが頓挫。酒はやめられても煙草は無理だくらいに思っていたのが、10年前にすっぱりやめることに成功。その某日は友人数名と東京都内のクラブで夜が明けるまで途轍もなく飲んで騒いで煙草を吸って、思いっきりムッシュムラムラとして帰宅。そのままぶっ倒れて3日ほど寝込んで、ふと正気に戻ったら煙草がもう要らない自分になっていたのであります。その寝込んでいる間に夢を見て、その夢に煙草の神様が現れて曰く「お前の煙草は一生分もう終わりじゃ」。神様が云うのなら仕方がない。クレイジーケンバンドの中でも友人達の中でも最もヘビースモーカーだった僕が煙草をやめたと云うのだからちょっとした話題に。「きっとすぐまた吸い始めるよ」と云うのが大方の予想。ところが3ヶ月経っても半年経っても一向に喫煙が復活する兆しはナシ。これは一大事だと周囲の愛煙家が酒の席とかで「のっさん、一本どう?」と勧めてくるようになるが、暖簾に腕押しで効果ナシ。移動の時も喫煙車から禁煙車に鞍替えし、裏切り者の名を受けたデビルマンの気分。それから10年経過。ヘビースモーカーだった頃にあれだけ苛まれていた偏頭痛もどこかへいなくなりました。

僕が煙草をやめたことを一番驚いていたのはお父ちゃん。「よくやめられたな」と目を丸くして驚いていたのを思い出す。そのお父ちゃんは数年前に意識混濁で緊急入院した時に、医者からは「肺の中が殆ど肺気腫になっているので覚悟するように」との診断。ところがそこから意識も戻って体調も回復の兆しを見せるというダイハードお父ちゃん。それまでにも何度も生命の危機の縁から舞い戻っている強靱な肉体。医者も「この人がどうやってこの肺で呼吸が出来ているのかわけが判らない」と呆れる始末。もしかしたら喫煙の習慣がなかったら100年でも200年でも生きたのではないかと思う。そんなことはないか。

2月にお父ちゃんが亡くなってから、何度か夢にお父ちゃんが出て来た。場所は多分入院先の病院だろうけれど、明るい喫煙室みたいなところでお父ちゃんが美味しそうに煙草をふかしている。肺気腫なのに大丈夫なのかと思った僕の指にも煙草が挟まれている。あれ、いつの間に。吸おうかどうしようか迷っているとお父ちゃんがこちらを見てにっこり笑った。テーブルの上に置いてあるのはセブンスター。お父ちゃん、ごめん。昔お父ちゃんのセブンスターをいっぱい抜いていたの謝ります。お父ちゃんはきっと知っていて何も云わずに、夢の中でもただニヤニヤとこちらを見ているだけだった。あの世でも吸い過ぎに注意してください。

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