なるとヤキメシ
人間と云うものは、ああ、いきなり風呂敷を広げすぎている。もう少し狭めねば。自分と云う人間は、何でこうもハマりやすいのであろうか。興味のあることには物凄い勢いで突進して行ってしまい、周囲の状況など顧みず、そのターゲットを追い求めてしまう。僕は子供の頃からずっとそうで、植物や魚の名前も、怪獣も、音楽も、色々なものに深くハマってきた。大人になってからは天丼も、焼きそばも、ハマり込んで来た。今また新たにハマりそうになっているのがチャーハン、ヤキメシの類いである。新たなる炭水化物の権化にまたハマってしまうのか。ふと考えた。興味の対象を分析して、それを自分で再現出来るようになれたなら、食べ歩きなどに時間や精力を使うのを抑えられるのではないか。問うたのは自分はチャーハンに何を求めているのか。味はモチロンのこと、僕はチャーハンに入っているなるとのピンク色が好きなのである。なるとが入っていないとどんなに美味しいチャーハンでも何となく心に残らない。なるとのピンク色がご飯の間から顔を覗かせていたなら、それは僕にとって大いなるチャームポイントなのである。僕のチャーハン食べ歩きにはやはりなるとが入っているかいないかが重要な要素となる(現在既になっている)。ならば。ならばである。なるとがたっぷり入っているチャーハン、またはヤキメシを自分で作れたなら、過度な追求に歯止めをかけられるのではないか。それは良い思いつきである。早速実行してみることにする。
近所のマイバスケット(AEON系スーパー)で買ってきたなると巻。日本全国に流通しているなるとの大半(生産量の70%、消費量の9割、色々書かれていてよくわからん)が静岡県焼津市の製品であるとのこと。焼津と云えば焼津の半次であるが月影兵庫〜花山大吉役が近衛十四郎さんでおからはないのかおからはこのばかたれがと書いてもきっと誰も反応してくれないと思うのでもうやめますすみません。それで焼津の半次役が品川隆二さんなので品川と聞くと今でも焼津と条件反射的に思い浮かべてしまうのはやはり子供の頃の体験や記憶は人間形成に大きく影響を与える見本のようなものではないかと三つ子の魂百までとはよく云ったものですみませんやめます。
一人前になると巻の半分を使ってしまおうと云う魂胆。それでは多いのか少ないのかは判らないが、きっと目論見通りになるであろうと算段した。モクロミもサンダンも最近は使わない言葉だな。僕のような古い世代はこうして世の中から取り残されて行くのだと思う。わかっちゃいるけどでもやるんだよ。
なると巻の断面である。既にかなりシアワセな気分になりつつある。このピンク色が僕をシアワセにするのだ。かまぼこも、千歳飴も、すあまも、メイクミーハッピーである。
角切りの小さいのにしてみる。このくらい(5mm角)だとあられ切りと云うらしい。合っているだろうか。賽の目切り(1cm角)よりは小さいと思うのだが実際に計ってはいないので不安になってきた。不安は不安を呼んで更に不安が増え続け不安だらけになることになる。気をつけていたいと思う。
具がなるとだけだとさすがにどうかと思ったので、何か一つだけ具を足そうと考えた。やはりネギが良いであろう。これもマイバスケットで切ってあるのを売っていたので採用した。もうこれで完成したも同然である。
アッという間に出来上がった。チャーハンと呼ぶのはどうも憚られたので、ヤキメシとした。自作なるとヤキメシの完成である。お父ちゃんのヤキメシになるととネギを加えただけである。具が入るとヤキメシからチャーハンになるなんて思っていたけれど、こうして出来上がりを見るにつれ、これはヤキメシであると確信した。味付けは醤油と味の素。ちょっとだけチューブ入り中華ペーストみたいのも入れてみた。
なるとがいっぱい入っていてとてもウレシイ。イタダキマス
ウマウマウー。ちょっと自分でビックリするほど美味しく出来た。改善点は二口三口食べたところで箇条書きにする程に出てきたけれど、基本はこれでオーケー。これでいいのだ。これだけなるとを入れると全体の味わいにもその風味が関わってくるのだが、それが自分にとっては良い方向に出たと思う。なるとの食感の妙も、風味の豊かさも、ネギとの相性も、オールバッチリ。ちょっとしたアイデアが大きく実を結んだ好例である。
ウマウマウー。自画自賛が止まらぬ。ヒジョーにウマイ。しかし一つだけ気になった。醤油で味付けしたのでなるとに醤油の色が付いてしまった。もっと白く仕上げられないものか。思い立ったが吉日ではないが、ワンモアトライである。
残り半分のなると巻を使う。二度のヤキメシでなると巻一本消費はなかなか効率が良いのではないかと思う。なるとはちょびちょび使っていると、残っているのを忘れてしまって、冷蔵庫の片隅で絶大にいじけた状態で発見されることが多い。フードロスをなくすためにもなるとを思い切ってたっぷり使うのは良いことなのではないかと考える。何のこっちゃ。
味付けに醤油を使わないなるとヤキメシ2の完成である。醤油の代わりに塩と云うより、醤油を抜いただけで、中華ペーストを少し多めにした程度。目分量でやっているのでどれだけ増やしたかとかは判らない。雑ですみません。
なるとのピンク色が大変に綺麗である。気持ちが上がる。ウキウキとする。上機嫌でイタダキマス。
ウマウマウー。こちらのバージョン2も大変に美味しく出来た。ご飯がパラパラになんてならないけれど、それがある意味決め手である。醤油味が自宅のヤキメシなら、こちらは友達の家に遊びに行って、友達のお母さんがお腹すいたでしょ何か軽く食べて行きなさいよと出してくれたヤキメシ、そんなストーリー感が勝手に脳内を巡った。いやその場合はなるとでなくハムか。妄想は続くよどこまでも。
ウマウマウー。こうなると玉子も参加させたいと思う。更にはチャーシューなどのお肉にも招集をかけたい。オールスターやWBC方面の五目ヤキメシへの想いが募る。しかし僕が監督である限り、なるとがチームの中心である。それは野球選手に例えると誰なのかと考えたら眠れなくなってしまった。内野手を選んだら全員遊撃手になってしまい、しょうがないので一塁にも二塁にも三塁にもショートの選手がいるみたいな状況だろうか。それではチーム作りは失敗か。それなら一人多重録音でアルバムを作るなんて方が近いか。拙作『小野瀬雅生ショウ』(最初のヤツね)とか剣さんの『自宅録音シリーズ』とかだな。ムッシュかまやつさんの『MONSIEUR』もある。YouTubeには一人でイエスとかジェネシスとかやっている人もおられる。そこまで大袈裟でなくとも方向性はそちらだな。また訳の判らない話になってしまったがなるとヤキメシブラボー。
ウマウマウー。シアワセだなぁ。なるとといつまでも。これからもまた何か思いついたらやってみることにする。2023年も気が付いたらもうすぐ6月。時間はどんどん過ぎるのでやるのかやらないのかと問われたらやると応える方向で生きていきたい。クレイジーケンバンドの2023年ニュウアルバム(タイトル内緒)ももうすぐ完成する。スゴイ内容である。どうぞお楽しみに。充実した夏になりそうである。ライブも色々ある。曲も作ろう。やることが目白押し。目白だろうが目黒だろうがノドグロだろうがドブロだろうがお風呂だろうがとにかく総動員でがんばります。ちなみにヤキメシはやはり醤油味の方がスキです。
末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫