小野瀬雅生の2022年ベストミュージック10選+α
2023年公開予定映画のトレイラー(予告編)を一気に観られる動画があって、それを一気に観てみた。映像はどれも凄いクオリティのものばかりで本当に素晴らしいと思う(実際に映画館で観るかどうかはまた別の話だが)。しかし使われている音楽はどうなのだ。レッド・ツェッペリンの『胸いっぱいの愛を』とか、エルトン・ジョンの『グッドバイ・イエロー・ブリック・ロード』とか、昔の曲ばかりではないか。ちょっと新しくてワムの『ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ』(それにしても凄い邦題ではある)ではないか。後はもう陰鬱なヒップホップとかで音楽に新味はあまり感じない。映画の作り手が僕と同年代であるのなら納得はするが、それにしてもそれでいいのかとも思う。とは云え、実際に僕が現在楽しんでいる音楽の殆どが1970年代のものばかりである。新しい音楽作品を聴いて、おおこれはイイ、と思うものは大変に少なくなって来ている。そしてアルバム単位で楽しむと云う聴き方ももう過去のものとなりつつあろうか。もちろん今でもアルバムとして楽しめるものは色々あるけれど、その一曲に深くこだわって何度も何度も聴き返すと云うようなものもある。それは結局昔も今も変わらないか。そんなわけで今年からは僕個人がその年に大きく感銘を受けた音楽を新旧に関わらず取り上げてみることにする。相変わらずセレクションがバラバラな上に新旧綯い交ぜであるから本気でわけ判らんことになるのでよろしくどうぞ。
僕にとって2022年にリリースされたもので一番大事な曲は米津玄師『M八七』である。ご存じ映画「シン・ウルトラマン」のエンディング曲。映画館で8回観て、今Prime Videoで観放題なので11月以降20回程観ている。エンディングも止めたり飛ばしたりせずにこの曲が終わるまで全部観る。この曲単体でも何度も何度も聴いた。それどころかカラオケボックスに行ってこの曲だけを何度も何度もかけて、自分が歌えるキーはどこなのか探したりもしたのだ。結局2音半も下げなければいけないと判って、自分の声域の狭さ(ファルセットは出るのだけれど地声であまり引っ張れない)を恨んだ。でもこの曲は原キーでないとどうしてもあの硬質な暗さが失われるのだ。そしてキーや頻繁な転調がギター向きではないので弾き語りも難しい。何とかしてこの曲を歌えるようになってやると奮闘努力するもなかなかおぼつかなかった。やはりちょっと下げないといけないかとかそう云う話ではないのだが、自分の口が痛みを知る只一人云々と歌詞を発した時に得も云われぬ感慨を覚えたのだ。聴くのと自分で歌うのとでは大違いである。僕はこの歌を歌った時に一瞬ウルトラマンになれたような気がした。いつまでも大人になれない僕ではあるが(もう還暦よ)やっと何か夢のようなものが叶った気になった。米津玄師さんありがとう。最初からわけわからん話で申し訳ない。このまま放っておくとまだまだ書き続けてしまいそうなので先に進む。
スウェーデンのエクストリームメタルの雄、メシュガー6年ぶり9枚目のアルバム『IMMUTABLE』が出た。相変わらずのメシュガーワールド。冒頭は出鱈目にぶっ潰れた字余りの俳句みたいなイントロで始まって、異次元の向こう側か宇宙の涯か、絶望的に荒涼とした世界にワープさせられる。2曲目は弦がたわんで音程が動くのが相変わらずの気持ち悪さで目眩がする。わかっちゃいるけどやめられない、とデス声で叫んでみると丁度良いのかも知れない。揺るぎなきメシュガーのクオリティー。心が物凄く高揚し、そのまま無念無想となって、平穏の苦い砂を噛み締めるのだ。これを横浜の寿町辺りで聴くと(やってみた)全然違う世界にも行ける。
アメリカはボストンのプログレッシブ・メタル・バンド、ウィルドランの3枚目(全世界発売としてはファースト)『EPIGONE』を聴いた。1曲目は完全にアコースティックなナンバーでメタルのメの字もないが、2曲目から徐々に色々と攻めてくる。これだけやりたいことやり放題なのにも久しぶりに出会った。超絶ギター(イイ音)も超速ドラムもデス声もオーケストラも全部出る。強弱も緩急も使い放題。これだけのものを作り上げるに当たっての才能と云うか集中力と云うか体力と云うか精神力と云うかその質も量も物凄いことに恐れ入る。この音楽の深度は一時期のジノ・ヴァネリにしか感じ得なかったものだ。深いねー。才気溢れているねー。無理筋のメロディーラインも朗々と歌い上げられていて、それをまたフルオーケストラとコーラス隊で引き受けちゃうんだからたまりませんわ。ちょっとぶっ飛びました。シャイコー。
岡田拓郎『Betsu No Jikan』に出会えた2022年であった。極めて近くにある音、ちょっと向こう側にある音、はっきりした音、そうでもない音、現世の音、涅槃の音、その中間位の音、伸びる音、詰まった音、フィードバック、ノイズ、ギター、色々なギター。どこか寺院とかの浄められた場所でとんでもなく自己を見つめてその場で崩れ落ちて倒れるようなそんな感覚も全部音になっている。別の時間、新しい世界を生み出すことの歓びに満ちているサウンド。とても愛おしくて何度も何度も聴いている。
古くからの友人であるギタリスト富永寛之のソロアルバム『TOMMY'S FASTBACK』がリリースされた。ブルームーン・カルテットを中心に様々な音楽形態で全国あちこちで演奏している富やん。ここ数年は富やんの音を生で聴けていないけれど、このアルバムでたっぷり楽しませてもらった。富やんは僕より10歳年下だけど、ギターに関しては何だか先輩の音がするのだ。トーンもアプローチも独特で富やんにしか出せない歌い回しがあるのだ。それを聴くとちょっとした嫉妬心と大いなる安堵感がブレンドされてとても嬉しくなる。シンプルな編成での作品だけど、チョーカラフルで楽しい。陰鬱なものに心惹かれがちな僕にとって、珍しく気持ちの深くまで響いてきた明朗な作品。元気が出た。
昨年末に教えてもらって年末に頭の中を引っかき回された作品。ゆっきゅんのファーストアルバム『DIVA YOU』。ここ暫く見つけられていなかったこうしたサウンドでの最適解。そして何と行ってもゆっきゅん自身が手がける歌詞の味わい深さ。自我、コンビニ、代引き、矯正、思念体、ファミレス、気圧、寒暖差。そうした言葉がきっちり並べられて箱詰めされている。言葉がとにかく真摯で美しい。「歌姫」なる曲のどうしようもなさは還暦の僕にもどうしようもなく強く響く。これ程までに自己と向かい合っている歌詞は世の中にあまりないと思う。このアルバムには入っていないけれど「遅刻」「日帰りで」と云った曲の寂寥感と云うかどうしようもなさと云うか言葉の端々がいちいち響くのだ。サウンドもとても精緻だし、ゆっきゅんの声もとっても素晴らしいと思う。これからの益々の活躍を期待しております。
エリック・ゲイルと云うと僕の世代はスタッフ(Stuff)のギタリストのことを速攻で想起してしまうのだけれど、こちらはゲイルズ、エリック・ゲイルズ。ニューアルバム『CROWN』がリリースされた。エリック・ゲイルズと云えば左利きで、右用のギターをそのままひっくり返した格好で弾く。なので上に細い弦が来て下に太い弦となる。これで弾ける人を他に松崎しげるさんしか知らない。なので真似しようにもどうにもならないのだ。このアルバムもよく聴いたが、YouTubeで動画を色々と見た。ジミヘンのリトル・ウイングを演奏している動画なんて完全に神域である。凄い上に自由である。自由と云うのは物凄い研鑽を積んだ上で成り立つものだと納得する。僕ももっと自由になれるようにがんばろうと思う。そしてエリック・ゲイルズは歌も良い。とても味わい深い。こんな声に生まれつきたかったと思うことがたまにある。まあ自分は自分なのだけれどもね、どうしようもなく。
古いのに行く。もう紹介せずにはいられない。ブライアン・フェリー1974年発表のセカンドソロアルバム『いつか、どこかで(Another Time, Another Place)』を2022年に30年ぶりか40年ぶり位に聴いた。カセットにアルバムをダビングしてあったのをその何十年か前に良く聴いていたのだが、ずっと忘れて聴かずにいた。久しぶりに聴いてみたら、このアルバムから僕が受けた影響が少なからずあったことを衝撃的に思い出した。特筆すべきは1曲目「The 'in' Crowd」。冒頭のベースがジョン・ウエットンなのは置いといて(それにしても見事にジョン・ウエットンの音だ)曲の最後のデヴィッド・オリスト David O'listのぐじょんぐじょんのギターソロが10代の僕の耳に入った時、もう僕はシンプルなギターサウンドだけの平和な世界にはもう戻れなくなってしまったのだ。フランジャーもフィードバックもダダ漏れで恍惚の人ズビズバーパパパヤーである。改めて聴いてこのギターソロの影響の元に自分があり続けていることに愕然とした。僕はギターで物凄い抽象画を描いてみたいのだと気が付いた。今後の課題を見つけたような気持ちになっている。他の曲もイイのだよ。「悲しきベイブ」なんて本当に悲しくてビックリする。そしてフェンダーローズピアノの音が素晴らしくイイ。なんで70年代のローズはこんなにイイ音なんだろうか。お金持ちになったらローズを買う。絶対に買う。
久しぶりに聴いて衝撃シリーズ第2弾はフランソワーズ・アルディ1974年のアルバム『夜のフランソワーズ(Entr’acte)』。これも昔良く聴いていたのを忘れていた。特に8曲目「Bonjour, bonsoir」(この曲自体の邦題も夜のフランソワーズだった)のあまりの素晴らしさに何度も何度も聴き返してしまった。ガットギターのアルペジオがシーケンス風に続く中、フレットレスベース(なのだろうか)の不思議な響きが加わり、盛大にリヴァーブがかかったフルートやギターなどがランダムに絡んでアンビエントな空間を作り、その中でフランソワーズ・アルディが呟くように歌う。小品なれどこれ程までに自分の中にこの曲が入り込んでいたとは思っていなかった。これもローズピアノが凄くイイ音してる。曲後半のコードをドーンと強く弾くところの充実感。ヤバイですねこれは。僕を構成しているのはギターサウンドだけでなくこうした音でもあるのだと強く実感した。ああローズ欲しい。
遂にこの曲を語る。バリー・マニロウのヒット曲『COULD IT BE MAGIC』である。1973年のデビューアルバムに収録。シングルカットは1975年でビルボードチャート最高6位。超大ヒットというわけではなかったが、当時中学生の僕の心に深く深く更に深く響いた曲。これが響いたのは僕だけでなく、世にこの曲のカバーバージョンが膨大に存在することから、この曲の魅力魔力妖力の大きさを計り知ることが出来る。フランスのシンガー、アラン・シャンフォーのアルバムにフランス語バージョンが収録されていたのをはじめ、ドナ・サマーやテイク・ザットのカバーも有名である。日本ではサーカスがカバー(これがまた何とも云えぬイイ味わい)している。冒頭のピアノはショパン「前奏曲第20番ハ短調」。これに関してブログに書いた文章を引用する。
わけ判らんかも知れませんがCm - Fm - G - Cmがバリー・マニロウでCm - Fm7 - G+5 - Cmがショパンかとそう云うことを2022年に考えたりしていたのです。そしてトレバー・ホーンのリミックスバージョンがが冒頭のピアノをちゃんとショパンの方の響きに置き換えていたのも発見。他にもショパンにちゃんとしているバージョン幾つかアリ。そしてこの曲のキモはサビのメロとコード進行の素晴らしさ。世界一ではないかと思ったりもする。思い入れは果てしなくダダ漏れする。
もう幾らでもこの曲について書き続けることが出来ると思う。数多あるカバーバージョンの中には肝心の一番美しいサビのコード進行を替えてしまっているのも散見されるがそれはとても残念なことだと思う。心意気は買うが。ここまで書いてもこの曲が僕のナンバーワンソングではないのです。その辺りはまた改めて書こうと思う。すみません長いですね。もう少しですのでご勘弁を。
番外編ではあるが、2022年のクレイジーケンバンドのツアーで野坂昭如『マリリン・モンロー ノー・リターン』を歌わせてもらった。2000年と2001年に野坂先生にクレイジーケンバンドのステージに参加して戴き、共演することが叶った。とても貴重な体験である。それから20余年経って、僕がこの歌を(ギターを置いてハンドマイクで!)歌うと云うのも何の因果鉄道の旅かと思う。2023年もツアーは続くのであと何度か歌うことになる。歌えば歌うほどに何か想像だにしなかった風景が見えるのだ。きっとずっと歌い続ける曲になる。
NewJeansのファーストEP『NEW JEANS』、とてもイイ。何て素晴らしいサウンドなんだろう。歌もとてもイイ。うさぎの絵もイイ。カワイイ。この後に出ているEPもサイコー。みんなうさぎの絵のジャケ。早くアルバムでまとめて聴きたい。
本当にだまってついて来られたら怖いので一声かけて欲しいと思うのですがどうでしょうか。そのうち何とかなるだろうと思っていたらここまで来られたのでこれからもがんばります見ろよ青い空白い雲。2023年もそこそこ責任感を持って、そこそこ無責任に音楽と対峙して参ります。長々と駄文をお読みくださってありがとうございました。今年も小野瀬雅生をどうぞどうぞヨロシクお願い致します。
末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫