恥と私とハウマッチ

恥というのは過去になるほど恥ずかしいものです。
日頃生活しながら、以前と似たようなシチュエーションに遭遇し、やらかした失敗を思い出しては居たたまれません。
調子づいた言動や、知らぬ間にやらかした行動などの数々は愚かさの証明とも言うべきでしょうか、その後も結構覚えています。

唐突なお話ですが、10月から放送しているテレビアニメに西尾維新の終物語というアニメがあります。その中のメインキャラクターに老倉育という女の子がいるのですが、その子は主人公の阿良々木暦を親の敵のように嫌っていて、2年ぶりに会った主人公に向かって、自分が何でできているのか知らない、今ある幸せを当たり前に自分だけで生きているようなお前が嫌いだと早々に言い放ちます。

登場前に、主人公の視点からみた老倉育は傲慢で高飛車で、偉そうにしている生意気な女の子のイメージでした。数学が得意でみんなからオイラーと呼ばれたいのに、数学がクラスで2位なものだから、オイラーと呼んでもらえない老倉育。
ましてや老倉(おいくら)という名前ゆえにハウマッチと呼ばれてしまい、人を値踏みするような彼女の態度とあいまって定着してしまっています。人に対しての嫌悪というのは、相手に期待していただけに、期待通りではないと一方的に裏切られた気になってわき上がったりするものです。
老倉育が主人公の阿良々木暦を嫌いな理由を私はアニメで知りました。
二年越し、五年越しに発覚する自分の恥というやつは寝かされているだけに恥ずかしさも倍でしょう。

忘却の彼方に追いやった恩や義理については恥の他に罪も感じてしまうものです。まるで存在しなかったように、無かったかのように忘れてしまうのはやはり罪深い気がします。
些細な事柄のほうにこそ意外な要素が含まれているかもしれないと阿良々木とハウマッチを見ていてふと思いました。