見出し画像

(完)ビンボー起業14_ついに主婦が代表取締役になっちゃった。の話。

前回までは↓

店舗移転を考え出したタイミングで、補助金や融資について調べることにした。

しかし、私のようにまだ実績がない起業したての人間には、普通に融資を受けるのはハードルが高すぎる。
補助金も、申請など自分一人で出来る気なんて微塵もしない。

でもきっと、何かしら方法はあるはずだ。
という事で、いろいろ調べることにした。

自分の事業を上手くプレゼン出来ないと相談にすら乗って貰えない

調べていくうちに、二つの機関に辿り着いた。

一つは、大分市街地の商店街にある、まちなかに店舗を出す人を応援するところ?みたいな。

そして、もう一つは、産業活性化プラザというところ。
その二つに、補助金や融資についての事を聞きに行くことにした。

まずは、商店街の方へ。

その頃はまだ、次男を常におんぶしながら仕事をしていた時期だったので、当然そちらへも、次男をおんぶして行ったのだけど、
扉を開けた瞬間に

「何か場違いな奴が来たぞ。。」
的な全体の雰囲気を感じた。

ぶっちゃけて言ってしまうと、感じが悪かった。笑
背中に子供をおぶって入ってきた私をチラ見して「何か用?」という雰囲気プンプンだった。

そして一通り、物件を探していることなどを相談させてもらった。
対応してくださったのは、男性の方。

今の私なら誰にでも、事業のことをペラペラ喋る自信がある。
それは今まで自分なりに努力してやって来たという自負があるし、
レンタルドレスが確実にお客様に必要とされているサービスだという根拠も自信もある。
そして、いろんな場に出て自分の事業をPRするという経験も積んできた。

だから、今なら自信を持って、事業についてプレゼンできる。

けれど、まだ起業したてホヤホヤの当時の私には、上にあげた全てのものがまだ何も備わっていなかった。

ただ、1つあったのは
「これから絶対にレンタルドレスは需要が増える」
という根拠のない自信のみだった。

けれど生憎そのたった1つ持っていた、根拠の無い自信を力説出来るような度胸もスキルもなかった。

その結果、惨敗。
チーン。笑

トータル5分くらい時間を割いていただいただろうか。
対応してくださった男性の心が1ミリも動いていないのは一目瞭然。

もう、これ以上はここに居ても意味ないよ?
という無言の圧力に押し出されるようにして、その場を後にした。


とっても、とっても、悔しかった。
全く相手にされていない感じが、とっても悔しくて、とっても切なかった。
そして何よりも、相手の心をこれっぽっちも動かすことが出来なかった自分に失望した。

ションボリ、とぼとぼ、商店街を後にした。

当たり前のことだけど、事業を上手くプレゼンできないと相談にすら乗って貰えない。
スタート地点のそのずっともっと前の段階でつまづいてしまった。

もうこんな悔しくて切ない思いはしたくない。
またこんなふうにあしらわれたら嫌だな。怖い。

一回目でこんな感じの洗礼を受けたので、二か所目の産業活性化プラザに行くのがちょっと憂鬱になってきた。
相談の予約をしたものの、足取り重くそこへ向かった。

産業活性化プラザは、当時大分市の城址公園内にあった。(現在は大分駅近くのホルトホール内に移動)

城跡のある公園の中という不思議な立地。
赤い鳥居をくぐった先に、コンクリートの古い建物が建っている。
なんだかちょっと異世界に迷い込んでしまったような感覚。

その日は、雨が上がったばかりで、足元がとてもぬかるんでいた。

ぬかるんだ泥に足を取られながら、10キロ超えのビッグベイビーな次男を抱えて、どんより重い気持ちで、産業活性化プラザの扉を開けた。

人生のターニングポイントは突然に

中に入ると、「こんにちは!」
と、とっても心地よいトーンの女性の声が聞こえてきた。

落ち着いていて、でも明るく弾むような声のトーン。

その声を聴いた瞬間、さっきまで泥沼だった私の気持ちは、
不思議とふわーっと軽くなった。

そして、奥のお部屋に通して頂き、お茶を出してくださった。

おんぶしていた次男を見るなり、その女性は
可愛いねー。と、抱っこをしてくれた。

そうこうしているうちに、起業相談に乗ってくれる先生(今後はK先生と記載)がお見えになって、次男を囲んでなんだかほのぼのムード。笑

そんなほのぼのムードの中、
「で、何だっけ?何の相談だったっけ??」
と、ゆるーくお話がスタートした。

私が、K先生とお話している間、女性の方が次男を抱っこして別のお部屋で見ていて下さっていたおかげで、私は集中して話が出来た。

前回は、あんなに自分の事業のことを上手く伝えられなかったのに、
K先生のほんわかムードと、優しい口調に、私はすっかり緊張が解けたのか

レンタルドレスの事、店舗の事、何故私が起業しようと思ったのか。。
など、どんどん言葉が出てきた。

K生は、「とても面白いサービスだね!」と、興味を示してくださった。

そして一通りお話が落ち着いた頃、K先生が私に紹介したい人がいる。
と、ポケットから携帯を取り出して、どこかへかけはじめた。

「あ。もしもし?いまね、補助金とか融資のことなどについて相談されに来た方がいるんだけど、ちょっと出てこれない?
あ、そう。じゃあ待ってまーす。」

今居酒屋なんだけどさ、お前も出てこいよ。
くらいの、ものすごい軽いノリで誰かを呼び出したK先生。

誰を呼び出したのかと言うと、
K先生は金融機関の方(今後はA氏と記載)に私を紹介してくださるとのこと。
しかも、今日、これから、この場所まで来て貰えることになった。

あまりの展開の速さに、色々ついていけない私。
金融機関の人となんて、銀行の窓口で通帳作る時くらいしか話したことがない。

何を話したらいいんだろう?
融資してくださいって?
そもそもいくら欲しいんだ?私は?
それすらまだ計算してないぞ。
資料とか必要ないの?
え?
え???
え????

私は1人、心の中でパニクっていた。笑


しばらくしてA氏が、プラザに到着。
相変わらずK先生は、ゆるっと話を進めていく。

プチパニックを起こしている私を他所に
A氏は、女性起業に関する融資のプランのようなもののチラシなどを何枚か持ってきて下さって、丁寧に説明して下さった。

今現在は、私の事業で使えそうな補助金などはないけれど、
金利が低くて借りられるものがあること。
融資を受ける場合は当然、事業計画書や収支計画などの提出書類が必要になってくるけれど、そういうものに関してもアドバイスをして下さること。
など。

こんな、まだ走り出したばかりの事業者にも、丁寧に説明してくれるものなのか。と、ちょっと驚いた。

融資とかの話って、ある程度の規模の企業の世界の話だと、その頃の私は思っていたからだ。

この時は、融資を受ける覚悟が出来ていなかったので、とりあえずチラシと名刺を頂いて、お話が終わった。

全てのお話が終わったとき、女性の方が次男を部屋に連れてきてくれた。
「とってもおりこうさんでしたよー。」
って、結構な長い時間、ずっと抱っこしたりあやしてくださっていた。

お蔭さまで、本当に身軽に、集中してお話をすることができた。
出産してから久しぶりに、子供抜きで過ごした時間でもあった。

私がプラザを後にするとき、
「お子さんいても、こうして頑張っているのは偉いね。頑張ってね。」
と言って、女性の方とK先生がニコニコしながら私を見送ってくれた。

今思い返すと、あのプラザへ訪れた日は、確実に私の人生に於いて
ターニングポイントだった。

人生初の大舞台で、恩人へ向けて再びプレゼンした日

後に、このK先生とは、数年後に行われた第1回OSWA(大分県の女性起業家のビジコン)の舞台で再会する事となる。

私は第1回のOSWAのファイナリストに選ばれ、数百人の前でプレゼンをした。

なんと、その時の審査員の1人がK先生だったのだ。

画像1

あの時「これから絶対にレンタルドレスは拡がる!」という根拠のない自信だけを持って、子供をおんぶして乗り込んできた私に

「とても面白い取り組みだね!これからの時代できっと拡がっていくよ!がんばれ!」
と、背中を押して下さったK先生。
その言葉がなかったら、私は諦めていたかもしれない。

先生の仰った通り、ファッションレンタル事業は世界的に物凄いスピードで需要が拡大していった。
日本でも需要がどんどん拡大していって、お店もたくさん増えた。

大分の田舎でも、ドレスをレンタルしてくれる人は年々増加してきた。
現にこうして、ビジネスプランコンテストでプレゼン出来るような事業になった。

あの時、K先生が背中を押してくれなかったら、こんな日はきっと来なかった。

そんな人生の恩人に向けて、少しでも成長した姿を見せられた事が本当に嬉しかった。

画像3


本番では、舞台の上からK先生を見たら涙が出てきそうでなかなか先生の方を見られなかったけれど、
最後の挨拶の時に、色んなことが走馬灯のように思い出されてきて、思わず涙が溢れてしまった。笑

画像2


突っ走る覚悟を決めたら、物事が進むスピードがケタ違いになる


話は戻るが、プラザに相談に行った日、
結局具体的な解決策は見いだせなかったけれど、
気持ち的に物凄く前進した感じがした。

まだ道のりは遠いだろうけど、お金を借りる覚悟さえ固めれば、前進できるんだ。
というような気持ちは漠然と出てきた。

けれど、今まで一円単位で、なるべくお金を使わないようように心がけて生活をしていたせいか、
お金を借りることはとてつもなく私の中では大きな壁だった。

家庭もあるし、迷惑をかけるわけにいかない。
お金を借りて、もしも失敗してしまったら。という恐怖心と、

ある程度の投資無くしては、物事は大きく進んでいかないんだという、
気持ちの葛藤としばらく戦うことになった。

そして、数ヶ月後ついに私は覚悟を決めてA氏に連絡をした。

すると、もうすぐ国から創業補助金なるものが出るらしいとの情報を教えて頂いた。
これなら、私の事業に使えそうだと。

そこから、補助金申請に向けて怒涛の日々が始まった。

補助金というのは、とにかく申請するのに沢山の資料を作らないといけない。
これが、まぁ大変。
募集要項を読んでも、謎の暗号を読んでるが如く、全く意味がわからない。

自慢じゃないけど、私は漫画しか読まない。
絵がないと頭に入ってこない。
イラスト付きで説明してくれ。
とかボヤいててもしょうがないので

A氏に1つずつ教えて頂きながら資料を作成して行った。

事業の今後についても、頭から煙が出そうなほど考えて考えて考えて。
1000本ノックのように、A氏が私に色々な質問して話を引き出して貰っては、それを掘り下げ、また質問…を繰り返した。

そうやって、1つずつビジョンを明確化して、更にそれをどう実行していくかを考えていく。

お店を通常営業しながら、子供が寝静まった後に資料作成。
正直、あの時は時間がいくらあっても足りなかった。
でも全然辛くなかった。

これからのビジョンが明確になっていくのが楽しくて
起業準備をしていた頃のような感覚だった。

そして、無事に補助金をいただく事ができ、店舗の移転と法人成りを果たしたのだった。

法人にしたのは、いろいろ事情があったからで、決して年商が1,000万超えたから。とかではない。

なので、めっちゃくちゃビンボー企業なんだけど、
私が代表取締役という事になった。(1人ぼっちの会社だからw)

あの日、米びつが空っぽで途方に暮れていた主婦は
紆余曲折を経て、いつの間にか社長になった。

つくづく人生って不思議なものだ。

ただ一つ、確信を持って言えることは、
突っ走ると決めたら、物事ってのは物凄いスピードで展開して行くんだと言うこと。

それを、この数年間で身を持って実感した。

やっとスタート地点

会社を作ったと言っても、お金を用意して、司法書士さんに書類を揃えて貰えば、誰でも会社は作れる。

作るのは簡単。

けれど、そこから続けていくのが大変。


だから、地道にコツコツ、日々を丁寧に重ねて、
お客様の信頼と、結果を確実に積み上げていくこと。

きっと、時間がかかる事だろう。
目に見えて、華やかに、大きな飛躍をすることもないかもしれない。

でも私は諦め悪く、自分のペースでコツコツ生きていこうと思う。

ゼロどころか、マイナス地点から1歩踏み出した、
ビンボー起業家の、挑戦がやっと始まった。

2014年4月14日 やっと、やっと、スタート地点に辿り着いた。

ビンボー人、起業する
 ~おわり~
長々とお付き合い頂きありがとうございました。


あなたの何かのきっかけになりますように。
2020年 株式会社Moona cross 代表取締役 小野桃子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?