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趣味を趣味にとどめておくこと

怒涛の仕事祭が終わり、今日から9日間の夏休み。少し仕事を持ち帰ってきてはいるが、基本的には自由な時間が多い。ここ最近は、休みの日にも家で一日中仕事をしていたので、こうやってゆっくりできる休日は久しぶりだ。

今日は、朝仕事をして、午後から蘭亭序の臨書をした。墨を擦って、半紙二字。純粋に楽しく臨書することができた。

実は、書道科の学生だった頃は、学校で出る課題以外に、個人的に臨書をしたり、作品を作ったりということは、ほとんどしていなかった。やる気がでなかった。楽しいと思えなかった。そのやる気のなさは半端なく、友達数人と一緒にやっていた、月1ほどで作品を持ち合って批評し合う勉強会を、作品が作れずにブッチすることが増え、最終的にドロップアウトしたほどだった。

しかし、仕事を始めてから、休みの日に臨書をすることが増えた。臨書をしたくなるようになった。また、友達に毛筆で手紙を書いたりもするようになった。書道を楽しめるようになった。

その理由の大きな一つに、書道を趣味と割り切ってできるようになったことがあると思っている。

大学生の頃は、教員から、書道のプロになるためにこうあるべきだといった考え方を植え付けられ、自由に書くことを禁じられたような気持ちになっていた。そこから解放され、(今でも書道のプロではあるべきなのだが)ある程度自由に書いていいという心持ちになったとたん、書道が楽しくなった。

高校生の頃、国語教員になるために大学で勉強しているというOGが進路講演会に来て話をしていたのを聞いた。彼女は、進路を決める当時、音楽教員になるか国語教員になるかで悩んだのだという。講演のあと、彼女に直接、「なぜ音楽教員になるのはやめたのか」と問うてみると、「音楽は趣味のままにしておきたかった」と返ってきた。当時大好きだった書道を仕事にしようとしていた自分は、「そんな考え方もあるのかー」と思っただけであったが、今になってみると、その言葉に強く共感している。

趣味を趣味にとどめておくことは、純粋に物事を楽しむということを忘れないという点でも、仕事で疲れた時に逃げるシェルターを残しておくという点でも、必要なことなのだと今は感じている。もちろん好きなことを仕事にできればそれが一番いいのかもしれないが、それが好きではなくなった時や、そこまで極めたいわけでもなかったときなどのことを考えると、好きなことを仕事にしたい!と突き進むことには、多少なりともリスクがあるのではないかと思う。また、これは自分の特性なのだが、一つのことをとことん突き詰めるのが苦手だということが最近わかって来たので、その点でも、自分には合っている考え方なのかなと思う。

好きなことを仕事にしたいという考え方は、もちろんある。ただ、それが仕事の選び方のすべてだと信じてやまなかった高校生の頃の自分には、「それだけがすべてじゃないよ」と声をかけてあげたい。まあ当時の自分はそれでも書道を仕事にすることを選んでいたのだろうけれど。結局は自分で気づかないと難しい。周りができることってなんなのだろうかと、結局教育の意義という永遠の問題に立ち戻ってしまうのであった。

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