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ガンジス川と世界の距離(『傷口から人生』こぼれ原稿)


「ちょっとぉぉ!私が行きたかったのは、街の中心の宿なの!こんなへんぴな所に連れて来てなんて言ってない!引き返してよ!」

 私は絶叫していた。

 インドはバラナシ、観光客など誰もいない煤けた町の外れの、見た事もないほどボロい宿の前で。

 世界一周の旅に出発した21歳の私が最初に降り立った土地・バラナシは、はじめからどこもかしこもが爆発していた。

 膿にたかる蠅のように、人が、牛が、車が、街にたかっている。リクシャーと車が道路にひしめき、一分の隙も見せまいとするように、通行人の行く手を阻む。香辛料の匂いのする汗が飛び散る。食べ物のカスが足下で泥と混じり合い、人々に踏まれてぷすぷすと間抜けな音を立てて道路に色をつける。道に横たわる人々の垢に虫が寄り、寄られたほうはそれを追い払う事もなく、日陰のわずかな冷たさに張り付いている。まるで自分の命以外、自分と関係のあるものなど何もないと言うように。

 うんざり、という言葉がぴったりだった。

 街の崩れ落ちそうな古いビルのすすけた階段にも、道の真ん中で絶え間なく叫ぶリクシャー引きのルーフの上の汚れにも、チャイを煮る鍋の、すすけた黒いふちにも、うんざりするほどに、あつかましくたぎる生命があった。この街のすべての命が、めいめい、好き放題に活動し、他の命とぶつかって、金切り声をあげ、舌打ちし、互いに罵倒しながらも次の瞬間にはまたてんでんばらばらに動いてゆく。正も誤もない、聖も俗もない命たちが、一秒ごとに仕切り直され、その生命活動の結果など、問われる事もなく忘れられて、絶えず四散と収縮を繰り返している。

 飛行機が空港に降り立つ寸前に告げられた「気温摂氏45℃」というアナウンス。そのアナウンスに漂う倦怠感が、100倍にふくれあがって占拠したのがこのバラナシという街の印象だった。

 

「世界一周」という響きはかっこいいけれど、本当のことを言うと、私は逃げて来たのだ。

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