箸の持ち方で育ちがわかる

Twitterで度々話題に上がる「箸の持ち方」についていつも思うことがある。

ここで言う育ちとは個人の「人間性」ではなく、「育ってきた環境」の話なのだが、いかんせんTwitterとは顔を付き合わせて語り合う場では無いので、どうも「人間性を攻撃された」と受け取る人も多々いるようだ。

ちなみに私は今年で35歳になるが、実の所20歳までは誤った箸の持ち方をしていた。
むしろ「自分の持ち方が正しい」とさえ思っていた。
なぜなら20年もの間親から箸の持ち方について何の言及も受けてこなかったからだ。

20歳の頃に付き合っていた女性と食事に行った時、彼女の箸の持ち方が自分と違う事に気づいた僕はそれとなく聞いてみたのだ。

「箸の持ち方違くない?」

すると彼女は「あなたの持ち方が間違っているんだよ」と答えた。

多分生きててあんなに恥ずかしい思いをしたのは後にも先にもこれっきりだろうか。
僕はその日から間違った箸の使い方を直すべく、YouTubeなどで調べながらご飯を食べ、徹底的に箸の持ち方を矯正した。

親はなぜ注意しなかったのか、ここで冒頭の「育ちがわかる」に繋がるのだが、僕の父親は元暴力団員のシャブジャンキー。母親は子供を車においてパチンコに行くパチンカスだったので、こういった躾をしない人間だった。

よって「箸の持ち方で育ちがわかる」説は成立するのだ。(あくまで僕の中で。)

ただ、その程度のことでその人個人の人となりを全て知ったような口振りで侮辱するのは如何なものか、といつも思う。

正しい箸の持ち方をしていない人を見つけてTwitterで攻撃する人種というのは、箸の持ち方は親に教わっても、他人を侮辱してはならないと言う箸の持ち方より大切なことを親に教わってないようだ。

はたして育ちがいいのはどちらなんだろうか。
と言うお話。

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