ディケンズ『クリスマスキャロル』の日本語訳の惨状

「細かいぞ!おまえはマーレーか!」と、つっこまれそうな記事です。

チャールズ・ディケンズの『クリスマスキャロル』を日本語で読みたくても、ディケンズが何を書いているのかを理解できるような読み方ができるものがない、というのが現状なんです。

本作は多くの翻訳本が出版されています。しかし、どれもこれも原著に何が書いてあるかを正確に読者が理解しなくてもよいという方針で訳しているように見えるのです。児童文学だとみなされているせいなのかもしれません。

訳が原著の意図を表現していないごくごく簡単な例を1つ紹介します。幽霊のマーレーに主人公がじっと見つめられている場面です。主人公はマーレーの視線をずらそうとして「このつまようじが見えるか?」と問います。

“You see this toothpick?”
(このつまようじが見えるか?)
“I do,”
(見える)
“You are not looking at it,”
(見ていないぞ)
“But I see it, notwithstanding.”
(だが、見える。そんなことせずとも。)

一見するとマーレーがワケわからないことを言っているように見えます。しかし、英語では look at は「視線を向けて見る」で、see は「視界に入っていて見える」の違いがあります。最初に問うときに主人公は期待することを正確に言わずに see を使ってしまったので、マーレーはその問いに対しては正しく答えているというわけです。英語の原文では、このやりとりにより、そのときの主人公が冷静ではないことや、マーレーが非常に細かい性格だということが表現されています。

翻訳本では、この look at と see の違いのすれ違いをわかるように訳していません。また、多くは最後の一文を「見なくても、見える」といった感じで訳しています。これでは、幽霊なら目で見なくても見える、といっているかのような誤解を与えかねません。読者はこのやりとりの意味がわからず原著の持つ言葉遊びの面白さを知ることができず、おそらくは読み飛ばしてしまうことでしょう。

つまり、読者には(文字は)見えていても(意味が)見えないのです。

該当箇所が書かれたページが紙の本で確認できたものを以下に列挙します。
▶一般向け
新潮文庫 p.36
光文社古典新訳文庫 p.37
春風社 p.40
▶児童向け
岩波少年文庫 p.42
ポプラポケット文庫 p.36

ちなみに、2020年に出た最新訳である角川文庫では最後のマーレーの言葉の箇所は「見えるものは、見える」と訳されています。