【現実的な考察】樋口一葉『たけくらべ』たけくらべ論争に対し、作品のなかに理由を求めてみた
美登利が物語の最後に元気をなくしてしまった理由について、様々な議論がなされてきました。いわゆる「たけくらべ論争」です。
まずは契機が初潮であるという説。それに対して、初潮だけでは理由として不足だということで水揚げ説、初店説、検査場説など色々な説が出されています。ですが、これらは遊女となる身の上に要因を求め、作品世界から離れたところで議論をしていると感じます。
この記事では、美登利が元気をなくしたことの説明を物語のなかに求めて現実的に考察してみました。
吉原に対する認識について
現代の我々は、吉原遊廓の負の側面の情報がどこからともなく入ってくることや、現代との倫理観の違いもあり、吉原遊廓をただの売春街と思ってしまいがちです。しかし、そうではない華やかな側面もありました。吉原遊廓は一種の観光地でもあったのです。
花魁には、現在のアイドルともいえるような存在の側面もありました。小説のなかでは明確に書かれてはいませんが、子供の美登利は、吉原の華やかな側面にばかり目がいって遊女に対して夢を抱いていたというのが物語の下敷きにあります。
8章には、美登利が花魁である姉についてどう感じているのかについての記載があります:
“美登利の眼の中に男といふ者さつても怕からず恐ろしからず、女郎といふ者さのみ賤しき勤めとも思はねば、過ぎし故郷を出立の當時ないて姉をば送りしこと夢のやうに思はれて、今日此頃の全盛に父母への孝養うらやましく、お職を徹す姉が身の、憂いの愁らいの數も知らねば、”
ざっと訳します
「美登利の目にうつる男は恐ろしくも怖くもない。遊女を賎しい勤めとも思わない。故郷を出ていく姉を泣いて送ったのは夢のような昔のこと。今では姉が人気者で、父母へ孝行をしていることがうらやましい。遊女屋でトップを維持する姉が、いかに心配し悩んでいるかも知らない、~」
他の箇所にも、遊女を賎しいとは思わないとの美登利の発言がみられます。
美登利の変化
美登利に着目して物語を時間の流れにそって見ていきます。大きな変化が2つあることがわかります。小説のなかでは時間が前後して書かれている箇所があるので、注意が必要です。
最初
遊女の華やかさだけが見えている(8章)。
4月、学校での運動会の場面以後(7章)
運動会で信如にハンカチを貸す。
まわりが信如に対して、美登利と結婚するんだろう、などと言ってからかう。
そんなことは気にせずに信如に接するが、信如は噂になるのが嫌で避けるようになる。
そんな信如に対して、美登利も相手にしなくなる。
↓
二人の関係が変化
夏祭りの最後の日、筆屋での場面(5章)
横町組の長吉に女郎(遊女)め乞食めと言われ、草履を額にぶつけられる。翌日から機嫌をそこねて学校へ行かなくなる。
姉はすごい、乞食と言われるいわれはないと憤る(7章)
長吉の裏で信如が命令したと思って、信如にも怒りを向ける。(7章)
↓
この時点ではまだ遊女に対して夢を持っていたといえる
秋、鼻緒が切れた信如を見つけた場面(12、13章)
信如を見てどきどきし、普通でなくなる。
↓
性の芽生え、と考えられる。
【変化点1】
三の酉の日(14、15章)
髪が島田髷になる。
機嫌が悪い。
正太に対して、帰れという。大人になりたくないと愚痴る。
↓
島田髷は大人の体になったことを示す。つまり、初潮があったと考えられる。
【変化点2】
その後
町で遊ぶことはなくなり、いつも恥かし気に顔を赤め、以前の活発さがなくなった。(16章)
変化点まとめ
変化点1で、性の芽生え。
変化点2で、大人の体への変化。
検討
変化点2について
美登利は島田髷を姉の部屋で結ってもらったと発言している。ここで、大人の一員と見なされ、周りが接する態度が変わったと推測できます。遊女の現実も教えられたことでしょう。つまり、ここでようやく、遊女になることの「恥ずかしさ」が美登利にも理解できたと考えられます。
変化点1について
14章で美登利は「七月十月、一年も以前へ帰りたい」と愚痴っています。愚痴ったのは酉の市がある11月なので、七ヶ月前というと、11-7=4 で4月となり運動会のあった頃。これは、信如から避けられるようになる前に戻りたいということだと解釈できます。つまり、信如のことを意識しており、好きだと自覚していると考えられます。
結論
以上の検討を踏まえると、変化したときの美登利は以下だったと考えられる。
・大人の一員と見なされ遊女の現実を教えられるようになり、自分が愚かだと気がついた(遊女の負の側面を何もわかっていなかった)
・大黒屋の妓主から大切にされていたのは、姉の威光と思っていたのに、自分を華魁とさせるためだと分かり、自分の愚かさに気がついた。
・さらに、信如が好きだという気持ちを見つめて、自分が愚かだと気がついた(仏の道を行く信如とは、自分は反対の道を行く。もう、交わることはない)
つまり、今まで何も分かっていなかった自分に気がついて恥ずかしく思えて、誰とも会いたくなくなり、また、以前のような元気な行動もとれなくなった。
補足 初潮の時期
現代感覚からいくと、美登利が14才で初潮なのは遅いと感じるかもしれません。しかし、当時(明治29年、1896年)はこんなものでした。
以下のリンク先からPDFファイルを参照ください。
日本における初潮年齢の推移
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshhe1931/46/1/46_1_22/_article/-char/ja