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変な先生になりたかった。

(一つ前の投稿に使わせて頂いた画像を見て思い出した。なので再度使わせて頂きます。重複投稿ではありません。)

今は専ら建築の設計を仕事にしていますが、昔は建築とは別に、というか建築と一緒に、小学校か中学校あたりの変な先生になりたいと思っていた。

ものをつくるのは好きだったし、教えるのも好きだった。何より、子どもの未来に関われることは素敵なことだと思っていた。

具体的に先生になろうとしたことはないけれども、先生になるためにはまず、社会に出て変な人になる必要があると思っていた。

自分の好きなことで、例えば建築の分野で一角の人物になったころに、それを生徒の前では隠しながらふらっと学校の先生になる。(一角の人物になる頃には先生になるための要件は(制度の変化も含めて)勝手に満たせているに違いないと疑わなかった。)

そして、学校に馴染んだ頃に、体育館の裏に変な小屋を自力で建てる。勝手にこっそりと目立たないように建てる。

放課後はそこにこもって工作をしたり折り紙を折ったり、自分の好きなことを一人で黙々とやる。

やがて、ちょっと変わった生徒が遊びに来るようになる。

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そこまでのイメージははっきりと見えていた。それは、こんな先生がいたらいいな、という願望だったのかもしれないし、小さい頃に近所に住んでいた、工作ばかりやってて昼間も家にいる変なおじさんの記憶がどこかに残っていたからかもしれない。

現実的には、学校の先生には小屋を建てる権限も時間もないだろう。僕もいつまで経っても一角の人物になりそうにないし、先生になる予定もない。(そもそもなれるかどうかも分からない)

せめて、学校の先生には、変な先生になるための、時間と気持ちの余裕が与えられたらいいのにな、と思う。

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今、小屋のような小さな建物を建て、そこに住みながら小さな設計事務所を営んでいる。

道路側の大きなガラス戸の前には、棚が置いてあり、趣味で折った折り紙が所狭しと並んでいる。

ある時から、学校帰りの小さな男の子が、事務所のガラス戸をノックして中に入ってくるようになった。

毎日のように入ってきては折り紙を眺めてあーだこうだと言っているけれども、私はたいして受け答えもせずにただ眺めている。(一度だけ、とっておきの折り紙をプレゼントした。)

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もしかしたら案外、変な先生になりたい、という夢は叶っているのかもしれないな。

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