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[過去原稿アーカイヴ]Vol.2 ジム・フィータス『Ache』ライナーノーツ(1997)

  1997年に再発されたYou've Got Foetus On Your Breathことジム・フィータスのセカンド・アルバム『Ache』のライナーノーツ。前年来日したおりに彼に取材しているが、そのインタビュー完全版を含む内容になっている。日本語で読めるフィータスのインタビューは貴重だが、なかでも彼の本質を突く内容となっていると自負している。1997年10月執筆。

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https://note.com/onojima/m/m1f1bcef5c6a3

 ユーヴ・ガット・フィータス・オン・ユア・ブレスこと、ジム・フィータスのアルバム「エイク(痛み)」をご紹介しよう。

 本作は「デフ」(81年発表)に続くセカンド・アルバムとして82年にフィータス自身のレーベル、セルフ・イモレーションから発売されたものである。レーベルといってもまったくの個人制作に近い形で、おそらくプレス枚数も数百枚程度であり、当然ながらオリジナル・アナログ盤は現在では入手困難、あったとしてもとんでもないプレミアがついていて、滅多に耳にすることはできなかった。フィータスの初期音源は89年に出た「Sink」という編集盤で何曲かリミックスされた形で聴くことができるが、そこにもなぜかこの「エイク」収録曲は収められておらず、そういう意味でも今回のCD化はきわめて意義あるものということができるだろう。

 78年にオーストラリアのメルボルンからロンドンに移ってきたフィータスは当時、レコード・ショップの店員などをつとめながら自己の表現世界を模索している最中だった。82年当時の英ロック・シーンといえば、70年代末から吹き荒れたニュー・ウエイヴの勢いにはっきりと陰りが見え始めた時期である。当時のイギリスはディスチャージやエクスプロイテッドなどのハードコア・パンクが圧倒的な猛威を振るっていたが、総体としてシーンの地盤沈下は否定できない状況だった。

 そんな中、ひっそりと登場したのがこのアルバムである。一聴して、かなり貧相な音だ。現在のフィータスの堅牢な高層建築を思わせる重量感あふれるサウンドを思えば、15年という歳月の隔たりを強く感じてしまうのは致し方ないところだが、84年の出世作「ホウル」と比べても、しょぼさを隠せないことは否定できない。その間はわずか2年間とはいえあまりに劇的な変貌だ。だがその変化は決してフィータス自身の変化ではないとおもう。

 「ホウル」以前と以後で決定的に異なるのは、機材の質であろう。ことに「ホウル」から導入されたと思われる高性能のサンプリング・マシーンは、フィータスの音楽制作の効率を劇的にアップさせ、彼が思い描きながら物理的な制約でどうしても実現不可能だったサウンド・デザインの構想をいとも簡単に、そして効果的に実現したのではないか。さらにサム・ビザールの協力などもあって飛躍的に増えたレコーディング予算と時間が、それを後押ししたはずだ。

 だが表面的な音色や手触りに惑わされず音楽の基本構造をチェックすれば、その音作りの基本的な方法論そのものは、現在に至るまでほとんど変わっていないことに気づくだろう。「ホウル」はもとより、95年の最新作「ガッシュ」に至るまでまったく劣化することも摩耗することもないフイータスならではの世界が、ここですでに確立しているのである。時代背景などを考えれば、これは驚くべきことだ。

 フィータスの音楽の最大の特性は、膨大な量の音楽情報が自在に行き来し、すさまじい強度と密度で取捨され組み合わされて、めまぐるしい勢いで吐き出されていく、混沌としたスピード感にある。ニューヨーク、ベルリン、ロンドンといった都市の最新のノイズ群を吸収し、さらにロック、ジャズ、ポップ、クラシック、映画音楽、ブルース、ファンクなどの豊富な音楽的ボキャブラリーを駆使しつつ、都市の退廃と混沌を体現するサウンド。このアルバムにもそれは存分に感じ取れるだろう。その取り入れ方はときに未消化であったり生硬であったり稚拙であったりするが、手口の鮮やかさと大胆さは今と変わりない。もちろんその情報コンテンツは時代の風を受けながらその都度入れ替えられているが、基本的な構造はこのころから現在に至るまで揺るぎがないのだ。

 つまり、フィータスの音楽の基本型は、この時期すでに完成していた。それから15年もの歳月が経過しながら、ここ最近になって彼の方法論を何倍にも希釈した音が蔓延し、しかも商業的にも成功を収めている現状を思えば、その傑出した先見性、先取りの才能は驚くべきものがある。

 だがフィータスの本当の凄さはそれだけではない。彼のアーティストとしての真のポテンシャルは、そうして確立した自己の方法論の完成度を高めていくばかりか、さらにパワー・アップしていっそう凄みを増し、張り詰めるようなテンションとヴォルテージを、むしろ年を追うごとに高めていることだ。ひらたく言ってしまえば、82年当時も「凄かった」が、今現在はもっと「凄く」なっているのである。多くのアーティストが、表現の成熟と引き換えに登場当時の衝撃をなだらかな曲線を描くように減衰させていくのに対して、フィータスは表現者としてスケール・アップしながら、規格をはみ出していく破天荒さをむしろ増強しているのだ。

 ヒップホップの登場、安価なサンプラーの普及は、音楽のありかたを大きく変えた。過去の規範や常識や先入観にとらわれることなく多様な音楽的記憶を個人の快楽原則に従って順列組み合わせすることを可能にした。だがさまざまに収集された断片を統合しダイナミックに展開していく思想なり肉体性がなければ、それはつぎはぎだらけのガラクタと大差ない。クロス・カルチュラルだから、いろんな音楽の影響を受けているからエライのではない。要はどこを目指すのか、そのためになにをやりたいのか、その結果としてのミクスチュアでなければ意味がない。フィータスの強さはそれに加え、初期衝動やルサンチマンをいつまでも忘れることなく、むしろそれを際限なく膨れ上がらせることができる精神力の強靭さ(執念深さ)にあるといえるのではないだろうか。

 以下に掲載したフィータスへのインタビューは、96年8月17日、フィータス2度目の来日の際筆者によっておこなわれたものだが、当時の発表誌では紙幅の関係でその内容の大半をカットせざるを得なかったものの完全版である。これまであまり語られることのなかった内容になっているものと自負している。なぜこの男は15年以上にも渡ってこのように極端で濃密でヘヴィで混沌としていて、しかもピュアな音楽をやり続けられるのか。あの異様にエネルギッシュでテンションの高かったライヴの模様を思い浮かべながら、味わっていただきたい。

●昨晩は歌舞伎町に行かれたそうですが、感想は?
 「シンジュクかい? 11年前に来日したとき、ホテルが新宿にあったんだ。バンドのメンバーにどういうところか見せてやりたかったんだよ。以前より物価が安くなってるような気がしたな。東京の印象はそんなに変わらないけどね。知り合いは増えてるけど」

●あなたの住んでるニューヨークのタイムズ・スクエアに似てませんか。
 「シンジュクが? いや、そうは思わないな。タイムズ・スクエアは、政府やニューヨーク市当局の指導で、かっての猥雑な雰囲気がすっかり失われちまってる。今はそういうサブ・カルチャー的なものは全部34番街の方に移ってしまってるんだ。もちろん文化的な類似点はあるけど、今のタイムズ・スクエアと新宿を同列に比べることはできないよ。今のニューヨークは、人間の欲望を不自然に押さえつける方向になってる。それが俺には納得できないんだ。性産業は、よりアンダーグラウンドになって、さらにダークで卑猥なイメージになってる。そうすることによって、人間の欲望はより歪んだ方向に向かってしまうんじゃないかと思う。人間の欲望はごく自然なものなんだから、法で押さえつけるよりも解放する方が、セクシャルな表現なんかもよりヘルシーに、自由になっていくと思うんだ。性産業のアンダーグラウンド化も大きな問題だし、一方で妊娠中絶の是非を問う論議も盛んになってる。俺はそういうことはすべて個人の自由に任せるべきだと思う。自己表現のひとつとして、そういう性産業みたいなものに耽溺したいならすればいいし、ドラッグをやりたいならやればいい。無理に押さえつけると、かえって犯罪なんかに結びつく。抑圧されればされるほど、反発したくなるもんなんだよ」

●あなたは10年前にニューヨークに移住して……。
 「13年前だね」

●そうですか。ニューヨークのどこに魅力を感じたんですか。
 「俺は78年に故郷のオーストラリアのメルボルンを出た。スーツケースをひとつ持って、両親には“ちょっと旅行に行ってくる”と言って出てきたけど、2度と家には帰るつもりはなかった。それからロンドンに5年間住んだ。スクワッティングしたり、自分のレーベルを始めたりしてロンドンを存分に堪能して、そろそろ次の段階に移ろうと思ってた時期、リディア・ランチやニック・ケイヴやマーク・アーモンドなんて連中とつるんでるうちに、どうもニューヨークが面白そうだってことでニューヨークに移ってきたんだ。もう13年住んでるけど、自分はニューヨークのネイティヴで、故郷はメルボルンじゃなくニューヨークなんだと思ってる。それどころか、ニューヨークを支配してるキングのつもりでいるよ。ニューヨークに渦巻いてるエネルギーがすごいんだ。ニューヨークの文化は他のどこにもない雰囲気がある。人種のルツボだし、住んでる連中のほとんどはニューヨーク以外から来た奴らだからね。隣のロード・アイランドから来た奴もいるし、ドイツやフランスから流れてきた奴もいる。もちろん日本人もたくさんいる。東京に行くことになって、日本人の友だちから情報をもらったりしてるんだけど、そういうゴッタ煮的なエネルギーがあるんだ。俺はブルックリンに9年ほどロフトを借りて住んでる。かなり治安の悪いところだけど、移るつもりはない。かってベルリンが放っていたようなエネルギーを、今のニューヨークは持っているんだ。ロンドンはネガティヴなエネルギー、東京にはポジティヴなエネルギーがあるけど、ニューヨークにはポジティヴとネガティヴ、両方のエネルギーが混在している。そこが魅力なんだ」

●あなたの音楽も、そうしたニューヨークの土地柄を反映してるわけですね。
 「完全にそうだね。とくに『ガッシュ』はそうだ。タイムズ・スクエアの雰囲気が気に入って、ビデオ撮影もそこでやったしね。ジャケットのデザインも、街を歩いていたらソニーのジャンボトロンが目について、アルバムもソニーがディストリビューションだし、ちょうどいいと思って、提案したらソニーの連中も気に入って、そのジャンボトロンでアルバムの宣伝をやってくれたりしてくれた。『ガッシュ』の2曲、“ノット・ソー・トゥルー”と“マディ・ワイリー”は、まさに自分の隣人たちについて歌った曲だ。最近“フィータス・シンフォニー・オーケストラ”というアルバムをレコーディングしたんだが、それは全曲ニューヨークを題材にしたものだ。今までの自分の作品はすべてその時の自分の自叙伝的な内容になってるんだ。今回のアルバムにはリディア・ランチが参加してくれてるんだけど、彼女は今ニューヨークの雑踏を抜け出てピッツバーグの方に住んでる。でも彼女の作った詩は、まるで俺自身のこと、俺のブルックリンでの生活のことなんかを、彼女の目を通して表現してるような内容になっていて、とても面白かったよ」

●あなたのレコードを初めて聴いてから15年以上がたちますけど、あなたの音楽はその時よりさらにパワフルで「凄い」ものになってますね。ふつう15年もたてば角がとれて丸くなるのが普通なのに、あなたはさらに高いテンションで音楽をやっている。たとえばスワンズなんかは昔あなたと同じぐらい「凄い」音楽をやってましたけど、今やすっかり普通のバンドになってしいました。あなたが15年以上もの間ずっと、高いエネルギーとテンションを保ちつづけていられる秘訣は?
 「俺は歳をとればとるほど若くなっていくのさ(笑)。俺は自分が聴きたいと思う音楽をレコーディングしてるだけだ。以前は自分自身のヴィジョンがはっきりしなくて、いろんな要素を手当たり次第にかき集めて音楽にしてたんだが、最近は言いたいことだけを簡潔に、よりインパクトのある形で表現できるようになってきた。自分の内面世界を、うまい具合にテープに収めることが可能になったんだ。ニック・ケイヴやスワンズなんかに言わせりゃ、自分たちは成長して成熟したんだってことになるんだろうが、俺はその逆で、世の中に不平不満は山ほどあるし、言いたいことも一向になくならない。それを音楽にして吐き出さずにはいられないんだ。『ガッシュ』は、それがひとつの到達点に達した作品だと思うね。身体のツボを針で刺すように、自分の言いたいこと、表現したいことが明確にわかってきた。そこが13年前と違うところだろうな。俺の日常生活は感情にすごく左右されている。だから音楽や歌詞のアイディアも自分自身の感情の流れから生まれてくる。それを表現してるだけさ。83年に『ホウル』というアルバムを作って、音楽を使って自己主張できるということを知って、すごく感動した記憶がある。それから5年後の88年に『ソウ』というアルバムを作った。95年に『ガッシュ』を作るまで、リミックスを30曲ぐらいやってインストのアルバムを2枚、ライヴ・アルバムを2枚作り、ヨーロッパやアメリカのツアーもやった。その都度ちがうメンツでやってるんだが、そこから得られる刺激やインスピレーションも、自分に活力を与えてくれる。それが俺の音楽をより激しいものにしてるんじゃないかな。『ガッシュ』は、自分にとっての『サ−ジェント・ペパー』みたいなものなんだ。音楽的に満足できるものになったということもあるが、あまりにも自分のやりたいこと、考えてることを1枚のア
ルバムに詰め込みすぎたということもある。だから聞き返すのはすごくエネルギーを使うし、疲れるんだけど、自分が本当にやりたいことをやれたアルバムだから、満足してる。でも、かといって今のニック・ケイヴやマイケル・ジラを否定してるわけじゃない。彼らはソングライターとしてかってないほど充実してきてるし、彼らの感情や意思が、彼らなりのやり方で音楽に反映してるからね。ただ、俺が抱えてる苦悩や怒りなどのダーク・サイドを……彼らがそういう面を持っていないとは言わないが……違うところで発散する方法を見つけたのかもしれない。俺は未だに音楽だけでダーク・サイドを表現/発散しようとしてるからね。そういう表現方法や場の違いはあるかもしれない。まさかニック・ケイヴに、ずっとバースディ・パーティをやってろなんて言えないだろう。それぞれの成長の仕方があるわけだし、自分のやりたいことをやりたいようにやればいいのさ」

●自分の表現は不平不満や怒りや苦悩などのダーク・サイドによって支えられている、ということですが,逆に愛とか喜びや幸せとか、ポジティヴで明るい面に目を向けようという気にはならないですか。
 「それは自分にとっちゃエイリアンみたいなもんだよ(笑)。愛情や喜びに惹かれないわけじゃないけど、そういった感情は音楽とは切り離したパーソナルな関係で、相手に対して注ぎたいと思ってる。音楽では、今まで自分がやってきたように、激しさとか怒りを表現したいんだ。なぜなら、音楽は俺にとって日記であり、自叙伝みたいなものなんだ。毎日の感情の振幅に対する一種のセラピーみたいな部分があって、音楽をやることでカタルシスになってるんだよ。自分は躁鬱の気があるんだが、そういうところも自分の一部として、音楽に表現したい。人間には、傷を負ったら一刻でも早く直したいと思うタイプと、傷が直りそうになったらわざとカサブタを剥がしてもっと傷つけたいと思うタイプがいる。俺は完全に後者なんだよ。人間のリアルさをどこまで表現できるか、というのが俺のライヴのテーマなんだが、あまりにリアルすぎて感情がコントロールできなくなって、ステージを降りたあと楽屋で泣きだしてしまうこともある。自分が興味を持ってるのは、そういう躁鬱的な自分の内面なんだよ。ポジティヴな面とネガティヴな面は、ひとつのコインの裏表なんだ。誰にでもある両面性なんだよ。俺はひとりでも多くの人に自分の音楽に共感して欲しいし、誰でもどこかしら共感できる部分はあると思う。たとえば恋人と別れたとして、そのときのつらくて悲しい感情をラモーンズみたいに明るくあっけらかんと歌っても、俺みたいに表現しても、どっちでも構わないのさ。音楽を作るという作業はもちろん創造的なことなんだが、その一方で徹底的に破壊してやりたいという気持ちもあるんだ。とことん惨めでネガティヴな気持ちに自分を追い込んで、世界のすべてを破壊して覆してやりたい、という具合にね。すごく悲しくてつらい気持ちの中にも歪んだエネルギーみたいなものがあって、とことん悲しい状況になると、その反動で歓喜の情が湧いてくるというか、ノドに何か詰まって苦しいんだけど、でも嬉しくて涙が出てくる、みたいな。そういう相反する両面が人間の感情にはあるし、俺の表現の根幹にもなってる。すごく派手で激しいのに、コード進行はメランコリックで悲しい……俺が好きなのはそういう音楽さ。俺たちは生き残りたいと欲するけれども、それに伴う苦悩や苦難はつきものなんだ」

●よくわかりますよ。
 「ほんとに? じゃ、一緒にセラピーを受けよう(笑)」

●ニック・ケイヴは子供が出来たことによって、人生観や音楽観まで変わったと言っています。あなたはそういう環境に自分を置きたいと思ったことがありますか。
 「まったく、ないね(笑)。俺が親になるなんて、とても想像できないよ(笑)。彼の変化は、角がとれたとか丸くなったということじゃなく、彼なりの進化だと思う。彼の選んだ道を否定するつもりはない。彼の方が30分ぐらい年上だから(笑)、家庭を持って父親になりたいという気持ちになったのかも知れないが、俺は絶対そうはなれないね。人間が成長し一人前になるには、この世界はあまりに荒廃しすぎてる。ありとあらゆるものが敵で、なにもかもが最低な状況だ。誰でも自分のことで精一杯で、人の面倒なんか見てる余裕はないし、責任だってとれやしない。だから自分と同じ染色体を持つ生命をこの世に送りだすなんて、絶対に避けたいんだ。俺とニックには共通項も多い。ロンドン時代はずっとルーム・メイトで、いろいろヤバイことも一緒にやった仲だからね(笑)。彼のことは人間的に尊敬してるし、父親になることがプラスになったということもなんとなく理解できるよ。でも俺は未だにワイルドすぎて、ひとりの女性に限定することもできないし、第一この世の中ってものにまったく信頼を置いてないからね。だから俺の名字は俺の代で途絶えると思うよ。両親はとうに死んでるし、叔母がいるんだけどレスビアンだし、妹は結婚すれば名字が変わるからね。とにかく、俺の名前は一刻も早くこの世から抹殺したいと思ってる」

●よーくわかります。あなたとぼくはまったく同じ人生観のようですね(笑)。
 「ハハハ(笑)、そりゃいい(握手)」

●あなたにとって音楽は日記であるということですが、日記である限りは、死ぬまで続くわけですよね。あなたには自分の音楽、表現の終着点が見えてますか。
 「……自分の死とか、いつ自分がこの日記を書き終えるのかとか、考えることはある。今までインタヴューで話したことはないが、何度か死を試みたこともある。死は自分にとって永遠のテーマだし、その日が来るまで自分の頭から離れることはないだろうけど、残念ながら未だにそれを達成できないでいる。それで俺はずっと苦悩しているんだ。ここのところずっと、肉体と精神がばらばらになって浮遊しているような感覚に襲われてる。ずっと不眠症気味で、目を覚ましながら夢を見ている白昼夢状態になったり、精神が肉体を離れて、どこか遠くに行ってしまったり。そういう奇妙な体験をしてるんだけど、なぜか死という領域には踏み込むことができない。最近では自分が何を求めているのかもあやふやになってる。目を覚ましていても意識がない、一種の無意識状態にあるんだ。けさもずっと眠れないまま白昼夢を見たんだ。TVの通俗的なヴァラエティ・ショウかなんかに出て、大恥をかいた夢さ。もしかしたら自分の意識の世界は無意識の世界よりはるかに歪んでて、潰滅的なのかもしれないな」

●あなたの安息の場はどこにあるんですか。
 「うーむ……ガールフレンドといちゃつくことかな。俺は感情の振幅が激しいんだが、その中でも涅槃に入ったような心地よい状況は、ガールフレンドと一緒の時だと思う」

●時間もないんで最後に。10年ほど前に「デス・レイプ2000」という曲を作りましたね。あれはどういう意図があったんですか。

 「“モータースラッグ”という曲を作ったとき、サートスン・ムーアがたまたまその場にいて、最後のリフレインの部分を聴いて「今のとこがすごく良かったな。10分間ぐらいそこだけ繰り返してみなよ。もっと面白くなるぜ」って言われて、やってみたらああいうクラシックになったわけ。「デス・レイプ2000」ってタイトルのイメージにぴったりだろう。ライヴでもよくやる曲なんだけど、客はみんな気が狂ったようにトランス状態になる。俺はスティーヴ・ライヒとかジョン・ケージが好きなんで、ああいうミニマルな曲は好きなんだよ。同じフレーズが際限なく繰り返されることによって、聴く者はマントラを唱えているような、一種のトランス状態になる。どこがフレーズの始まりでどこが終わりなんだかわからなくなってきて、感覚を奪われたような麻痺状態がおそろしいほどの快感になってくるのさ。ミネアポリスでこの曲をやったとき、その間はヴォーカルもないからステージの下に降りて聴いていたんだけど、そのうち自分の感覚まで麻痺してきて、ほとんど発狂寸前まで行って、あわてて会場を出ようとして係員に止められたりしたこともあった。この曲にはそういう独特の感覚とリズムがある。どうにもならない狂気にとりつかれているような。俺は死ぬまで演奏し続けるべき曲だと思ってる。レコードのジャケットに“ストロボをたきながら聴くように”ってただし書きを入れたんだ。そうやって聴くと、より効果的だよ。できるだけ大きな音でね」

●ヘタなハウスやテクノを聴くより、よっぽどブッ飛べますね。

「この曲の方がずっとトランシーだよ。そしてナスティーだ」


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