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千川新(computer fight)インタビュー「成功神話みたいなのは好きじゃない」

 computer fightというバンドを初めて見たのは2023年1月。痛郎のヴォーカリストであり、日本のオルタナティヴ・ロックの最重要レーベルのひとつZKレコードのオーナーとして知られる井手宣裕(vo,b)がヤマジカズヒデ(g)、カンノ(ds)というメンバーと組んだ新バンドMOZUの2回目のライヴで、ハコは東京・高円寺HIGH、ゲストにWRENCH、そしてcomputer fightという3マン・ライヴだった。MOZUとWRENCH目当てでノコノコ出かけた私は、全く予備知識なく見たcomputer fightのライヴのあまりのかっこよさにやられてしまい、翌月のcomputer fight主催のライヴにも足を運び、その興奮のままに以下のような記事を書いた。

 メンバーとは一面識もなく、もちろん誰かに頼まれたわけでもない。ただ、たまたま発見したかっこいいバンドのことをひとりでも多くの人に知ってもらいたい、という音楽ライターとしての使命感、いや本能みたいなものだ。単なるマイナーなアンダーグラウンドに終わるようなバンドとは思えなかったし、タイミングさえあえば大きくブレイクする可能性もあると思った。ZKレコードでカウパーズ、ニューキー・パイクス、WRENCH、コールター・オブ・ディーパーズ、キウイロールなど数々の素晴らしいバンドを発掘してきた井手宣裕の相変わらずの嗅覚の鋭さに改めて感服したのだった。

 全くの無名に近い若手バンドを唐突に取り上げたこの記事は、非常によく読まれ、大きな反響があった。ところが2023年5月にヴォーカルとベースが突然の脱退発表。その2日前にライヴを見て順調な成長ぶりを確認していただけに、「なぜこのタイミングで?」と驚いた。その後ヴォーカルとベースは後任が決まり、バンドは活動を再開、10月には再びMOZUの企画ライヴにSPOILMANと共に出演、ガセネタ/TACOの山崎春美との共演を果たすなど、再び活動が軌道に乗ったと思ったら、2024年4月末で今度はドラムスが脱退。computer fightのXによれば「現時点では5月以降のライブの依頼はサポートドラムを迎えての出演」「並行して正規ドラマーの募集も継続」するという。

 つまりほんの少し前に出会い衝撃を受け、次代のホープとして期待していたバンドから,1年余りの間に3人のメンバーが抜けてしまい、メンバーは未だ不安定なまま、ということだ。そしてその唯一残ったメンバーであるギタリストの千川新が、今度はソロ・アルバム『騒音』をリリースした。


 computer fightが千川のワンマン・バンドに近いことはなんとなくわかっていた。では千川新とはいかなる音楽家なのか?『騒音』とはいかなるアルバムなのか? そしてcomputer fightとはそもそもいかなるバンドで、そしてこれからどうなってしまうのか? 我々の知る情報はあまりにも少ない。

 話を訊くタイミングとしては今しかない。これまで一面識もなかった千川新にXを通じてインタビューをオファーした。取材場所として彼が指定したのが、彼の住む埼玉県の北越谷駅だった。

 北越谷は、近くに文教大学のキャンパスがあることで知られている。都内の自宅から1時間半以上電車に揺られ初めて降り立ったその町は、河と緑に包まれた穏やかな場所だった。もちろん都心の喧噪な過密さとも、地方都市のうら寂しい閑散とした風景とも違う、なるほどここが千川にとっての「郊外=suburban」であり、computer fightの現在までのところ唯一のアルバム『suburban blues』とは、こうしたバックグラウンドから生まれたのだと実感できた。

 だが駅の近くには取材に使えるような適当なカフェがない。駅から10分ほど歩いたところにあるカラオケボックスを使って取材は始まった。以下はその2時間弱のドキュメントである。撮影はバンドと親交のある写真家・井上恵美梨さんにお願いした。

(写真・井上恵美梨)


ソロ・アルバムは、自分の極端な偏った性格みたいなもの、自分の中のものすごい変な部分みたいなのを拡大させた感じですね

――とにかく千川さん個人に関することも、computer fightに関することも、ネット上にはほぼ情報がないという状況なので、基本的なことも含めていろいろお話をお訊きできればと思います。 まず今回のソロ・アルバム『騒音』なんですけど、これを作ったきっかけというのは?

千川新 :computer fightを始める前に、とにかくギターが弾きたいと思ってたんです。ギターは中学生の時からやってて、コピー・バンドをやってたんですけど、ガセネタの浜野純とか『NO NEW YORK』のジェイムス・チャンスの音楽に影響されたような、ぐちゃぐちゃした感じの即興をやりたいということで、computer fightをやる前、自分でノルマ払ってライヴハウスに2回1人で出て、1回友達とドラムとギターのバンドでやったりっていうことがありました。その後一応曲をちゃんと作るバンドとしてcomputer fightっていうのを始めて、それをやるのに数年は必死だったんですけど、computer fightの中でも即興のある曲も結構あるんですが、そのインプロの部分だけを取り出して、昔の大友良英のグラウンド・ゼロとか、『解体的交感』(高柳昌行、阿部薫)とか、ああいう、声が入ってない即興ものを作りたいってここ1年くらい思ってて。昨年末ぐらいにやっと実行に向けてちょっと動いたって感じです。

『解体的交感』(高柳昌行、阿部薫)


V.A.『NO NEW YORK』

――要するに今回はcomputer fightを結成する前に自分が個人的にやってたことをもう一度見直してやってみようみたいな、そういう面もあるわけですか。

千川:そうですね。compuer fightをやりながらも、緩い即興のスタジオ・ライヴとか出てたりしたんですけれども。それじゃなくてちゃんとパッケージングされたものをサブスクやBandcampやフィジカルを出すっていうのを自分1人の力で――もちろんサポートのメンバーもいるんですけど――出したかったって感じですね。お遊び的、サイドワーク的なものじゃなくて、ちゃんとやってますよっていうテーマで作りたかった。
 
――もともと自分がやってたようなことをもうちょっときっちり作曲した形でロック・バンド的にやりたかったのがcomputer fightってことですか。

千川新 :そうですね。computer fightの最初の目的はふたつあって、まず第一に自分がギターを好きに弾きたい、なおかつちゃんと曲になっているもの、曲になっていてロック・バンド然としたものをやりたいっていうふたつがあったので、それをうまく組んでインプロ的なものとかも。もちろんインプロだけじゃなくて、リフを作るとか曲を作るみたいなのも自分の中では大事なので、それはバンドの中でやってたんですけどけど、やっぱ即興をやりたいなっていう気持ちを取り出して今回やってみたんです。
 
――どっちが自分の本質というか核になってる、みたいなことはあるんですか。

千川 :こっちがコアだみたいなところはないんですけど、computer fightは、アートワークとか、ほかのメンバーのキャラとかいろんな要素があるんです。ソロはそこから即興とか、自分の……なんでしょうね、極端な偏った性格みたいなのを一応形にできたかなっていう感じです。自分の中のものすごい変な部分みたいなのを拡大させた感じですね。computer fightはもうちょっといろんなことを考えてというか、バランスよく曲として成立することを考えてやってます。
 
――今回のソロで一緒にやってるメンバーはどういう人たちなんですか。

千川:まず最初に録音をお願いしたのがSPOILMANのチャックさん(=タナベ)っていう方で、computer fightの最初の方から対バンすることも多かったですね。前のヴォーカルの上野君がSPOILMANとか(その)前身のバンドとかと関わりがあったりして、東京で近い界隈っていう感じでよく対バンしてたんです。その中で、去年になってcomputer fightのライヴの依頼がたくさん入ってきて、ドラムのサポートを立てないとちょっとやれないみたいなときに、誰がいいかって話になってチャックさんにお願いしました。もともとすごい好きなドラマーだったんですけど、連絡もしっかりしてくれて、人間的にも信頼できる方だなと思ったんで。

 ――なるほど。

千川:computer fightの中で即興的な曲が割とあるんですけど、そこ(ライヴ)でのチャックさんのフレーズが面白いなって思ったので。チャックさんには根気強く、4,5回一緒にスタジオ入ってもらって試行錯誤するっていうのに付き合ってもらいましたね。
 
――今回演奏してる曲は完全即興なんですか。それとも ある程度決まったものが?

千川: 完全即興ですね。ただお互い割と目で見つつ、終わる時にはさっと終わって、テイク的にはダラダラせずに、1テイク3〜4分とか。何回もスタジオ入ったんで結構たくさんの音源が取れて。その中から良いテイクを抜粋して、エディットして、トラックに分けて出したっていう感じですね。
 
――普通のジャズの人みたいに10分も20分も演奏し続けるってわけではないんですね。

千川:そういう感じではないですね。『解体的交感』もそうですけど、何十分1トラックっていうイメージありますけど、それは自分の中でピンとこないっていうか。体力がないのもあるかもしれないですけど、やっぱガセネタの影響が強い。2分とか3分でぱっと終わるというのが自分の中での即興の尺なのかなっていう。10分って決めて10分やんのなんか即興じゃないだろうみたいな感じはするんだよね。
 
――チャックさんのほかに、こやまさんという方も参加してますね。

千川:光分解っていうバンドのこやま君っていう。まだ20歳ぐらいの大学生の子で computer fightとかを聞いてるみたいで。サックスがメインだけどギターもやるしドラムもやる。吉祥寺のスタジオに入って1回の録音で終わりました。

 
――完全即興って話だけど、やる前にこういう感じのものにしようという具体的なイメージとか、構想みたいなのってあったんですか。

千川:別にその……(考えている)なんて言うか……具体的に何々みたいなのは(特にない)……即興みたいなことってcomputer fightでもやってるし、チャックさんのスタイルも何となくわかるし、僕とチャックさんが組んだらこういう感じなんだろうなみたいなのは何となく予想ができました。computer fightでサポートやってもらったときの感触だな、それをそのまんま持ってこれたなって感じで。こやま君とは本当に初めてでライヴも見たことなかったですけど音楽の趣味からこういうプレーをするだろうなっていうのがなんとなくわかったので。チャックさんはガーッて手数の多いドラム叩くけど小山くんのドラムってそうではないから、あんまりソロを弾きまくるって感じじゃなくてってリフで応酬するとか、そういう(普段とは)違うアプローチが引き出されたなって手応えがありましたね。
 
――事前に打ち合わせはあったんですか。

千川:ないです。それはあんまり面白くない。ただいろんなテイクを録りたかったんで、最初は僕がギターだけやってるんで、途中から入ってきてくださいとか、いろいろ試したりはしましたね。特にチャックさんとは何回もスタジオ入ったんで、最後の方はわかり合うって感じじゃないですけど、何となくそのままやるっていうような感じになってた気がします。
 
―― やっぱわかりあうことは必要ですか。

千川:その場限りの即興なら必要ないと思います。でも音楽をやるって別に楽器だけじゃない。例えばミュージシャンは即興なんかしない人の方が絶対多いし、バンドやってる人だったら、曲作るだけで全然いい。いい曲作れれば優れたミュージシャンじゃないですか。computer fightも、セッションっぽく作るときもありますけど、基本は僕がデモを持ってきて、1週間前とかにメンバーに共有しておいて、それをたたき台にしてどんどんアレンジしていくみたいな作り方をずっとしてきてる。だからバンドの場合、スタジオの中だけじゃなくて、例えばそいつがSNSでどういう発言をしてるとか、音楽だけじゃなくてどういうものが好きなのかとか、どういう生い立ちなのかとか、そういうのをちゃんと話す必要がある。こういう奴だから優れてるとかではないんですけど、楽器ができればOKとは全然僕は思ってないっすね。音楽以外の要素ってすごく大きいなって思います。特にバンドは。
 
――今回のセッションは相手のバックグラウンドを理解する必要があった?

千川:いや、それはないですね。なんでかっていうと、これは僕がバンドじゃなく、千川ソロとして作ったものだから。別にバンド組むってなったらもうちょっと違う要素が入ってくるんですけど、ソロとして作ったから単純に僕がスタジオ代だして、交通費も払っていうふうにやったんで、もちろんそこまでビジネスライクじゃなくて普通に話す仲ではあるんですけどうん。表現としては僕のものかなっていう感じではありますね。
 
――相手のプレーの持ち味とかそういうものも含めてちゃんと自分の文脈の中に組み込めるか。

千川:そうですね。もちろん、その自分の文脈を汲んでくれてる人に頼んだってのはあるんですけど。とりあえず自分がガーッていうのを作ろうっていうのは一番大きい。 だからそうなると別にそこに配慮する必要もないという。
 
―― ソロ・アルバムを、誰かと一緒にやることは必要でしたか。

千川:チャックさんとやったのは1〜8曲目なんですけど、2トラック目3トラック目ってのは僕のギターしかないんですよ。 ただそれはチャックさんとスタジオ行ったときに、例えばチャックさんが休憩してるときとか、準備してるときに僕1人で録ってたりするので、チャックさんと録ったトラックっていう説明の仕方にしてる。だから自分1人でも出せるんですけど、それだと分量的にアルバムの量にはならないかなっていう。
 
――なるほど。でもアルバムにする必要あったんですか。

千川: アルバムで出したかったっすね。10分でも5分でもアルバムって言い張ればアルバムだと思うんですけど、それなりに一応、ヴォリュームのあるものをしっかり出したかったってのはあります。EPを出したわけではないよっていう。特に即興なので、入魂の1曲みたいな感じではなくて、スタジオ行ってガーッて特に何の練習もせずやってるだけなので、それを適当なまま世に出したのでは誰も聴かないだろうな、誰も興味は持たないだろうなと。だからパッケージングはしっかりやろうっていう感じで、カセットのフィジカルで出すし、手間はかかるんですけど、企画ライヴもやるって感じですかね(7月14日北越谷SOUND STUDIO GREGORI にて。後述) 。あとは依頼があれば、面白そうな企画があればソロ名義でも出てみたいかなと思ってます。
 
――自分1人でただやってるだけだと誰も聴いてくれないみたいなことを今おっしゃったけど、 人が聴いてくれそうなものとそうじゃないものって、どこで区別するんですか。

千川: 自分自身、SNSで新しい音楽を知ることが多い。そこには大量に情報があるわけで、特に熱心な音楽リスナーじゃない限り、全部聴くってできないじゃないですか。でもやっぱり出すときの態度というか、アートワークがしっかり作ってあって、しっかり告知してあって、こういう文脈で作られてるっていうのが伝われば、入り口には立てる。それでちょっと聴いて合わないっていうのは全然アリだと思うんですけど。 とりあえずその入り口まで来てもらうことが大事で。好きになってもらうんじゃなくて、聴いてもらうっていう段階はそこなのかなって感じです。
 
――入り口まで招くというか誘う意思っていうか、工夫っていうか。それがあるかどうか。

千川: そうですね。だから音楽って音楽以外の要素がすごく大きいと思うんです。例えばライヴに出るとしたら、ライヴのパフォーマンスはただ楽器を弾くだけじゃなくて、どういう動きであったり、どういう服装で出るのかとか、どれぐらいの時間でやるのかとか、あとはどういうイベントに出るのかとか、いろんな文脈があるわけですよね。 例えば同年代で活動してる、今現在活動してる人のものや先人のものとかを参照して、自分はどうやればいいんだろうっていうのは、バンドでもソロでも常に考えてます。
 
――ただ良いものを作るというだけではなく、文脈の作り方、プレゼンの仕方も大事であると。 カセットにこだわる理由もそれですか。

千川:そう、 それを(質問で)聞いていただけると話が早いんです。なぜカセットで出したかっていうと、今回は単純にカセットテープで全部録音したんですよ。だから普通にカセットで出すっていうだけなんですけど。なんでカセットテープで録音したかっていうと、即興ものを作りたいってずっと思ってて昨年末にチャックさんと僕と、あとは友達に手伝いに入ってもらって、MTRで普通のレコーディングみたいな感じで4本マイク立てて録ったんですよ。 演奏してるときはいい感じだなって思ってたんですけど、録り終わったやつを聴いてみたら、キレイすぎて全然面白くない。全然即興の良さが出てない。これはミックスし直してどうにかなるものじゃない。どうしようって悩んでた時に、僕はガセネタが好きなんですけど、ガセネタはちゃんとしたアルバムを残していないんだけど、録音は残ってる。彼らのことを好きだった人が勝手にオープンリールで録音していた。バランスとかめちゃくちゃなんだけど、 すごくその音が好きで、こういう感じだよと思って、試しにAmazonで買った4000円くらいのカセットレコーダーで録ったら、何も演奏しなくてもザーッて音がして勝手に音が潰れてるんだけどそれは不快な潰れ方じゃなくて、自然にオーバードライブがかかって歪んだような音になってた。これはあのガセネタの音だ!って思ったんですよ。あれはもちろん浜野純のギターがすごかったっていうのもあるかもしれないけど、録音の仕方っていうのが大きかったんだなって思って。それでカセットテープで録って、カセットテープで出すかっていうことになったんですね。 結局「本当に鳴ってる音」みたいなのってないなっていうか。録り方によっても違うし。すごく発見にはなりましたね。ギターとかでもヴィンテージ・サウンドって言うじゃないすか。ああいうのは結局、別にギターとかアンプがどうこうよりもテープで録ったのが大きいんじゃないかなっていう。
 
―― アナログ・レコーディングってことですね。アナログの良さって曖昧にすることだって説があって。要するにデジタルはすごい細かいところまで高解像度でキレイに録れるんだけど、でもアナログはちょっと馬鹿だから、、ディテールが曖昧になったりする。でもそれが味になる。

千川:そうですね。勝手にすごい増幅される感じとか。逆にこれはズルだなと。これで録ったら何でもいい音になるじゃんと。ただそこはね、普通にcomputer fightではもうちょっと普通の現代的な音でなおかつ、いい音っていうのを追求したいと思うので、もしかしたら部分的にカセット・レコーディングを取り入れたりするかもしれないけど。ただあくまでこれは一つの方法論なんで、今回これをやったからといって次も同じようなことはやらないかなっていう。結構出来には満足してますけど、カセット録音を繰り返すのは自分の美意識にそぐわないかなと。
 
――最初は私はね、 そういう情報みたいなものを一切遮断して、Bandcampで買った音をただ聴いたんですけど、 これ要するにcomputer fightのライヴのノイズっぽいことやってる部分だけを抜き出してエディットしたのかなと思ったんですよ。

千川: なるほどなるほど。うん間違ってはないっすね。 そこだけ抜き出したっていう感じはありますね。一応ちゃんとスタジオで録ったっちゃ録ったんですけどね
 
――そういう意味では非常にコンセプチュアルなアルバムで。

千川:そうですね。すごいそれは意識しました。
 
――今後ソロ・アルバムを続けて作る予定は?

千川: 宅録的なことはやろうかなっていう。コンピレーションとかに参加する予定があったりするので。結局自分はバンドを一番聞いてきたので、一番やりたいのはバンドではあるんですけど、なかなかどうしてもね、人間が4人いるとスケジュール的にもぱっと動かすのってすごい難しかったりするので。
 
―ーそうですね。じゃあそろそろcomputer fightの話を。

千川:はい。

(写真・井上恵美梨)

フリクションを聴いて、これなら自分にもできると思った。「弾きたい」じゃなく「弾くべきだ」と。


――私がcomputer fightのライヴを最初に見たのが……

千川:去年の1月ですね。1月14日。高円寺HIGH。
 
――そのときから、 要するに千川さん以外のメンバーが全員変わったっていうことですよね。

千川:そうですね。ドラムは多分しばらくは見つからないんで、サポートにやってもらうっていう感じなんですけどね。
 
――なので、バンドといえばバンドなんだけど、実質千川さんのソロ・プロジェクトに近いような。

千川:そうですね。だからメンバーには僕のワンマン・バンドだよって言ってます。最初はもっと結構ゆるい感じでやってて、正直社会人の趣味くらいの感じで、ノルマを何となく払って何となくやるんだろうなみたいな感じだったんですけど、こんな反響が大きいのかって感じになって、僕も根を詰めてやるようになって。だから基本的には全部自分がやってはいますね。もちろん、他のメンバーが曲作ってくれたりとか、前のヴォーカルとかは僕はカラオケだけ提出してヴォーカル・パートは作ってきてくれたりとかもあるんですけど、基本的にはどのライヴ出るかとか、アートワークとか、僕がやってきました。なので、正直4人で一蓮托生みたいな感じじゃなくて、うん、これは僕のバンドだよねっていうのは、メンバーにちゃんと言ってるし、それで了承してくれてます。
 
――最初のバンドがcomputer fight?

千川:友達と緩いのとかやったりしてましたけど、それも別に本格的に動かしてるわけではなかったので、ほぼ最初って感じですかね。
 
――それで2019年に始めて、本気になったのは?

千川:去年かなあ。最初から本気と言えば本気でやってたんですけど、去年ぐらいから、毎月のように気合の入ったライヴ企画に誘われるようになって、その中でメンバーの脱退とか加入とかもあったんで、すごく心が忙しくて。 もう結構めちゃくちゃ大変だったし、なんていうか、もうバンドは自分たちのものだけじゃなくなってるっていうか。全然知らない人が聞くようになってきたから。
 
――まさにバンドが広がってるっていう。

千川:そういうことですね。その実感がすごく大きくなったのが2023年。それが契機でしたね。2019年に結成して夏に初ライヴやって12月にライヴやって、それでもうコロナ禍でしたからね。その後もメンバーの仕事の都合で思うようにライヴができなかったり。それが去年になっていろんなライヴに呼ばれるようになって、前から一方的に知ってたような人と話すようになって。 すごく刺激的だったんですけれども、それはそれで結構当てられるというか、ちゃんとやってる人だからみんなエネルギーがすごい。ちょっとそれに疲れたのと、メンバーがやめたっていうのもあってバンドはお休みしてる分、一人でできる作業、バンドの通販サイトで売るマーチを作ったり、配信だけのライヴアルバムを出したり、自分がやりたいと思ってたソロを制作したり。今はそれが一通り片付いたんで、またバンドをやろうかなっていう感じです。
 
――そう考えるとすごい激動だったんですね、去年から今年ぐらい。

千川:そうっすね。去年の1月から今年の4月まではすごい激動でしたね。
 
――私が初めてライヴを見た去年の1月ってバンドにとってどういう状態のときだったんですか。

千川:あのときは……まずメンバーがやめることになるなんて予測はできなかったから。例えば高円寺HIGHは僕らからしたらかなり大きい会場なので、こんなとこでやるんだみたいな。無邪気に楽しむっていうよりは、お上りさんみたいな感じで。あの日はWRENCHとMOZUと僕らで、僕らがフックアップされて呼ばれたわけですけど、あんまり卑屈にならないようにしようかなと思いました。
 
――あのときの印象は強烈でしたよ。記事にも書きましたけど。 あの記事の反響ってすごく大きかったんですよ。こう言っちゃなんだけど、バンドの知名度のわりにはすごい読まれた記事だと思います。

千川:正直言うと小野島さんのことは知らなかったんですけど(笑)、著名な音楽ライターがわざわざ無名のバンドに注目するっていうインパクトもあったんだと思います。僕音楽と関係ない仕事に就いてるんですけど、同僚にすごい音楽好きな人がいて、その人に「小野島さんに褒められてるじゃん!」って言われましたから(笑)。
 
――よろしくお伝えください(笑)。あの時INUのカヴァー(「フェイド・アウト」)とかリハでやってて、その後のライヴでもやってましたね。


千川:最近あんまやってないですけど、僕の中ではINUの「フェイド・アウト」のリフを弾くっていうのが定番になっててなんとなく手癖で。難しいんですよあの曲。 リズムも難しいですし、割とはっきりしたしっかりしたピッキングをしないとかっこよくならないので。
 
――それで、INUもそうだし、 さっきからガセネタっていう単語が何回も何回も出てきて。まだ31歳でしょ。なんでそういう昔の音楽を知ってるんですか。

千川:誰かに教えてもらったわけじゃなくて、フリクションが大きいんですよ。フリクションの『軋轢』、今の大学生が聞くかわかんないすけど、とりあえず「名盤ガイド」みたいなのには絶対載ってるじゃないすか。普通にある程度ロックとか聞いてる人だったら、すぐアクセスできますよね。YouTubeにも上がってたし。「クレイジー・ドリーム」の東京ロッカーズの映画のとかね。何でフリクションが自分の中で引っかかったかっていうと、やっぱり自分の中のルーツって2000年前後のナンバー・ガールとかミッシェル・ガン・エレファントとかブランキー・ジェット・シティで、ギター・プレイもそのへんにすごく影響を受けてるんですよ。だからテレキャスター使ってるし。ただ彼らはホントにプロっていうか、なんならもう生まれたときからプロだったんじゃないかみたいな、もうすごく見た目もキャラクターも演奏も全部完成していて。 でもフリクションを聞いたときに、もちろんすごくかっこいいんですけど、曲はシンプルだから自分にもできるんじゃないかって初めて思えたんですよ。

 ――へえ……

千川:今までそういういわゆる、例えば初期パンクとかローファイみたいな、そういうシロウトであることをキャッチフレーズとしたものって、単純に音楽的に好きになれなかったので、シンプルすぎるから。シンプルすぎて普通に自分のアンテナが引っかからなかったんですよ。それまでは本当にプロがやってるようなね、2000年前後に日本語ロックが盛り上がってたけど、プロがやってたようなものを聞いてると自分にはできないなって思っちゃってたんですけど、フリクション聞いて、これはあるかもしれないな、と思ったんです。そこから『NO NEW YORK』とか聞いて、これだったら自分もできそうだなっていう。フリクションになりたいとかなれるとかそういう話ではなくて、とりあえず自分の中で、できそうな気がすると思えたんですね。実際にできるかは別として。
 
――ガセネタは?

千川:YouTubeでフリクションとかそこら辺のを片っ端から聞いてたら、ガセネタの「社会復帰」を挙げてるアカウントがあって、これは何だろう、ソニック・ユースとかより前の1979年にこれやってた人たちがいるんだってびっくりして、ぶっ飛んでるようですごくキャッチーで、すごいキャッチーなリフがあるんだけど録音とか意味わからないし、ギターソロなんてなんでこうなるんだろうみたいな感じで。だから、これをやるしかないな!って思ったんだと思いますね。

 ――なるほどねえ。

千川:それが大学の終わりの頃だから2015年、16年とかだと思うんで、一旦新卒で就職して社会人になって、すぐにはバンドって感じにはならなかったんですけど、computer fightを始めたときは、 仕事しつつみたいな。とりあえずそんなに気負わずに友達が見に来てくれればいいやくらいの気持ちではじめました。
 
――メンバーはどうやって集めたんですか。

千川:最初のメンバーは全員同じ年。ボーカルが中学の同級生なんですよ。ベースが大学のサークルの友達です。 ドラムがずっと見つからなくて、Twitterの公募で。組もうと思ってから1年ぐらいかかったんですけど、最後にドラムが入って確定して、とりあえずライヴやるかってことになって2019年夏から活動を始めたんです。 2回ライヴやったらコロナになって。そのときはバンドをやること自体初めてだったんで、バンドをどうするかみたいなことは全く何も考えてない。例えば今、この状況でコロナになったらダメージでかいですけど、そもそも2回ライブやってただけだったので。コロナ禍の直前ぐらいにレコーディングして、EPとして2020年5月にBandcampとサブスクで出したのが初音源ですね。2020年はそのあと1回ライヴやって終わりだった気がします。

――それでコロナで活動も停滞して、2023年からちょっと状況が変わって。井手(宣裕)さんに呼ばれたのは・・・

千川:それは全然いきなりではなくて、2021年に吉祥寺NEPOっていうところで3マンやって、その時に井手さんが来てくれたんです。ZKの関連か何かで来てて、だから僕らのことは全く知らなかったんでしょうけど、そのとき僕らのことを気に入ってくれて、その時僕はガセネタ好きですって言ってたんだけど、で井手さんは結構すぐ動く人だから(山崎)春美さんとコンタクト取れないかみたいな感じで動いてくれたらしいんです。その時は無理だったんですけど、去年10月にMOZUとSPOILMANとcomputer fightで3マンやったときに春美さんと共演できたんですね。
 
―― なぜそういう昔の音楽に惹かれたんですかね。 自分にもできそうだ、というのはもちろん大きな理由だと思うけど、それ以外に例えば今のロックには求められないものがそこにあったとか、そういうこともあったんじゃないでしょうか。

千川:そうですね。もちろん今の音楽もすごい好きではあるんですけど、ロックやポップスの中での役割みたいなものがあるとしたら、自分はこういうギターを弾くべきなんじゃないかなっていうのが一番しっくりくるかな。
 
――ほう。弾きたい、じゃなくて「弾くべきだ」と。

千川:うん、それくらいは思いましたね。もちろん弾きたいってのもあるんですけど。弾くべきだ、と。
 
――なるほどね。 自分のギタースタイルで一番影響を受けた人というと?

千川:まず一番大きかったのは、アベフトシかな。カッティングをとにかく練習してました。あとはナンバー・ガール。

――どっちも微妙に年代が上ですね。

千川:みんな聴いてますよ。僕は中高の先輩から教えてもらったんですけど。ミッシェルもナンバーガールももちろんリアルタイムではないですけど僕らの世代とか、今の若い20歳前後もみんな聴いてる印象はあります。
 
――逆に今の子はブランキーを知らないみたいですね。

千川:サブスクにないからだと思いますね。サブスクにあるかどうかってすごい大きい。ブランキーが配信されたら今の子も絶対聴くと思いますよ。ナンバー・ガールを聞いたときに、ギターってこんな音出るんだって思ったんですね。 そこからナンバー・ガール的なサウンド、何て言うのかな、その金属的なサウンドってのはすごく自分でも指向するようになって、フリクションとかに出会ったときに、答え合わせじゃないですけど、なるほどにここにルーツがあるのかと。 ナンバー・ガールってフリクションからの影響を言ってないと思うんですけど、あれがちょっと不思議で。向井秀徳の日本語をローマ字にするセンスがめちゃくちゃレック的だなと思って。即物的な価値観みたいなのがフリクション的だと思う、音だけに限らず。

(写真・井上恵美梨)

2023年はバンドが試されているような気がした。人生で経験したことない種類の鬱状態みたいな。もう何も手つかないみたいな感じになっちゃって。

――なるほど。それでcomputer fightの話に戻りますが、私が一番びっくりしたのはヴォーカルとべースが辞めたときですね。普通にPot-pourri(ポプリ)ってバンドとの対バンを見に行って、その2日後かなんかにいきなり脱退の発表っていう。なぜこのタイミングで?みたいな。

千川:なんでかっていうのは、結構僕だけが先走って、みたいな感じではありましたね。先日ドラマーがやめたってのも結局は一緒なんですけど、月1でライヴっていうと、結構大変じゃないじゃないすか。 曲を作ってしっかりスタジオ入って。その中でやっぱ僕は……とにかくこう、売れたいとかは全然ないんですけど、ちょうど2023年はすごく試されてるなっていうか。いろんなイベントとかに呼ばれるのもそうだし、 舐められたくないっていう一心で生きてきたので、何事も。ここは外せないなっていう場所は毎月のようにあったので、そこですごく僕は先走ってしまい、メンバーのペースと合わなくなったっていう感じですかね。
 
――あなたの求める水準に他のメンバーが達してなかったっていうこと?

千川: いやそこまで……それはね、結構メンバーによりけりなんで。メンバーの言い分とかもあると思うし。うん。ただ、なんて言うか、同じスピード感でやってくれるって感じじゃなかったですね。
 
――ちょうどバンドを巡る状況もどんどん盛り上がってるように思えたし、演奏はどんどん良くなってたから、 ちょっともったいないなっていう気がしたのは確かなんですよ。

千川 :うん。僕もそれを一番すごく感じてました。すごく気持ち的に賭けてた部分はあるので。これもどうなるかなっていう感じではあったんですけども、ちょっと結構人生で経験したことない種類の鬱状態みたいな。もう何も手つかないみたいな感じになっちゃって。だけど何とかメンバーが決まって、いい感じになってきたかなと、これからだなと思ってます。
 
――ドラムの人は決まりそうなんですか。

千川:ドラムに関してはもうサポートでいいかなと正直思ってまして、ドラマー人口自体が単純に少ないっていうのと、結構サポートだったらやってくれるという方が周りにいて、今は繋がりもいろいろ増えたんで。最初に言った話に戻りますけども、僕がこのバンドのコアだから、ちゃんと腕のある、自分が信頼できるドラマーの人にサポートで頼めばいいし、レコーディングもやってくれればリリースだってできるから。4人一蓮托生じゃなくてもいいんだったら、サポートかどうかってところは別に……もちろん4人でサポートを入れずにやる美学っていうのはロック・バンドにはあるから、正規メンバーのドラムが欲しいなとは思ったんですけど……自分はそういう変なこだわりとかは多分人よりすごい多くて。でも一番の目的はバンドを続けて曲を作ることなんで、そこでドラムに正式メンバーを血眼になって探すよりは、サポートのドラムを頼んで、自分は例えば曲を作るとか、そういうことに注力した方がいいじゃんっていう。
 
――バンドであれば音楽以外のことも大事なんだってさっき言ってたでしょ。音楽以外のことっていうのは例えばメンバーの人間性とか?

千川:そうっすね。 自分はまったく人間できてるわけではないけど、ただそれとはまた別に僕が作ったものをやってくれるっていうんだったら僕の倫理観には従ってもらうよ、っていう気持ちでやってるので。ただそれも例えば衣装を揃えるとか、別にそういうコンセプチュアルな部分では別になくて。口出しはもちろんするんですよ。例えばベースとかだったらやっぱ自分はデモを作るときにベースは弾くから、ある程度好みの音って自分の中であるから、こうした方がいいんじゃないとか言うんですけど、例えばヴォーカルの奴に今日はトランペット吹かずにやってみようかみたいなことをライヴ前に何となく言っても、 無視して勝手に吹くんですよ。それはかっこよかったら納得して、それが全然成り立ってなかったら文句を言うと思うんすけど、かっこよかったらこいつのセンスだって思って、そういうのはバンドをやる面白いところではあるかな。
 
――それはもちろんそうですね。

千川:だから本当はね、あれこれ言わずにメンバー全員が自分の思うようなかっこよさで自分の思うような音を出してくれてるっていうのが理想ですけど、そんな自然な形のバンドっていないっていうか、無理してゴテゴテして考えて考えてやっと成り立つというかね、別に天才でも何でもないから無理して考えて、何とか人前に立てるかどうか、くらいの感じだと思ってるから。
 
――バンドで成功したいと思いますか。
 
千川:なんかあんまり成功神話みたいなのが好きじゃなくて。もちろんたくさん聴いてもらえると嬉しいし、ただ、すごくお金になるフェーズって、多分すごく犠牲にするものって多いだろうし、めちゃくちゃ表に出なきゃいけないから……自分が自意識過剰なのもあるんすけど、今ぐらいの感じですごく見られてる意識ってすごくあるから。そうすると今後もっと注目されると、お金はけっこう得られたとしても結構しんどいって思う。自分のロールモデルとするバンドとして、ガセネタなんて3年で終わって作品も残さなかったし、2000年代2010年代に活動してたバンドでいうとチョモランマ・トマトってバンドがすごく好きで、多分商業的には成功はしてないんですけれども、一つの表現としてすごいいいものをやってたから。このバンドみたいになりたいってことは、別に売れたいってことじゃないよなっていうか。

――そういうバンドに共感するのは音楽的な部分なのか、バンドとしてのあり方なのか。

千川:あり方ですね、もちろんナンバー・ガールとかミッシェルみたいに大きい会場でやってるバンドも好きだし、むしろそういうバンドの方を聴いてはきてはいるんですけれど、ちょっと今の自分の頭のキャパシティでは考えられない。 これ以上売れることを考えるよりは、ちゃんと何かもっと目の前のことっていうか、うん、ちゃんとデモを作るとか、ちゃんと楽器練習するとか、そうすれば自分にとっても他人にとっても、成功とかそういうものを超えて面白いものができると思うし。なんか単純に僕とかってライブハウスとかってそんな楽しめないんですよ。好きなバンドとか見に行っても、すぐ帰りたくなっちゃう。家で1人で聞くのが一番。
 
――あははは、それは私も同じなんでわかります。

千川: 家で録音物聞くのが一番好きだから。一応確認というか、本当にいるのかなみたいな感じで(ライヴを)見に行くんですけど、まずライヴハウスっていう場を無邪気に楽しめないっていうか、なんかすごくそこには躁鬱的なものがあるっていうか。みんなウサばらしに来てて、自分はライヴを見るのが好きじゃない割にはライヴに出て、ていう倒錯的なものを楽しもうとしてたんですけど、1年半ぐらいの間にいろいろ出過ぎて。自分の中ではね。東京のバンドの中では多分そんなに活動頻度って高くないと思うんですけど、いろいろその当てられるというか、何か頭はもう今年の4月5月あたりでオーバーロードして怖い!って。
 
――なるほどねえ。

千川:だからなんかすごく暴力的だと思うんですよね、ロックで演奏するっていうか特にライヴハウスで演奏するってことは。知り合いのミュージシャンからの受け売りですけど、もともとPAシステムってナチス・ドイツがヒトラーの演説に扇動力を持たせるために開発されたみたいな話で。要は暴力的な説教っていうか、客を立たせて、大音量で音楽を演奏して、オレはすごいんだぞって威張る。その倒錯したことを自分はやってるんだけど、それが自分が真に望んでることなのかっていう、ね。で、それは一通りやったかなってのはある。
 
――いやー、それはまだまだでしょう(笑)。これからでしょ。computer fightも千川さんも。

千川:もちろんまだ違うフェーズもあると思うんですけど、とりあえず今は曲を作らなきゃって感じであります。
 
――とりあえず本格的にバンドをもう一度組み立て直して。

千川:そういうことですよね。多分全然違う曲を作っていくことになると思います。
 
――音楽性が変わるかも、ってこと?

千川:いや、っていうよりは単純に曲のクオリティ的な面を上げる。ていうのと、あとは自分で歌詞も書いていて。近々ちょっとメンバー送らないとって感じですけど。
 
――レコーディングをちゃんとして、今年中にアルバムは無理でも、何かしら出したいなという感じなんですか。

千川:そうですね一発録りで。そこもね、今までの方法論では納得いってない部分もあるのでいろいろ試してみたいと思う。ほかにも今めちゃくちゃ考えてることってあるんですけど、まず作品を出してからっていうのもあるし。
 
――なるほど。

千川:あのね、愛知の「森、道、市場」ってフェスがあるじゃないですか。
 
――ん? ありますね。私も一回行ったことがあります。

千川:今年のあのラインナップって、全部東京で見れる延長のメンツでしかなくて。愛知の地元の人があれを見に行くのはわかるんすよ。でもあれを東京のサブカルの人とかが新幹線でお金かけて見に行くのは意味ないと思って。見れるじゃん東京で。だから、やはり結局有名になってこのラインナップのコマの1個になるのはやだな、みたいなさ。結局はみんな同じような感じで同じような風景が広がってる、どこの観光地に行っても同じような土産物屋があるみたいな。僕はそういうのすごく嫌いというか、拒否したいなくらいの気持ちなので。なんかすごく、文化なんてないなっていうか、結構絶望してる。そんなところで必死こいてやっても、消費されるだけだなっていう。
 
――なるほど。今度北越谷の駅前のスタジオでソロライブをやるっていうのもそういう意味があるわけでしょ。

千川:そう。7月14日にSOUND STUDIO GREGORIっていう、僕がよく個人練習で使っていたスタジオでスタジオライヴという形でやるんです。
 
――まさに北越谷という『suburban blues』の地で。

千川:ってのもそうだし、下北沢とか高円寺とかだけじゃないから。そこに文化が集中してるのは認めるけど、いやここにも人間がいるし、越谷市なんて人口30万人もいるから。人間もたくさんいるわけで、その人が音楽好きかどうか、ライヴハウス行ってるかどうかなんて関係なくて、そこに人間がいるんだから来いよっていう。
 
――人間がいれば何か生まれる。

千川:生まれるから。なんだろうな、ものすごい特権的なものを感じますよね。下北高円寺とか。もちろんいい町なんだけどさ、ひと駅ずれたら、ちょっと路地を少し入ったら違う風景がある。17年間通ってる道もちょっと路地を外れたら、見たことない景色だったりするわけで。お金とか手間をかけずに面白いことって見つかるんだよっていうことをいいたいですね。

(2024年6月11日 北越谷 カラオケBanBan 越谷4号バイパス店にて)

千川新ソロアルバム『騒音』リリース企画ライブ「騒音郊外」


7月14日(日)
北越谷SOUND STUDIO GREGORI Cst(ビル4F)

14:00 開場
16:00 完全撤収

出演:
千川新
田辺(チャック)
こやま

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