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THE GOOD KIDS:原広明・茂木欣一インタビュー「ほんと音楽ってマジックだと思うよ」

 期待の「THE GOOD KIDS」の誕生である。結成されたばかりの新バンドが来たる7月8日の初ライヴでついにヴェールを脱ぐ。

 元KING BEES→元The 3peaceで現在は作曲家としても活躍する原広明(vo,g)とフィッシュマンズ/東京スカパラダイス・オーケストラの茂木欣一(ds,vo)、レピッシュのtatsu(b)、元KING BEES→現東京スカパラダイス・オーケストラの大森はじめ(Perc)、さらに20代の女性ヴォーカル・デュオWAY WAVE(chorus,vo)を加え、ソウル・フラワー・ユニオンの奥野真哉(kbd)がサポートで参加。90年代から今日までのシーンを駆け抜けてきた歴戦の勇士たちが集結した、昔風にいえば「スーパー・グループ」である。いずれも昔から一緒にバンドをやったりライヴで対バンを繰り返してきた仲間たちだが、単なる同窓会の集いではない。

 90年代のヒップホップやダンス・ミュージック、オルタナティヴ・ロックの匂いを漂わせながらも、完全に2020年代の音として聴ける新鮮でエネルギッシュなサウンド。あの時代の自由で解放された空気感を存分に感じさせながら、中身はコンテンポラリーな今のポップ・ミュージックとして成立している。どこか懐かしいのにレトロではない。躍動する現代のダンス・ミュージックだがどこかで耳にしたような温かい人間的な手触りもある。私が聴いたのは、一部公開されている原がひとり打ち込みで作ったデモ音源だが、これがメンバーのフィジカルな演奏に置き換わることで、途方もなくエネルギッシュでダイナミックなバンド・グルーヴが生まれてくることがアリアリと想像できる。そんな仕上がりなのだ。長年いろんな音楽を聴いてきたが、これは絶対最高のバンドになる。音を聴いた瞬間、それを確信した。デモ音源の一部は彼らのSoundcloudで確認できる。

 当初このインタビューは、ライヴ・チケット販売の促進になれば、というつもりで進めていたが、インタビューのはるか前、発売後まもなく完売してしまった。彼らに寄せられる期待のほどがわかる。配信が決定したので、ぜひこの機会にTHE GOOD KIDSというバンドのお披露目の瞬間を目撃してほしい。ライヴでは原書き下ろしのオリジナル・ナンバーのほか、昔のKING BEESの「あの定番曲」や、少々意外なヒット曲のカヴァーなど、盛りだくさんな内容になるはずだ。

 インタビューは原と茂木の2人が応じてくれた。ふたりの前のめりな熱気と和やかな雰囲気が、バンドの状態をよく表していると思う。(小野島)

left→right : tatsu、原広明、茂木欣一、大森はじめ

たまたま住んでるマンションが隣だった

ーーそもそもおふたりの出会いというのは。

茂木:めちゃくちゃ古いよね。まだフィッシュマンズで僕がデビューするずっと前です。

原:フィッシュマンズをやり始めたぐらい?

茂木;ラママに出るようになって、新宿ロフトに出れるようになってきた、ぐらい。

原:ラママでよく一緒にやってたんです。あと、今のBUFFALO DAUGHTERの前身のハバナ・エキゾチカとか(注:フィッシュマンズの過去記事を集めたアーカイヴ本『フィッシュマンズ全書』によれば、フィッシュマンズとKING BEESの初対バンは1988年8月23日ラママ。ハバナ・エキゾチカもその時出演している。フィッシュマンズはラママ夜の部に出演してからまだ2回目のライブだった)。

茂木:ラママのブッキングの人(中山泰平氏)が、原くんがいたKING BEESとかハバナ・エキゾチカとかブラック・マーケットとか、そういうグルーヴにこだわった横ノリのバンドをブッキングしてて。それが1988~89年頃だよね。

ーーちょうどバンドブームが起こり始めたころで。ビート・パンクと言われる縦ノリのバンドが全盛の中で、異色の2バンド。

茂木:フィッシュマンズは超異色でしたよ!『パニック・パラダイス』(1989年)っていうキャプテン・レコード(雑誌『宝島』が主宰していたインディ・レーベル)から出たオムニバス・アルバムに、なぜか僕たちも誘われて。ほかにポテトチップスとかスカンクとかムスタングA.K.A.とか。あれはそういう異色なバンドを集めたアルバムだったけど。

原:あれにKING BEESも声かかってたんだよね。

ーーえっ、そうなんですか。

原:俺20代の頃って超生意気だったからさ、しょっちゅう宝島の人と喧嘩してて、それで流れちゃった。あとでさんざん怒られたよ、もっと売れるチャンスはいくらでもあったのに、って(笑)。

ーーそこで宝島カルチャーに素直に乗っておけば(笑)。

原:ほんとですよ!(笑)

ーーじゃあフィッシュマンズとKING BEESはいい仲間でありライバル関係で。

茂木:だから僕、新宿ロフトで対バンやった時のカセットテープとか持ってますよ。

原:へえ!

ーー茂木さん、物持ちいいですよね。

茂木:物持ちいいですよ!(笑)。フィッシュマンズのライヴも録音してるけど、KING BEESのライヴも丸々録音してるんですよ。その頃から原くんの曲の完成度高いし、歌もうまいし。アレンジとかすごい完成度高くて。

原:アレンジはね。週3回4時間練習してたから。

ーー毎週12時間も練習してたってことですか!

原:練習の鬼でしたね。みんなこだわりが凄かったから。

茂木:それでメンバーが(佐藤)タイジさんのところに行ったんですよね。

原:そうそう。煮詰まっちゃって1995年にKING BEESは活動休止したんですよ。それで中條(卓)とエマーソン北村(エマーソン北村はKING BEES解散前に後期じゃがたらに参加のため脱退)がシアター・ブルックに加入して、大森(はじめ)くんはスカパラに行った。

茂木:ミュージシャン養成所だよね!

原:だって小学校で中山加奈子(プリンセス・プリンセス)が僕の前の席だったからね。

茂木:(笑)なにそれ。

原:僕の周りの人間はみんな売れていくんですよ(笑)。中学の2コ上にデーモン小暮閣下がいたし(笑)。

茂木:面白〜い。でも(人と人を)引き合わせる人っていますよね。一緒に街歩いてても、「久しぶり〜」って知り合いとかによく出会うタイプでしょ。

原:そう。だからTHE GOOD KIDS結成のきっかけとなった出会いもそうなんですよ。去年の12月のスカパラのライヴに遊びに行って、終演後に欣ちゃんと話してて、何気なくどこに住んでるのか訊いたら、僕が制作のために週一で借りている部屋のマンションの隣だというのが発覚して(笑)。東京の人口考えたら、もう全然あり得ない確率で。それまで欣ちゃんとはそんなに親しく話したことはなかったけど、その偶然に2人で腰を抜かした(笑)。サンダルで行ける距離だし、じゃあなんかやろうよってなったけど、そこではまだバンドをやるって話にはならなかった。欣ちゃんは忙しいだろうし、ちゃんとバンドやるなんて考えてなかった。それから1ヶ月ぐらいして朝方にぼんやりしてたら、「僕が本当にやりたいことは何だろう」って浮かんだんです。僕は「作曲」だと思い込んでたんだけど、なぜか「ラップ」って出てきたのね。で、やるならバンドだなと思って欣ちゃんにLINEしたら、やるって言ってくれて。そこからだよね。

茂木:えっ、なんでラップだと思ったの?

原:ヒップホップはもちろん好きだけど、ラップはヘタクソだし、The 3peace解散以来ここ10年ぐらいはずっと作曲だけやってて歌詞は書いてなかったけど、今はこういう世の中だし、自分で何か言ったほうがいいのかなって。でもぶっちゃけ僕はラップの言葉ってどうでもいいと思ってるんです。洋楽のヒップホップは意味なんて全然わかんないのに聴いてるし。だから言葉で何かを訴えるんじゃなく、声で何かを発することをやってみようと思いました。

ーー声で表現したい、それが原さんの場合、歌じゃなくラップだったと。

原:そうですね。とりあえず声を出す、という。

懐古的なものにしたくなかった

ーーそもそも「自分の本当にやりたいことは何だろう」という風に考えるに至った経緯は?

原:僕はそもそもThe 3peaceで一緒にやってた梶くん(梶原徹也.元THE BLUE HEARTS)の勧めで作曲家になったんです。The 3peaceを解散してからずっと、去年なんか毎週2曲ずつ作るような生活をずっと送ってて、このままでいいのかな?と疑問をもち始めたのかもしれないですね。

ーーやはり作曲活動というのは自分が食べるためという意識があったわけですか。

原:そうですね。やはり仕事っていう意識は強かったですね。こういう曲が欲しいっていう要望に応え続ける生活をずっと突き詰めてやっていて。

ーー最前線のJ-POPの世界では、厳しいコンペに勝ち抜いて、クライアントの一方的な要求に応えて……。

原:納期もめちゃくちゃ厳しいんですよ。でも、それもまた自分のやりたいことではあるんです。作曲という仕事は実は面白いんですよ。自分にない引き出しをどんどん引き出してくれるし、リファレンスで来る知らない曲を聴くのも楽しみだし。だから「本当にやりたいこと」というより「ほかにも面白いこと、自分がやれることがあるんじゃないか」という感じかもしれない。

ーーそれがつまり自分の声で、自分の肉体を使ってやる音楽。

原:そうですね。KING BEESとThe 3peaceでそういう音楽をずっとやってきて、ここ10年はそれをやめてたんだけど、やっぱり「もう1回歌ってみろ」って言われてるような気がしたのかもしれない。

ーーそれは言葉を替えて言うと、「自分」というものをもうちょっと押し出した音楽をやりたいということですか。

原:うーん、どうなんだろう。これ本当に不思議なんですけど、このバンドって僕が「すごいやりたい」っていう気持ちにあんまりなってないというか。

茂木:ほう!

原:誤解を生みそうだけど、「何かに動かされている」気がしてしょうがないんですよ。

茂木:面白いねえ……

原:欣ちゃんとの出会いにしても、今までにない体験というか。

茂木:へえ〜〜(原からの)LINEがすごいんですよ!

原:(笑)。

茂木:原くんの情熱がすごくて(笑)。でもそれって原くんがバンドで鍛えられてきました、作曲活動で鍛えられましたという、その厳しさで得てきた、そういうスピードなんだなと思った。これを今やんないと!っていう、そういう気持ちがものすごいんだよ、そのLINEが(笑)。たとえば「ここのBメロの部分をちょっと変えました」ぐらいのことまでグループLINEで送ってくるわけ(笑)。何かに突き動かされているっていうか、自分に降りてきたものはひとつもこぼしたくないっていうような気持ちがLINEの文章に溢れてるんだよ(笑)。

ーーいいですねえ(笑)。デモ音源を聴けばわかりますが、音だけだったら原さんが全部ひとりで出来るわけじゃないですか。つまりソロ+サポートでいい。そこであえてバンドにしようと思った理由はなんですか。

原:やはりバンドマンだからですよ、根が。中学の時に初めてスタジオに入って、ぐっちゃぐっちゃの音だったけど、録ったテープを何度も何度も繰り返し聞いて、この世にこんな楽しいことがあるのかってぐらいの衝撃だった。大学入ってバンドを組んで、初めて人前で演奏して、全然自信なかったけどアンコールがかかるぐらいウケて。僕は人生で初めて人に認められたんですよ。もうその瞬間『ブルース・ブララザーズ』でジョン・ベルーシが神の啓示を受けた時みたいに……

茂木:ピカーッと光って(笑)。

原:まさにまさに。そういうのが原体験としてあるんで。やるならバンドっていう。やってみたらやっぱり面白い。10年ぐらいひとりで作ってたんでね。

ーーバンドの魅力って何ですか。

原:やはり人間です。もう完全に人間関係ですね。俺にとっては。ただいればいいってわけじゃなくて、やはり欣ちゃんだから、tatsuだから、大森君だからっていうのを、今のバンドですごく感じます。

ーーバンドをやりたい、そこで一緒にやるメンバーとして真っ先に頭に浮かんだのが茂木さんだったわけですね。

原:そうですね。やりたいことは何となくイメージとしてあったんです。ヒップホップが好きだから、それをバンドで消化して。いろんな音楽が好きなのでいろんなことを、なおかつそれがバラバラになんないようにやりたい。そういう時に頼りになるといえば、やっぱり欣ちゃんだった。フィッシュマンズもスカパラもずっと見てきたし。でも一緒にバンドを組んだことがなかった。それも大きな理由ですね。

ーーバンドといっても、いろんなやり方があったと思うんですよ。KING BEESやThe 3peaceをもう1回やってもいい。でもそこは新しいバンドを組みたかったんですね。

原:そうなんですよ。語弊があるかもしれないですけど、僕は思い出す作業っていうのをしたくなかったんです。何にもやりたいことがなかったら、それをやっていたかもしれないけど、バンドをやりたいと思った瞬間に、イメージがいっぱいできちゃったんですね。例えば今なら今の僕でしかできない、いわゆるEDM系の感じとバンドサウンドを合体するような。ディスクロージャーとかが好きなんですけど、それに生楽器を入れてミクスチュアして、バンドにしか出せないグルーヴと、打ち込みのDJにしか出せない音圧感が合わさったら面白いな、と思って。そういうイメージはパッと浮かびましたね。まだ曲はなかったですけど。

ーー欣ちゃんとしては原さんから声がかかって、どう思ったんですか。

茂木:いやもう、面白そうなことが始まるかなという。僕KING BEESのライヴの記憶って結構残っているから。去年の記憶より30年前の記憶の方が鮮明だったりしませんか?(笑)

原:(笑)

ーーああ、若いころに経験したことの方がね。

茂木:そうそう。そっちの記憶って引き出しをノックされると、結構鮮明に蘇ってくるじゃないですか。物持ちのいい僕としては昔のライヴテープとか聴いてさ(笑)。

原:tatsuが同じようなことを言ってたね。

茂木:あのKING BEESの原くんだし、どんなことになるのかなあと思った瞬間に、もうデモ音源が15曲ですよ(笑)。作曲家だから思い描いたことをデモ音源にするスピードがめちゃくちゃ速いんですよね。バンドやるって決まって3ヶ月で15曲(笑)。ぶっ飛びましたね。

ーーそれも単なるギター弾き語りのテープとかじゃないわけですよね。

茂木:完璧に打ち込まれて。曲がこういうこういうムードになるっていう、いわば匂い付きのデモテープが15曲ぐらい一気に届いて。で、どれもいい曲なんですよ。

ーー私もデモ音源の何曲かを聴かせてもらいましたが、あの完成度のものがいきなり届いたわけですね。

茂木:相当鍛えられたということは言ってたけど、鍛えられたことがこういう実の結び方をしているんだと思って。

ーー昔のKING BEESの頃の記憶はあるにせよ、そこから30年はたっているわけで、その間のブランクは当然ある。でもそれをデモテープが一気に埋めてくれたわけですね。

茂木:埋まりましたね!一番違うのはラップやってるってことだったけどね(笑)。歌じゃなくてラップ。でもそのラップも「なんとなくラップやってみました」っていう感じじゃなくて、もう当然ラップやることが決まってますという雰囲気でデモテープがどんどん届いてくるんですよ。今日このインタビューやるまで、何でラップなのって聞いていないんですよ。ホントに当たり前のようにラップやってるから、そこに何の疑問も抱かせない。さっきも「突き動かされてやっている」と言ってたけど、そこにもう何の迷いも感じてないんだろうなと思って。

原:いや、でも迷いはね、最初はあった。

茂木:あったの?

原:だって10年以上バンドやってないんだから、バンドのやり方を忘れてるんですよ。でも何かがやれって言うからさ(笑)。CLUB Queの店長に聞いたんだよ。バンドってどうやってライブやるんでしたっけって(笑)。なんかもう全部忘れてて。

すごい本気の「LOVE & PEACE」の曲ばかり

ーー歌じゃなくてラップにしようと思った決め手はなんだったんです?

原:歌が下手だと思ったからです(笑)。

茂木:へえ……

原:作曲すると仮歌を入れるんだけど、僕はそれにジャッジがすごく厳しいんです、ピッチとか。そういう目線で自分の歌を聞くと、酷いなと思った(笑)。自分で自分にダメだししちゃう。でもラップはそうじゃない。パンクとラップ、ヒップホップというのはピッチとか、そういうことじゃないだろうと思うんですよ。たとえばパンクは、ギターヘタクソでも言いたいことがあればやれ!というのが俺にはあるんです、原体験として。ヘタクソでも言いたいことがあれば、という世界。ヒップホップだって、そもそもが貧しい子たちが楽器弾けなくても、親のレコードの間奏部分だけを繋いで言いたいことを言うという、そういう音楽なわけで。だから僕はラップに関してはうまいとかヘタとか全然気にしてない。言いたいことがあれば韻なんて踏まなくてもいいし。さっき「ラップの言葉はどうでもいい、とりあえず声を出したかった」と言ったけど、最終的には何か言いたいことがあるんでしょうね。

ーーそれは何なんですかね。

原:それは……ちょっと大きな話になっちゃうんですけど、僕はやっぱり「愛」なんですよね。僕の中の軸として、そこだけはブレないように常に思っていることが、やはり「愛」ということで。

茂木:僕もね、原くんのデモ音源を聴いて、これはLOVEだなと思いましたね。すごい本気の「LOVE & PEACE」の曲ばかりだなと。

原:愛というのはある種の波動だと思っていて。例えばその言葉を発した時も、言葉の意味よりもその思いの方が深く人に伝わるという気が僕はするんです。昔ビブラストーン時代の近田(春夫)さんも同じようなことを言ってたんですけど、要するにラップはお題目だと。それで気が楽になったんですよね。

ーーそこにこもってる念とかエネルギーとか。

原:「念」って言うとなんか怖いですけどね、はははっ!でもそれが一番大事な気がしていて、意味よりも。例えば僕はビートルズとか聞いていても、海外のヒップホップもそうですけど、本当の意味なんてわからないんですよ。ケンドリック・ラマーとかも好きなんですけど、何を言ってるのかわからない。でも何か強く感じるものがあるんですよね。

ーーなるほど。欣ちゃんの次に決まったのはtatsuさんですか。

原:実は欣ちゃんに声をかけた時には既にtatsuのことは頭にあって。彼とは一度バンドでライヴをやったこともあるし、18歳の時からの知り合いだし。

ーー大学の後輩ですね。

原:そうです。でもあまりちゃんとした話はしたことなくて、こないだ一緒に取材受けて初めて聞くような話が一杯あって。tatsuはすごいKING BEESのファンでしょっちゅうライヴ観に来てくれてて、俺が忘れてる曲名とか言ってきて。

茂木:ははは!

原:で、tatsuもやってくれると。あと、最初はギターを探したんです、ヴォーカルに専念したくて。けどなかなか見つからなくて。じゃあThe 3peaceで弾いてたし、自分で弾こうと。それから大森くんはKING BEESをやる時はまた一緒にやろうと言っていたんで、じゃあやろうよと。それでフライヤーは元フィッシュマンズで今はデザイナーとして活躍している小嶋謙介がやってくれました。

小嶋謙介デザインのフライヤーはDE LA SOUL『3 Feet High and Rising』(1989年)のオマージュ

ーーギターっていっぱいいるじゃないですか。なぜ見つからなかったんです?

原:なんかねえ、僕がやりたいのがループを多用する音楽だから、ギタリストにとってあんま面白くないんじゃないかって勝手に思っちゃったんですよね。

ーーでもそんなこと言ったらドラマーのほうが……

原:ドラムはいろんなことを僕はできると思ったんです。ループの中でもドラムを生かせると思ったし。

ーーいわゆるクリックを聞きながら叩くのに抵抗があるドラマーって確実にいますよね。欣ちゃんはそうじゃないだろうけど。

茂木:いるいる! でも僕は全然(気にしない)。デモ音源をなぞってくださいって人はたぶん僕のこと呼ばないんです。デモ音源から全然逸脱してもらっていいよっていう人が僕を呼ぶ。僕自身も元々そういう性格だから、これだったら僕のアイデアのドラミングの方が面白いよって思っちゃうタイプで。逆にこんなのどう?みたいな。

ーー俺がやればもっとカッコ良くなるよと。

茂木:そうそう(笑)。

原:そこはもう、まったく期待通り。

茂木:曲をもう一段上に持っていきたいって気持ちが先行しちゃうから。

原:だから音源がこうだったけど、ライヴ見たら「えーっ!」って驚くみたいなのを目指したいっていうか。「We Are The Good Kids」ってドラムンベースの曲があるんですけど、欣ちゃんはきっとなぞるんじゃなく、こう来るに違いないと思ってたら、まさにそう来たので、もう嬉しくて。

茂木:けっこう激しめなね。

原:そうそう。


ーーああ、あの曲はデモでもすごく完成度高いけど、これを欣ちゃんが叩いてバンドのグルーヴでやればさらにめちゃくちゃカッコ良くなるだろうってすごく見えやすい曲だと思いました。

茂木:僕もそう思います!

原:だからライヴが楽しみですね!

ーー話を戻すと、原さんが最初から15曲のデモをビシッと作ってきて、イメージも掴みやすかったと。

茂木:うん、あのね、最初に原くんから言われたのがアレステッド・ディヴェロップメントの名前で、僕にあまりにドンピシャだったんです。フィッシュマンズの初期にみんなで喋ってた頃にちょうどいいタイミングでアレステッドがデビューしてきて。あれはフィッシュマンズの本当に転換点だったから。

原:そうだったんだ。

ーー『NEO YANKEE'S HOLIDAY』(1993年)の頃ですね。

茂木:そう!あの時アレステッドを聴いてなかったら、『NEO YANKEE'S HOLIDAY』はああいうアルバムにはなってなかったと思うので。アレステッドというかヒップホップ、サンプラーの重要性っていうか。ベックとかもそうかな。あのへんのムーヴメントの影響ってすごくあったから。アレステッドってすごく手作りな……。

原:わかる。オーガニックなね。

茂木:あの手触りが大好きだったから。だからそのアレステッドって名前とデモテープの印象がピタッとハマって。

原:よかった!

茂木:あと、ちょっと初期の(エルヴィス・)コステロっぽい感じもあった。アトラクションズっぽくもあるなと。

原:キーボードね。

ーーそのへん奥野真哉くんが弾けばハマりそうですね。

茂木:そう!それでスタジオでtatsuさんと僕で初めてスタジオで音を出して。tatsuさんとは20年ぐらい前にセッションバンドでやったことあるんだけど、久々にやったらtatsuさんの音がアグレッシヴでね。当時よりも全然、前へ前へ出るプレイになってるなと。

原:確かにね!

茂木:僕、それがすごく衝撃的で、めちゃくちゃ盛り上がっちゃって。これは初期コステロがアトラクションズで暴れてたみたいにできそうだなと勝手に頭に思い浮かべちゃって。

ーー昔の知り合いに会って、昔と変わらないのも嬉しいんだけど、こいつこういう風に変わったんだ、こんな風に成長したんだと驚くのもまた嬉しいですよね。

茂木:うん、それめちゃめちゃあるよね!

ーー30年前の知り合いがまた集まったから30年前と同じことをやるのかと言ったら全然そうじゃない、30年分それぞれの成長が反映されたものに当然なるってことですね。そうでないと面白くない。

原:そうそう。小野島さんもメールで書いてくれたじゃないですか。もっと趣味的な集まりなのかと思ったけど全然違ったって。

ーーメンツだけ見たら昔の同窓会みたいだけど、実際の音は全然そんな懐古的なものじゃない。

原:それをこれからどんどん広めていきたいんです!(笑)

茂木:同窓会的なものだったら、どうかなーと思ったかもね。古い曲をやったりするのは全然OKなんだけれども、同窓会的な音になるのは多分一生抵抗しちゃうと思う。

ーーそれだとライヴ1回だけはやっても、続かないですよね、きっと。

茂木:そうそう!そうだね。今出す必然性がない音だったら出す必要はないもんね。

原:それはほんと、そう思う。

ーー原さんにも言ったんですけど、デモ音源聴いてアヴァランチーズ(The Avalanches)をちょっと思い浮かべたんですよ。

茂木:おお〜〜確かに!

原:僕、恥ずかしながらアヴァランチーズって知らなかったんですよ。小野島さんに言われて初めて聴いた(笑)。

茂木:ええ〜〜そうなの?


ーーアヴァランチーズっぽい90年代のオルタナとかヒップホップとかダンス・ミュージックの匂いがあるんだけど、でもちゃんと今の音になってて、どこか懐かしいけどすごく新鮮という。そこがすごくいい。

原:嬉しいなあ。でも今の新しい音楽に合わせにいくってつもりはなくて、僕にとって一番新しい音は何かって考えた時に、自然とこうなったという。とってつけたようなことはやりたくなかった。今はみんな忙しくて週3回4時間スタジオに入って曲を煮詰める、みたいなことができないから、デモをある程度作り込んだものにして、みんなと共有したんです。

茂木:あ、そういうことね!

原:そう。今2023年だからこそできるやり方でやったら、こうなるという。

僕たちはいつでも音楽に救われてきた

ーー今はバンドと言いながら、CD音源は作曲者が全部打ち込みで作って、バンドメンバーはライヴでそれをなぞるだけ、という例も多いけど、だからこそ原さんが作った非常に完成度の高いデモ音源ーーそれは当然、バンドで演奏することを前提としているーーを、歴戦のメンバーたちがライヴでどう表現するか、めちゃくちゃ楽しみですね。

原:僕もです!それが楽しくて今やってる。欣ちゃんのドラム、tatsuのベース、大森くんの歌とパーカッション、僕のギター、奥野のキーボード、WAY WAVEのコーラスがちゃんと絡まって一体となって、プラス人間関係というのが音に出ると思うんです。ただのヘルプのスタジオミュージシャンの集まりじゃなく、30年間いろいろな音楽人生を歩んできた者がここでこう絡まりあうという魅力があると思うんです。

茂木:人が出るよねえ。

原:めちゃくちゃ出る。

ーー昔のKING BEESの音源と今回のデモを聴き比べると、ちゃんと30年分の進化のあとが見える。あの音楽が年数を経て経験を積んでスキルを身につけると、今のThe Good Kidsの音楽になるというのが、すごく納得できました。ちゃんと繋がっている。

茂木:それは俺も思った!すっごいわかる。アレステッドっていうかスライ&ザ・ファミリー・ストーンみたいな、ソウルっぽいというか集合体? ファミリーっていうかコーラスの女性も含めてチームみたいな感じなんだよね。

ーーポップなP-ファンクみたいな。

原:あっ、それいいですね(笑)。

ーーあまりくどくないP-ファンクっていうか(笑)。

茂木:あはははは!

原:やり過ぎないP-ファンク。

茂木:それはいい表現ですね!

原:もう音楽に全て持っていかれちゃうんだよね。”One Nation Under A Groove”なんだよ。一度グルーヴが始まったら止まらないっていう(笑)。


ーージョージ・クリントンも、たぶん音楽やってない時は普通のおじいさんだと思うけど、一旦ステージにあがるといきなりエネルギー注入されたみたいに元気になって、いつまでもやり続けるという(笑)。

茂木:いやもう、俺はすでにそこで救われているというか、本当にいつも朝起きるとがっかりするぐらい元気がなくてさ(笑)。今日リハーサルだけどどうしよう?とか思うんだけど、本当にドラムの前に座ると信じられないぐらいエネルギーが湧き出てくるんですよ。リハーサルでもライヴでも。ほんと音楽ってマジックだと思うよ。

原:そんな話を帰りのタクシーの中でしてさ、翌日書いたのが「Music Power」という曲ですよ(笑)。

茂木:それをすぐ曲という形で置き換えられる才能ってやっぱすごいよね!

原:そういう人の言葉に敏感なところはあります。

ーー原さんの中には長年のキャリアで引き出しがいっぱいあって、きっかけひとつでどんどん引き出されるってことですよね。

茂木:だからたまたまマンションが隣同士だった偶然というのは、バンド結成を決意させるに十分だったということだよね!(笑)。それをああ、そういうこともあるよね、で終わらせるんじゃなく、これは何かの大きなサインなんだって捉えられるかどうか。

原:ああ、なるほどね。

ーー優れた作家というのは、普通の人だったら何気なく見過ごしてしまうような、そういう兆しとかサインをパッととらまえて、自分の創作のきっかけにするという資質があるってことでしょうね。

茂木:俺なんかもさ。ドラムを始めたのは本当にただの勘違いでさ……。

原:でもその勘違いが、いろんな人を幸せにしている。

茂木:うん。その勘違いが兆しだと思って信じられるかどうか。原くんも僕も、兆しだと思って信じるタイプなんだよね。

原:無意識にそう思っちゃったんですね。

茂木:だからブルース・ブラザーズみたいに「光が見えた!」って閃いたんだよ!(笑)。

(2023年5月19日・渋谷にて)

2023年7月8日(土)東京都 下北沢CLUB Que 開場/開演 18:00(SOLD OUT)

THE GOOD KIDS(原広明[Vo, G] / tatsu[B / LA-PPISCH] / 茂木欣一[Dr / フィッシュマンズ、東京スカパラダイスオーケストラ] / 大森はじめ[Perc, Cho / 東京スカパラダイスオーケストラ] / WAY WAVE[Cho, Vo])guest:奥野真哉 [kbd / SOUL FLOWER UNION]
DJ:8ronix

7月8日(土)CLUB Queでのファーストライブチケット完売に伴い、リアルタイム配信が決定!

「bitfan」にて、4月16日(日)~7月8日(土) 17:00まで視聴チケットを販売。↓

※ライブスタート~ライブ終了までの19:00~21:30予定、アーカイブ無し
配信チケット料金:3,675円



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