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平気で生きるということ(β)のお知らせ(有料マガジン)

愛情に関して育ちの良い人は、基礎体力がちがう。
「傘をひらいて、空を」 2013/8/20, 槙野さやか)



いわゆる精神的に健全に育って、健全に生きている人を、そうでない側から見たときの感情としてこの言葉ほど適切なものはないと思う。体力が違う。

愛されて育った人は、適度に自分を愛し、余裕があって、そのぶん他人に自然に気をまわして、自然に愛されて暮らすことができる。自分の好きなことを自分の意志でして、そのことに満足しているので、他人に多くを求めないし、むやみに怒ったり嘆いたりしない。どんな人にも最低限の、普遍的な愛情を持って接することができるし、悪意や濁った感情に対しては適切な距離を保つこともできる。

一方、そうでなかった人は、いつも自分の存在基盤がゆるがされるのを感じながら暮らす。あのときあの人はあんなことを言っていたけれど、ほんとうはどういう意味なのだろうとか、怒っていたのではないかとか、自分は嫌われているのではないかとかあれこれ心配する。人と会って話したことを振り返って、どうしてあんなことを言ってしまったのかと後悔したり、過去の失敗を思い出して声をあげたり、わけもわからず誰かに責められているような気持ちになったりする。だから、傍から見るとほとんど大したことはしていないのに、ごそっと体力を持っていかれて、慢性的に疲れていたりする。

この二つのタイプの人の世界は同じところにありながら並行していて、あまり交わることがない。だから、生きているのが特に辛い人がつらいとこぼすと、みんなそんなものだという言葉が返ってくる。けれど、愛されずに育った人の苦痛は喜怒哀楽の範疇になくて、時に生きることは続けられるわけのないことを続けて行かなければならない感覚を伴う。逆に、生きることに喜びを感じられる人は、そうでない人を愛し、手を差し伸べようとするけれど、「そうでない人」は自分を救ってくれそうな人に全てを求め、そうならないことに憤ったり、「育ちのいい人には分からない」と拗ねてしまったりする。

そういう意味では、愛されて育った人は幸せな人生を送るレールに乗っているとも言えるし、そうでなかった人は不幸な人生のレールに乗っているとも言える。そのまま何も起きなければその通りになる。問題は、このレールを途中からスイッチできるのか、ということだ。



個人的には、「存在基盤が揺らいでいる人」として生活する中で、微細なものまで含めると書ききれない量でこういう問題は常に起きていて、自分だけ何かがズレているような、みようみまねで生きていて、本物ではないような感覚はだいたいいつも伴っていた。しかし、生活するうえで些末な問題にいちいち構っていられないという思いもあったし、どんな人もある程度は苦痛に耐えながら生きているのだから、喉元過ぎれば何とやらで丸く収まるだろう、と考えて放置していた。そしてそのずさんな対処が祟って、ついに体と心が全く動かなくなったのがこの数年の間の出来事だった。

「平気で生きるということ」という文章を書き始めたのには、まず自分が動くための理屈が必要だったという事情があって、今でも根本的な考えはこの頃に書いたものと全く変わっていないが、この文章を書き終えた時点では「大丈夫な人」と「そうでない人」の差がどういうものであるのかについての核心に触れられていなかった。今にしてみると、この文章は「完結」したというよりも「中断」したといったほうが正直だったかもしれない。

これから、「平気で生きるということ」という文章を再開する理由は、中断している間に読み散らかした本や、生活の中の観察の積み重ねで、ようやく「生きづらい」考え方の根源を体系だてて説明できる準備ができたと感じたからだ。

冒頭で言ったように、生きづらい人というのはほとんど、愛されずに育ったか、愛に欺瞞や暴力を混ぜて育てられた人だということになる。そして、愛されずに育った人は、愛されて育った人が無意識に知っていること、つまり「私は誰にも責められずに生きていられる」という感覚を後天的に、意識的な過程として身につけなければならない。そして、このためには色々な知識とそれをふまえた実践の積み重ねが必要になっていくと思う。

これから書く文章<平気で生きること(β)>の目標は、何よりもまず「人はどのような人でも生きていてよい」という自然な存在感覚を身につけること、そしてその次に強迫や抑圧によらず、健全に欲望し、自分自身の幸福を願う気持ちを取り戻すことにある。



マガジンについての案内


・なぜ(β)がついてしまったのか

筆者は、以前に書いた「平気で生きるということ」という文章は未完成だったと考えています。「平気で生きる」という難しいことを考えるにはまだ知識や考察が不足しており、改善や追加を重ねていく必要があります。だから、前よりさらに段階が戻ってしまったという意味でベータ版を意味するβ記号をつけました。

・お願いしたい支援

購読、サポート、感想をいただけるとありがたいです。特に、自分の人間関係、家族関係と照らし合わせていただけると助かります。また、もしも文章を読んで有用だと思った場合、引用や共有をしたり、他の誰かに勧めていただけるとなお嬉しいです。

・料金形態について

有料マガジンです。継続の購読は月額300円で、記事数は8記事、うち少なくとも4回は「平気で生きるということ」本題の文章で、残りは未完になっている「資本主義ゾンビ」、その他時事的な話題を扱う予定です。こちらは筆者をサポートするような感覚で利用していただければと思います。

また、この文章は非常に長いものになる予定ですが、早期アクセス版のような形で「平気で生きるということ」本題の文章については買い切りのマガジンを用意します。1500円でスタートし、一定の長さを超えた段階で記事数に応じて値上げしていく予定です(追加の料金はありません)。

無謀な試みではありますが、温かく見守っていただけると幸いです。






当面の予定


・抑圧と無意識について

精神的なつらさを軽減するのに役立ってくれる「無意識」という尺度について、これから前提にするところを簡単に説明します。

・愛情形成と存在不安について

「私は生きていてよいのか」という自責的な疑問はどこから来るのか、そしてそれを持たない人はどういうふうに育てられたのかについて考えます。また、私に「とりえ」がなければならないと考えている人の問題行動について。

・交話的コミュニケーションについて

「意味のない会話」が担っている大切な役割について。

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