日記~さらばイケメンDr~
「そういえば、僕、今月いっぱいでここ辞めるんです」
「えっ、そうなんですか」
アクリル板を挟んで、私と先生は見つめ合った。
思いがけない言葉に、私は動揺していた。動揺しながら「そういえば」ってなんだよ、「そういえば」で始める話じゃねぇだろ、と思った。
「来月からは別の先生が担当になります。もし病院を変えたければ紹介状を書くことはできますが、どうしますか?」
必死に動揺を隠しながら、考えます、と答えた。
それが二週間前のこと。
先生というのは、私が通っている精神科の担当医である。通い始めてから約半年しか経っていない。人見知りの私は、彼と話すのにようやく慣れてきたところだった。
推定年齢三十代後半。イケメン(マスク姿しか見たことがないのでマスクイケメンの可能性はある)。ジェル系の整髪料を使っていると見えて、髪がツンツン艶々している。色黒(初対面で「先生、それは日サロですか?」と聞きたくなったのも記憶に新しい)。
まぁつまり見た目はなんかチャラい。あといつも炭酸水飲んでる。
私が精神科に通っているのは、上司の勧めがあったからだ。職場の面談にて不眠を発端とした体調不良を訴えたところ、病院に行けと言われたのである。
正直、そんなことよりも二十四時間勤務を減らしてほしかったのだけれど、「病気になったら教えてね」というようなことを言われて面談は終わった。
私は病気になりたくないし、安易に薬を飲みたくなかった。そこで栄養療法に重きを置いている精神科を探し、イケメンDrのもとへたどり着いたのだった。
通院実績を作りつつ、栄養面から疲労軽減・体調改善を目指す。ついでに眠剤を処方してもらう。この病院に通うことは、今の私にとって最善の道に思えた。
担当医の見た目のチャラさに初めはかなり警戒心を抱いていたけれど、意外なことに今まで会った医師の中で一番相性が良かった。
押し付けたり決めつけたり説教したりしない、そして無理に踏み込むようなこともしない。できる限り抗不安剤の類に頼りたくないという私の意志も汲んでくれた。
精神科医としての彼の手腕はよくわからないけれど、私には丁度良かった。だから、退職を告げられた時に動揺してしまったのだ。
そして今日、再びアクリル板を挟んで向かい合った先生が言った。
「僕の診療は今日で最後ですが、当院の別の先生に引き継ぐ形で大丈夫ですか?」
「はい」
「わかりました。今までの流れと治療方針は伝えておきますね」
「お願いします」
今日で最後かぁ、と思いながら、なんとなく聞いてみた。
「先生は、別の病院に行かれるんですか? もしかして開業されるとか?」
「いえ、こういう対面での診療からは退きます」
「あ、そうなんですね~」
「この病院でも栄養指導に力を入れていますが、もっと突き詰めて――」
何がスイッチだったのか全然分からないのだけど、今後の仕事の展望や夢について語り出した先生は止まらなくなった。
要するに、保険診療では出来ないもっと根本的なところから健康をサポートする仕事、栄養学に則って健康な体作りができるような仕事を、健康意識が高い富裕層向けにやっていきたい、というような話だったのだけれど、「長々話しちゃってすみません」と途中三回ほど謝りながらも熱く語り続ける先生を見ているのが面白くなってしまい、煽るために合いの手を入れまくってしまった。
「応援してます。頑張ってくださいね!」
という私の言葉で診察が終わる。普段の三倍くらいの時間がかかっていた。
流石に照れくさそうな表情に見える担当医に「今までありがとうございました」と頭を下げて部屋を出る。
最後にいいもん見たな、という気持ちと、最後まで心は開けなかったな、という気持ちを感じながら帰宅した。既に動揺は無い。元担当医に幸あれ。