感嘆詞

日本語には感嘆符がない。
いやゆるビックリマーク。
いつの間にか定着して、LINEやらメールやらでも最近ではビジネスメールなんかでも使われる。
強調するときなんかは当たり前に使われる。

つまりは日本語は修飾詞や感嘆詞で対応してきた。
本来は文章そのもので強調が可能ということ。
或いは助詞のバリエーションが多いのかもしれない。
意外にビックリマークなしで、文章を組み立てようと思うと、様々な手法を探しながらになる。
ありがとうございます!!なんて、どうしたらいいかなあと考えると中々難しかったりする。

台本だとか脚本というのは特殊な文学で、登場人物の台詞が中心になっている。
だから口語体というものを強烈に意識することになる。
そう思って日常会話を聞き入ってみるととてもじゃないけど台詞に出来ない言葉が多いことに気づく。
特に感嘆詞の数の多さに驚くことになる。
シンプルに合いの手のようなものも、実は日常会話にはたくさん含まれているからだ。

何度も推敲して、血を吐く思いで書かれた台本。
中には、1文字一句変えないで欲しいという脚本家がいるのは当然のことだと思う。
ただ一方で、俳優には俳優の生理というものがある。
どんなに口語を意識しても、書かれた言葉を肉体を通して口語にする俳優は、日常会話との違いとの違和感との戦いがある。
細かい部分はやりやすいように変えてもいいですよという作家はそこを理解しているのだと思う。
特に言葉だけで、休符やブレスマークなどの譜面的な要素が少ない日本語では、例えば興奮して鼻が鳴るような表現をアドリブといえのか、演技というのか、難しいものがある。

ああ。
この誰もが口にする二文字の感嘆詞。
恐らくはそこに全てがある。
この二文字に俳優は四苦八苦する。
ああ。が、はあ。になることもある。
書かれていないのに、ああ。と出てしまうこともある。

感嘆詞は難しくて美しい。
感情の文学表現だ。
ビックリマークだけじゃ表現できない。
日常会話を意識して聞いていればわかる。
僕たちはたくさんの感情表現を無意識にしている。

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