オリジナル・ブレイン
機動戦士ガンダムの第一話でアムロ・レイはマニュアルを読みながらガンダムを操作してザクを倒した。
元々、ガンダムを設計した父親のコンピュータを盗み見ていたし、ペットロボットを自作してしまうような設定だったからありえるように思えるけれど、やっぱりそれは無理があるといえばあったわけで、マンガならではの荒唐無稽というやつだよなとあえてそこは誰もがスルーしていた。
でもどうやらそれは無理がない当たり前のことになりつつある。
人工知能、AI。恐らく今年はいずれAI元年と呼ばれる年になる。
難しい設定や操作の部分は全て人工知能に任せてしまえば命令だけでロボットを動かせるようになるであろうことはすでに理解できるようになった。
自動車も自動運転技術がどんどん発達しているし、絵を描いたり、小説を書いたり、もう遠くない未来に人工知能が当たり前になる時代になった。
技術の近代化の本質とは増幅なのだと思う。
アンプが音楽を変えたように、音を増幅し光を増幅し熱や冷却や様々な化学反応を増幅することで僕たちの生活は劇的に変化してきた。周波数の増幅はやがてデジタル化にまで進んでいく。
こうして夜中にパソコンでnoteを書いていられるのも科学技術の発達のおかげなのだから、別に文句があるわけではない。
幕末期、長州藩の高杉晋作は奇兵隊を組織した。
それまでの戦は侍という戦闘するための専門職の専売特許だった。
西洋銃が手に入ったことで、身分など関係なく、年寄でも子供でも農民でも引き金さえ引けば戦うことが出来るようになった。
火縄銃のように、火薬を込めて、弾を込めて、火縄の火を絶やさず、筒の煤を取り出しながらというような専門知識さえいらなくなっていた。
絶対に倒れるはずのない幕府は惨敗するようになった。
科学技術の発展で、侍という専門職の存在感がどんどん薄れた。
これは何も侍だけじゃなくて、多くの職人と呼ばれる人たちが科学技術の発展で必要とされなくなっていくということを示している。
街の写真感がデジタルカメラの普及で消えていったように。
街の本屋さんがamazonの普及で消えていったように。
科学技術の発展と進化は便利さと同時にそれまで専門でしか取り扱えなかったものをインスタントに取り扱えるように質的な変化を生み出していく。
ウクライナでもタブレットで照準を選べば、スイッチを押すだけで正確に追尾するミサイルが撃てると報道されている。近代化された兵器は誰にでも扱えるようにどんどん人工知能を取り入れていく。
技術、運動、様々なものが人工知能に置き換えられていくのだけど。
そしてそれは確かに僕たちの生活にとっては便利なものなのだけれど。
それが「思考」にまでたどりつくのはどういうことなのだろうと考える。
現代的な最大の職人はプログラマーということになるのだろうけれど、どうやらそれもかなり人工知能に侵食され始めている。コーダーと呼ばれるホームページ制作者たちは近い将来人口知能に置き換えられていくだろう。
頭脳労働まで僕たちは任せることが出来る時代に辿り着いた。
だけどよくよく考えてみれば、僕たちには生まれ持った人工知能がある。
思考など使わなくても、僕たちは呼吸をして、心臓を動かして、食べたものを消化している。それは僕たちの頭脳に、人間としての生体機能を自動運転してくれるだけの機能が元々備わっているからだ。
僕たちはそんな生体機能や本能のその上に「思考」を持っている。
逆を言えば僕たちはそもそも思考するからこそ僕たちなのだと言える。それがなければロボットとそう大差なくなってしまう。
思うこと、考えること、それが全てだと僕は思う。
想像力、それが全てだ。
頭脳労働にまでAIが侵食していく中で。
さて、僕たちは更にどうやって生きていくのだろうか。
多くのSF映画で人工知能に支配される未来が描かれてきたけれど、僕はそうはならないと思う。
科学技術は多くの職人という技能集団を衰退させていったけれど、実は完全に根絶やしになんか出来ていない。
最近しきりにマスの世界で「ジブンゴトカ」なんていう言葉が流行っているみたいでどいつもこいつも使っていてバカバカしくて笑っちゃうんだけれど、なぜそんな言葉が流行りはじめたのかはとっても大事なことだ。
まぁちなみに、すでに映画やアニメを人工知能が創るみたいな実験はかなりやられているらしいけどもね。
それに関してもニヤニヤと僕は醒めた目でみている。
そんなもんが人の心を動かせると本気で信じているのだろうか。
ハリウッドでは脚本をかなり分析してプロットの基準みたいなのがあるんだけれども、全てのヒット作がその基準通りかと言えば全然違っているわけで、じゃあ、何がそこにあるのかっていうのは誰もちゃんとはわかっていないはずだ。
多くのクリエイティブ分野にも恐らくAIが侵食してくる。
ロゴマークや、商品デザイン、工業デザインなんかはかなりのレベルで入ってくるんじゃないだろうか。それはその程度のクリエイティブってことなんだよきっと。
何もかも人工知能にお任せできるような時代になったとして。
そこに人間はどんなふうに存在しているのか。
普遍的なものなんか信じたくもないし存在しないんだろうけれどさ。
それでも人が人である限り、大丈夫だと笑っていたい。
計算外、想定外、それが「感動」なのだと僕は思う。
よくあるやつじゃないよ?
なんだかわけがわからんけど、心が震えるような奴だ。
試されているんだよ。時代に。
今、僕たちは考えることさえ機械に任せることが出来るようになる。
試されているんだよ。時代に。
今、僕たちは思うことまで手放してしまうのかと聞かれている。
思考を止めるな。音楽を止めるな。ダンスを止めるな。
心が動くことを探すんだ。
映画『演者』
企画 監督 脚本 小野寺隆一
音楽 吉田トオル
「ほんとう」はどちらなんですか?
【限定3回上映】
2023年4月15日(土)18日(火)21日(金)
各回10時から上映
名古屋シネマテーク(愛知・名古屋今池)
初日舞台挨拶あり 登壇:小野寺隆一
【限定2回上映】
2023年4月15日(土)18:30、16日(日)19:00
シアターセブン(大阪・十三)
予約開始:4月8日9時より
2日間舞台挨拶あり 登壇:小野寺隆一
◆終映◆
2023年3月25日(土)~31日(金)
K'sシネマ (東京・新宿)
出演
藤井菜魚子/河原幸子/広田あきほ
中野圭/織田稚成/金子透
安藤聖/樋口真衣
大多和麦/西本早輝/小野寺隆一
撮影 橋本篤志 照明 鈴木馨悟 録音 高島良太
題字 豊田利晃 絵画 宮大也
スチール 砂田耕希 制作応援 素材提供 佐久間孝
製作・宣伝・配給 うずめき
【あらすじ】
昭和20年春、終戦直前のとある村。嶋田家に嫁いだ3人の女たち。
血の繋がらない義理の三姉妹は男たちが戦時不在の家を守り続けている。
家長であるはずの長男の嫁、智恵は気を病んでいた。
三男の嫁、恵美は義姉を気遣う日々を送っている。
次男の嫁、陽子は智恵がおかしくなったふりをしているのではと疑っていた。
やがて魔物が再び女たちの前に現れる。
世界は反転して、演技は見抜かれる。