見出し画像

春待月

明けて226か。
なんか毎年226かって思う。
二・二六事件を舞台で演じた時に墓参した。
その時のイメージが強烈に残ったままだからだ。

2月というのはただでさえ短い。
今年はうるう年で一日多いけれどさ。
それで祭日なんか増えた日には色々なことが起きるだろう。
例えば通常の平日稼働の会社は営業売り上げが落ちたりするはずだ。
そんなに変わらないよという業界も多いのだろうし。
逆に祭日が増えれば売り上げがあがる業界もあるだろうけれど。
いずれにしても短いなぁといつもこの時期に思う。

なんでそうなったかはちゃんと理由があるのだろうけれど。
なんとなく春が待ち遠しくて短くなっちゃったって思ってる。
なんかそんなふうに考えた方がほんわかしてるじゃないさ。
1月と3月が31日間なのになんでだよ案件なんだけどね。
それでちょっと平均化しましょうとか言われると誕生日がなくなっちゃうのでそのままでいいです。
春が長いほうがいいじゃんみたいなことでいいです。

女子サッカーのワールドカップ予選だかで北朝鮮選手団が日本にやってきたという報道をみかけた。
皆、マスクをしていた。
そっか、ウイルスが国内に運ばれないように最後までかなり厳しい処置をしていたもんなあ。
なんて、思いつつ。
スポーツの凄味も感じる。
北朝鮮の映画だとかドラマだとか音楽だとかが日本に入ってくることはほとんどないわけで。当然、日本の文化もほとんど伝わらないだろう。
今は入国も禁じられているというような状況。
そんな状況でもスポーツだけは特例で対応している。
そしておそらくその試合中継も流れるのだろう。

第三国を通じた様々なチャネルでの交流はあるのだと思う。
完全な没交渉であれば今よりももっと酷い状況のはずだ。
それに北朝鮮のニュースも流れてくる。
その中でもスポーツという分野のチャネルは凄いのだと感じる。
政治とスポーツは切り離して考えるべきだと僕も思うけれど、政治的な判断があって初めて特例が生まれるわけで、それはやっぱり重要なことなんじゃないだろうか。
まぁ国際試合はナショナリズムの高揚なんかもしちゃうから難しい部分もあるだろうけれど、没交渉よりは何百倍も良いのだろうと思う。
敵としてみていたとしても、幼い頃から国際試合で何度も顔を合わせている選手たちだっているだろう。

二・二六事件か。
様々な説があるし、参加した将校それぞれの視点があるけれど。
理由の一つが、軍国化して戦争に向かおうとする国を止めたかったという将校もいたのだという。昭和恐慌での貧困に対する政府への不満も大きな要因の一つだった。雪の中、若き将校たちはクーデターを諮った。彼らなりの正義感で。
色々と都合が悪いこともあるから多くの事実が隠蔽された。
戦後の研究で少しずつ明らかになっていっているけれど。
ただの不届き者たちのクーデターだとテロ行為だと報じられた。
思い返すたびになんともやるせない気分になる。

見えないことは多い。
隠蔽されるもの、交渉のないもの。箱の中身。
変わらないのはそこに人がいることで、人がいればそこに想いがあることだ。

そしてきっと誰もが春を待っているんだってことだ。

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。