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暖かい日差しの中で

何かを買うつもりだけれど何を買うか決めないまま街に出る。
起きたそばから唐十郎さんの訃報を目にした。
同時代を生きた寺山修司さんと同じ命日だという。
直接は客席からしか観たことがなかったけれど、間接的にはなんだか色々な人と接点があって、それだけ多くの人と出会い影響力があったということ。
直接の知り合いではないというのにはっきりとした喪失感を感じていた。
街に出て色々なお店を冷かしながらその喪失感の正体を探していた。

特権的肉体論。
唐十郎さんが掲げた演劇論だ。
アングラの世代は一演出家、一演劇論のような時代だった。
劇団同士での役者の貸し借りやら客演なんてなかった。
一人の演出家が同じ劇団の俳優たちと一つの演劇論を探求した。
その演劇論を実践するために作品は書かれた。
作家と演出家が同じという日本の小劇場演劇界のスタンダードを作ったのはアングラ世代が既存の演劇を脱却するために、新しい演劇論を探したからだ。いや、演劇論ではなくて演技論だ。新しい演技を探すために思考し実践し、結果的に新しい劇空間を生み出し続けた。結果的に演劇論になった。
唐さん、寺山さん、太田省吾さん、金杉さん。次々とアングラ世代の演技論を追い求めた演出家が旅立って、鈴木忠志さんは今頃、何を思っているだろう。

今、独自の演技論を持って劇作している演出家はどれほどいるだろう。
その演技論を実施するためだけに集まる俳優なんてほとんど存在していない。
劇団はいつの間にかプロデュース集団になって作風を競うようになった。
残っているのは平田オリザさんぐらいだろうか。
いやきっとどこかには存在しているのだろう。

唐さんの特権的肉体論はそんな演技論の中でも、安っぽい言い方をすれば一番ド派手な演技論だった。土の匂いがして、歌舞伎のような外連味があって、日本人の祭りで生まれる色気のようなものがまぜこぜになってた。日本のPUNKSだった。
十代だった僕は何度も意味不明だなあと思いながら繰り返し読んだ。
僕の頃には太田さんや鈴木さんの演技論と比較しながら読むことが出来た。
僕が演劇を始めた頃はすでにアングラは下火だと言われていたから、すでに書籍が出揃っていたし、冷静に比較することも出来たのだ。
そして僕は結局、何一つ自分独自の演技論のようなものを見つけることが出来なかった。
ただ理解しようと必死になるだけで精いっぱいだった。
憧れて、学ばせていただきました。感謝。

結局、街に出たものの何一つ買わなかった。
ただヒントのようなものはたくさん拾い集めた。
今日買わなくても、後日お店に立ち寄ってもいいし、今はネット注文だってあるのだから無理することはないかと決めなかった。
要するに優柔不断なだけなのかもしれない。

唐十郎さんの生み出したものはあちこちに息づいている。
大なり小なり影響を受けた人たちが様々な作品を今も創作している。
アート、音楽、映画、ファッションに至るまで。
そんなことを言ったら唐さんだって誰かから影響を受けたんだけどさ。
不思議なことだなぁって思う。
人は血が繋がってDNAを運んでいく舟のように言われることがあるけれど。
知が繋がってゆく文化という大系も持っている。
それは影響だから家系図なんてなかなか書くことも出来ない。
反面的な影響で逆相が生まれることだってあるのだから。

夕方になっても半袖でも平気だった。
季節の変わり目や、急に寒い日、急に暑い日に訃報が多いのだという。
気候が変化すれば肉体も変化する。エネルギーを使う。
だというのに、一番すごしやすい春の中頃に多くのアーティストの命日が集中しているような気がするのは何故なのだろう。
暖かい日差しの中でフェイドアウトしていく命を想った。
この喪失感の正体はわからないままだ。

いつか舞台の上で感じた。
これが役者の持つ特権的な瞬間というやつかと。
頭だけでは理解できないことを肉体が理解した。
そして理解したそばから、あっという間にその感触は消えてなくなった。
理解したはずなのに、理解する前に戻っていった。
ああ、そういうことか。
ああ、そういうことか。
だから特権的なのだ。

かなうわけがないし。
喪失感を消せるわけもない。

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