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心理陽動の法術

恐ろしい暴力のニュース。
今は助かることを祈るしかない。
早速、デマの類も大量に流され始めている。
テロの未遂も含めて、いくつこんなニュースが続くのか。

江戸時代末期。
安政三年、桜田門外の変が起きた。
大老の井伊直弼が雪の中で襲撃、暗殺された。
幕末の志士たちはこれを天誅と呼び、拳を上げた。
それを皮切りにしばらく京都を中心に日本中で天誅の嵐が吹く。
長く鎖国であった日本という国を黒船で脅してきた諸外国に弱腰であった政治家や学者、貴族たちにテロ行為が繰り返された。
本来の主であるはずの天皇家に対して無断で外交を進める幕府の行為に対して、尊王攘夷を旗印に凶刃を振るい続けた。
そのニュースは毎日のように報道され続けた。
幕末の頃も同じような空気だったのだろうか。

僕が天誅という言葉が恐ろしいと思うのは、そこに意思がないからだ。
自分の意思で刀をふるうのではなく、天の意思であると明言している。
天による誅殺。神が下した罰。
それを人間が勝手に判断して勝手に遂行してしまう。
勝手なのに、これは天誅であると言い切ってしまう。
天に変わって成敗いたすなんてことは大昔から続いている。
でもそれはとってもとっても恐いことだなぁと思う。
自分の罪を軽くするためのバイアスとして神様というシステムを利用しているからだ。

神のために。
それは言い換えることも出来る。
正義のために。国のために。世界のために。組織のために。
大きな捉えどころのない概念を拠り所にして、自らの罪を軽減する。
とても信じられないことだが、たったそれだけのことで人が人を殺すことが想像以上に実行しやすくなるらしい。
逆を言えば自分の意思で自分のために人を殺害することはとても難しいことだということだ。
罪の意識は想像以上に重く、その罪悪感を乗り越えるためのシステムが衝動を除けば必要になる。個人的な欲望や憎悪ではよほど追い込まれない限りはとても難しいのだという。
それをあっけなく乗り越えてしまう。

日本もここ数年で二人の首相が襲撃された。
そして一人は命を落としている。
今回は海の向こうの事だけれど、他人事には思えない。

民主主義の弱点は、もっとも強い権力を民意が持っていることだ。
だから民意を動かすことが出来るマスコミが大きな権力を持つ。
だから敵対国が分断工作を仕掛けることが大きな意味を持つ。
民意誘導をして分断に拍車をかけていく。
政権は不安定になり国内世論で国際政策が左右されてしまう。
冷戦時代はまだそんな分断工作も地下が多かったけれど、インターネットが生まれた今は全世界規模でSNSやニュースサイトを使って目に見える場所で展開し続ける。

試されているような感覚だ。
大きな概念がそこに横たわっている。
これに命を懸ける人がいる。お前はどうする?
そう言われているようなおかしな錯覚を感じる。
どうもしねぇよ、なんで神様のために生きなくちゃいけない?
僕は天に唾を吐くけれど、顔にそのまま落ちてくる。
仕掛けられた分断を僕はどこまで見抜けているのか。
個人の心に仕掛ける悪意。

重要なことは暴力を否定して。
被害者の無事を祈ること。
それだけだ。
それ以上の言葉には魔法がかかってる。

投げ銭は全て「演者」映画化計画に使用させていただきます。