見出し画像

10/15

きりのない掃除。少しずつきれいになってはいるのだけど、モノが雑然としたままなのではっきりとは分からない。

朝から雨。

家の外から警報装置の音がやまず、のちに消防車のサイレンが聞こえてくる。近いだろうか。先日もかなり近くまで聞こえて、一瞬ひやりとしたが、そのまま遠くへ走っていたような出来事があった。

ながく同じ場所に住んでいるので、ぼや騒ぎが住まいの目と鼻の先で2回ほど起きたこともある。お隣さんではなく、数軒先の建物で、被害も恐怖心もなかったものだが東京の密集度からすればそれも不思議なことではないのかもしれない。

きょうはまだ家から一歩も出ていないと思いつつ、図書館へ捨てるべき乾電池のビニール袋をつかんで外へ出てみる。(乾電池の回収ボックスがある)

すると消防車の音はぱたっとその瞬間に鳴りやみ、どの方向から鳴っているのか検討もつかなくなる。警報装置の音がかすかに聞こえるが、図書館へ向かう道中、曲がり角を曲がるたびに遠くになっていく気がして、とうとう聞こえなくなってしまった。火元から離れていくという意味では正しいのだけど、野次馬になりそこねたことに、本当にこれでよかったのかと考えてしまう。何があるわけではないだろうが。

図書館へのエレベーター内の鏡をみてぎょっとする。着の身着のまま、というか。前髪をぱちんと止めたまま、髪の毛がぼさぼさだった。すれ違う人よ、野次馬ファッションをもっと奇異なものを見る目でみてくれてもよかったのでは。

本棚と本棚の間を、パーカーのポッケに手を突っ込みながら、うろつく。何が読みたいんだろうかと。こんなことなら乗代雄介氏の読みかけを持ってきてもよかった。

宇佐美りん著『くるまの娘』を読む。

父方の祖母の葬儀に出るために、両親と車中泊して栃木に向かう女子高生・かんこ。家を出て結婚している兄夫婦や、今は一緒に住んでいない弟とも合流する。かんこは、あたたかな地獄で暮らしている。

けっして長い話ではないのにずっと前から知っているような家族の話。娘が両親のもとを離れられない理由にあげた「すがる」という単語が表現として印象深い。

メリーゴーランドのシーンは張り裂けそうに切ない。あの一瞬一瞬がスローモーションのように見えるのが本当に素晴らしい。

乗代さんの本をひととおり読めたら次は金原ひとみさんを読みたいかなあ、と想像。

すっかり雨があがっている。15時をまわった日が、空を高く見せる。きれいな青空だった。

乾電池を捨てたらビニル袋が手元にのこっていたので、かえりみちに八百屋へ。声が大きいのはいいことだけど、なんというか、こう、頼りなげな中年の店員さんがいて、レジのお姉さんが業務上の仕事をはやめにとりかかったほうがいいとアドバイスしていた。「きょうは他に誰もいないんだから」と。レジのお姉さんは海外の人で、日本語をどこか関西圏のような発音で話す方なのだけど、仕事への信頼度でいえば断然お姉さんだ。きっとあの中年店員さんはレジでもエラーを起こす気がする。雨が降っていればさばけたかもしれないけど、雨上がりでは客足も増えそうだ。ただの客ながら、品出しや値下げのタイミング、彼一人でミスなくできるのか、と、余計なことを思案して帰宅。

ここまでお読みいただきありがとうございました。サポートいただいた分は、映画の制作費や本を買うお金に充てたいと思います。