見出し画像

失敗した話をするのは難しい。

僕の人生は、失敗に満ちています。
子供の頃に何か試してうまくいかなかったとかはもちろんですし、日常生活でのちょっとしたミスもしょっちゅうです。
仕事のミスで、大きな失敗をしてしまったこともあります。

そういう「自分が失敗した話」を人にするのはすごく難しいというか、勇気がいるなと思った話です。

某所で知人たちと話をしていて、「世の中では成功体験ばかりが語られていて、失敗した話はあまりされない。だからなのかもしれないけど、みんな失敗をすごく恐れてしまう。失敗を恐れるあまり行動できなくなってしまうということがあるんじゃないかなあ。」というような話が出ました。

なるほど。
と、思いました。

確かに、世の中では「成功した話」や「すごい人の話」はそここで見聞きすることができます。
書籍やテレビ番組でもそういう話を扱ったものはいくらでもあり、みんなそれにあやかろうとか、そこからうまく真似できるコツをみつけようとかいうことを思ってそれらの「成功体験コンテンツ」を消費していきます。

成功した話をするのは、実際に成功している人にとってはとても容易に見えます。
単純にそれをすることは気持ちがいいし、そこから多くの人に役立つようなコツを引き出せれば世の中の役に立つこともできるかもしれません。
場合によっては優秀な編集者でもついて書籍などコンテンツ化されれば広く世の中の人に知ってもらえて、大勢の人に褒めてもらえたり何かの分野で名声や権威を得ることができたり、人によってはそこから利益を引き出したりすることもできるかもしれません。

失敗した話は、そう簡単にはいきません。

まず、失敗した話を人にするのはカッコ悪くて恥ずかしいという思いがあります。
こんな話をしたら人にどう思われるだろうとか、こんな失敗をした人間に大事な仕事を任せることはできないと思われて仕事を失うようなこともあるかもしれません。
仕事などが関係する大きなミスの場合は、場合によっては自分が恥ずかしいとかいうだけでなくて関係する人たちに迷惑をかけてしまうなんてこともあるかもしれません。
そういう場合は、それを話すことは容易なことではありません。

一方で、人が失敗した話を聞いてみたいという思いもある気がします。
失敗した人をバカにしたいとかいうことではなくて、人が失敗するとはどういうことなのか知りたいとか、失敗からどうやって立ち直ったのかを知りたいという気持ちは誰にでもあるのではないでしょうか。
「失敗した話」を通して、失敗してもどうにか取り返す方法があるんだよとか、失敗しても別にそれ以上の問題が起こるわけではないような場合もあるんだよとかいうことを知りたい気がするのです。
そうすれば失敗を恐れずチャレンジしたり、何か物事を始める時に感じる心のハードルがぐんと下がるようなこともあるかもしれません。
少なくとも僕は人のそういう話を聞いてみたいし、それを聞いたら勇気が湧いてくるようなこともあるかもしれないなと思うのです。

それで、なぜ失敗した話をするのが難しいのかを考えてみました。
一つ思いついたのが、「人の失敗の話を聞き出してその人をバカにしたり、その人を貶めたりするヤツがいるからなんじゃないか。」という仮説です。

あるグループの中にそういうヤツが一人いると、それ以外の人は自分の失敗を話すことが怖くなります。
少しでもそういう「弱み」みたいなものを見せた途端にソイツに吊し上げられて恥をかかされるかもしれないし、グループ内での信頼を失ってしまうかもしれないからです。
逆にソイツはそうやって人を陥れることでグループ内での序列を相対的に上げて、偉そうに振る舞ってやろうとかいうことを目論んでいるわけです。

重要だなあと思うのは、この場合に損をしたのは失敗の話をした人であり、徳をしたのは失敗を追求したヤツだというのは相対的な出来事に過ぎないというところです。
実はここで損をしているのは、失敗を追求したヤツを含むグループ全員です。
この出来事によって、このグループには自分の失敗を隠して他人の失敗をどうにかして見つけて吊し上げてやろうという風潮が生まれることになります。
そうすると、実際に失敗が起こった時にもそのことをいち早く全員に共有して解決を図ろうとか、一度の失敗から次なる失敗を防ごうとかいう動機が失われてしまう事にならないでしょうか。
これによって長い目で見るとグループ全体の能力が失われ、グループ全体が少しづつ損をしていくであろうことは想像に難くありません。

犯罪になりうるようなミスや失敗を故意に隠しているような場合は別ですが、そうでない場合は人のミスや失敗をおおらかに聞いて、それがどんな出来事だったのかをみんなで考えたりできたらいいのになあと思います。
そこでは人の失敗をバカにしたり、卑下したりするヤツこそがカッコわるく見えるような場所があったらいいのに。

世界中がそんな場所になったら素敵だけど、すぐには難しそうです。

でも、なんかそういう場所とかイベントを作ったら良いのかもしれないという気もしてきました。
「お互いに自分の失敗談を話しあう会」みたいなことかもしれません。
子供相手にも、「大人だって失敗するんだぜ」というようなことを言えたりしたら、いいなあ。
人の失敗を聞いて、「僕も似たような失敗をしたことがあります」というようなことを共有できたりしたら、いいなあ、と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?