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ポルシェに乗った地下芸人.18

 話は小汚い三人に若手芸人との打ち上げに戻る。

 彼らは恥ずかしげもなく現在のテレビ番組に文句を言う。

「今のテレビは規制ばっかりで全然面白くないんですよ。」

「同じ芸人ばっかりで、全然若手を使わない。だから面白くないんですよ」

「大手の事務所に所属してる、顔が良いだけの芸人ばっかり出てるから、面白くないんですよ。」

 とにかく彼らは現在放送されているテレビ番組が面白いと思えないらしい。そのわりにはよくテレビを見ているようで、様々な番組の話をしている。

 僕はあまりテレビを見ていないことに気が付いた。もちろん意識高い系社会人の言う「私、テレビ見ない人なんですよ」とは違い、圧倒的に見ている量が少ないことに気が付いた。

 しかし、よくよく聞く「〇〇な人」という表現、僕は使わないのだがしばしば耳にする。

 「魚が苦手な人なんですよ」とか「運動とかしない人じゃないですかあ」みたいな表現を耳にする。比較的ネガティブな場合に用いられるようである。

 これは、発言者が「自分の弱点について自分自身が客観的に把握している」アピールであると僕は断定している。

 自分自身のことについて端的に述べるのであれば「私はテレビをあまり見ないんですよ」でよいわけだ。なのにあえて「テレビをあまり見ない人」という、自分の行動ではなく「〇〇な人」という種別として言及している。

 これが自分の属性を把握しているアピールでなくて何なのだろうか。故意であることが明白なのだ。

 そして、意識高い系女子にみられる「〇〇しなきゃだから」という表現にも同様の傾向がみてとれる。

 自らが任されている仕事についてあれば「〇〇しなきゃならないから」というように、理由として説明すればよい。なのに、あえて「〇〇しなきゃ(ならない状態)だから」という形で自分自身を俯瞰で見ている感を強く演出する。

 両者に共通しているのは「自分自身を俯瞰で客観的に、正確に把握できるタイプの人間であるアピール」なのだ。

 とはいえ、僕自身がそれらの表現を使う人々に対して批判的な意識を持っているわけではない。むしろ、自分をどう見られたいかという意識の高さや自己プロデュースに余念がないという点においては高く評価している。

 まあ、「高く評価している」という上から目線の表現でお分かりの通り、本音としては、皆様の想像通りである。

 そんなこんなでこの汚い三人の話を聞きながら、いろんな思いを巡らせていた。いろいろとテレビに文句を言っているようなので、僕は聞いてみた。

「どんなテレビ番組だったら面白いんですかね?」

 僕は、何かを批判する場合に必ず「じゃあ、どうあるべきか」という考えを必ず持つようにしている。一方的な批判は悪口や愚痴であり何も生まない。いや、出口のない悩みとして自分の脳にストレスを与えることで精神を劣化させてしまう。話題を共有する人たちにも同種のダメージを与えるし、同じような思考の人が集まってしまい、ろくなことにならない。

 だからこそ、彼らに聞いてみたのだ。どのような種類の人間かを確かめるために。

 「あらびき団とかですかね。」

 アキちゃんが答える。思った通りの回答だ。テレビに文句を言うわりに、既存の番組を答えてしまう。さすがキノコ頭である。

 YU-TAが答えた。

 「いや、今の番組に出たいのないんで、新しい番組とか作りたいんですよ」

  おおっ、やるやん。と僕は思った。そうだ、なければ作ればいいのだ。そういう発想こそ、芸人じゃないか。

 「具体的にはどういう番組ですか?」

  僕は目を輝かせて聞いた。

 「上沼恵美子とグリズリーを戦わせるとかですね」

 これには唸るしかなかった。なんという斬新な発想なのだろうか。その後も僕はYU-TAが語る新番組構想に夢中で聞き入ってしまった。

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