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徒然なるままに | Because the Internet

社会人なったのですけど, それと同時にSNSから一旦離れようと思うのです。写真・映像の関係の仕事や話を多く受ける媒体だった手前, なかなか離れることに躊躇いもありましたし, 現行の関係性が希薄化する可能性もあるので, 難しい判断という部分もあります。でも, それでも辞めるのにはメリットも沢山あるということで, 新社会人になる手前に改めてなぜ放棄するに至ったのか, ちょっくら共有したいなぁと思いました。

読む人も読まない人もいると思うのですけど、暇であれば参照いただければ :)


超消費的資本主義と実体

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「写像」という言葉が一昔前に流行ったと思うんですが, 個人的には今最近流行りに乗っている感じがします。意味は、

二つの集合が与えられたときに、一方の集合の各元に対し、他方の集合のただひとつの元を指定して結びつける対応のことである。 関数、変換、作用素、射などが写像の同義語として用いられることもある。 (adopted from Wikipedia)

らしいのですが、分かりやすい逸話としてシュレディンガーの猫があります。詳しい内容については、Big Bang Theoryの動画を参照していただければと思います。

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話が少し逸れてしまったのですが、今日の生活を振り返っていく中でもこの逸話が自分達に当てはまりうる可能性というのがあるのかと思いました。

これは自由意志の存在性についても触れることとなるのですが、「SNS時代を生きるというのは同時に現実世界を捨てる」という選択でもあるかのように、ふと思う時があるのです。

「ああいえばこう言う」状態な議論でもありますが、単純に現実世界を生きるということ、すなわち三次元の物質的な世界を生きる上で、二次元上の世界に身を置くことは二元的側面の中で1つの選択を強いられているようにも感じます。「アナログ」と「デジタル」の世界線で分別されている世の中ですが、デジタルには実体が存在しません。バブルの膨張のような加速を二次元的世界には感じます。

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それを可能性と人は呼ぶのでしょう。しかし、その可能性を享受することによる弊害というのは、このデジタル世界が消費構造を加速させているに他ならないような気がします。ブロックチェーンテクノロジーによる不安的な新貨幣への期待や、NFT市場の加熱など、実体を持たないものに私達は価値を見出していますが、それは実体への飽和に対する飽きなのかもしれません。

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SNSはその意味で一昔前とは異なる性質を担っていると思います。milleniums と呼ばれる世代に突入すると、それは想い出を残すものからアドバータイズメントヘと変容しているのです。SNSの実体は主に広告費によって成立しているサービス業です。それは、元来私たちが利用していた「人々を繋ぐ目的」から(サービス本来の目的である)「人々を識別する目的」へと変わりつつあるのかもしれません。

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その意味でも、私達の生活は一変したと思います。よく「働くために生きる」といった俗語が流行っていますが、「載せるために生きる」も同義のように聞こえます。だからこそ、SNS媒体を経由して経済活動をすることが少ない仕事に携わっている今、SNS自体の必要性を見失ったのかもしれません。小さい画面と睨みっこしている時間があるなら、自分のまわりの人達と関わることに集中することこそが、今の自分にとって優先順位が高いものだと思いました。

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だからといって、デジタル批判をしているわけではありません。デジタルはこれからの世界を180度変えてくれるポテンシャルを有しています。クラウドサービスが与える影響は計り知れません。私達の世界はより豊かに、そして人間らしい生活に時間を割くことができるのです。その意味でも、デジタルとの向き合い方を再定義して、そしてうまく使いこなす必要があります。Wall Streetであった1% vs 99% の世界線は、もはや金融財産だけでの格差にとどまらず、テクノロジーでも差が出るような世界が訪れるのです。その意味でも、テクノロジーを無碍にすることはしてはいけないのでしょう。

まとまってはいないけれど、だからこそ自分にとってSNSから離れるという選択は今となっては最適解だったと思うのです。

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