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結婚の話

 結婚。簡単な単語だがその内実は凄い。他人と他人の間に「婚姻関係」という明確な繋がりができる。家系図の「横線」が繋がる。二人だけが繋がるわけではない。両家それぞれが脈々と続けてきた血筋がそこで交わる。何とスケールのでかい話だ。そう考えると、コントやドラマでしか見たことがない「娘さんを僕にください!」というアレ。娘さんだけでなくもうとにかく色んなものを背負いますよ!という覚悟を示さなくてはいけないんだから、めちゃくちゃ緊張する行事だ。(これを行事と呼ぶかは知らないが。)こんなこと実際にやった人にはもう頭が上がらない。大尊敬だ。
 先日、後輩の披露宴に出席した。後輩同士が結婚したということで、一度に二人の後輩の幸せを祝える非常にハッピーな催しだった。何ならご祝儀だって二人分包んでやろうか、という勢いだった。…勢いだけだったが。とにかくそれくらい「めでたい!」と思った。ただ、新郎も新婦もよく知っているからか、会の最中に馴れ初めとかお互いの好きなところとかを聞かされるのは、何か気恥ずかしかった。「ちょっ、こんな場でそんなのろけて…みんな見てるのに…恥ずかしくないんか…!」と何故か私が照れてしまった。普通に考えればこんな場だからこそ、のろけていいのである。披露宴とは「のろけ」をみんなに見てもらう会であり、我々ゲストも喜んで「のろけ」を見に行く会なのである。新郎も新婦も何も恥ずかしがる必要などない。ましてや、一介のゲストである私が照れる必要など本当にどこにもない。まあ私は今回が披露宴デビューのオールドルーキー。初の現場に少々浮き足立っていたのだろう。今後の成長に期待である。
 話が少々ずれてしまったが、とにかく笑顔と祝福に包まれた幸せな空間だった。無論、一番幸せなのは新郎と新婦の二人だ。私はその幸せを分けてもらったに過ぎない。昔は「幸せのお裾分け」という言葉に対し、誰が分けてくれと言った?と断りをいれるような、施し無用のストロングスタイルを貫いてきた私だが、もう今となってはガンガンお裾分けしてもらって構わない。多くの人から幸せを分けてもらうことで、結果、私が一番幸せになれるのではないかとすら思っている。「お弁当を忘れた子どもが友達から一人一品おかずを分けてもらった結果、一番ステキなお弁当になりました」みたいな。ちなみに、小野家の家系図が拡がりを見せるのはもう暫く先になる。幸せを分ける側になれるか。こちらも今後に期待である。
 まあとにかく、後輩二人よ。末永くお幸せに。
 

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