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齊藤綾『母という呪縛 娘という牢獄』感想

2018年に発生した滋賀医科大学生母親殺害事件について、加害者の女性(髙橋あかり(仮名))への取材をもとにしたノンフィクションルポ。著者は1995年生まれの女性ということもあってか、シーンの取捨選択などで髙橋氏の心情に寄り添うようなものを感じた。特にLINEの文面を掲載するのは、髙橋母子の関係性が痛いくらい伝わってくる。

僕は親子関係が絡むような事件についてよく調べる。今回のような過干渉な親が遠因となった事件として、神戸連続児童殺傷事件や秋葉原通り魔事件がある。主に教育に取り憑かれた母親によって家庭が支配され、子どもの主体性が刈り取られていたケースだ。子どもの自主自立よりも優先される教育とは何なのか理解に苦しむ。
僕がこれらの事件をよく調べるのは、こういった「互いを想う善意による悲劇」は絶対に避けるべき事態と考えるからだ。
本来教育に熱心なことは悪いことではなく、むしろ子どものためを思う親心でもある。もちろん、事件の分析では「親のコンプレックスを子で解消しようとする行為」「子どもの私物化」とバッサリいかれているが、それは第三者が見たからであって、親本人は親心で動いているはずなのだ(親心という善良さで動いているからこそ、応えない子どもを悪として裁くことになる)。一方親に反抗できない子どもの方も「支配によって自己判断ができなくなった」「一種のマインドコントロール」と分析されているが、実際には親の気持ちに応えたい、喜ばせたい、という子心があるはずだ。本著でも、髙橋あかりは「もっと母親に寄り添えていたら」と殺めた相手に対する後悔を持っている。10年にわたる虐待的な仕打ちを受けたにも関わらず。
親は子を想い、子は親を想う。その果てに流血があるなんてあまりにも救いがなく、絶対に避けたい。善意の気持ちから発したと感じていても、それが良い結果をもたらすとは限らない。支配欲は愛情より強い感情かつ愛情に扮する厄介な感情だ。そのことを改めて自分に刻みつけるためにも、本著は読んでよかったと思う。

就職面接に受かったのに母親に断られた場面と、看護科に合格してしばらくは普通の母子として過ごせていた場面は、読み返しても胸に込み上げる辛さがあるので、体調の悪い時は無理して読まないことをオススメする。

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