見出し画像

私たちの楽しい「カテイ」カ?ー第2回新しいカテイカ・ミーティング

 10月26日(金)、「新しいカテイカ」の第2回ミーティングに参加してきたので、ごく私的な参加レポートをまとめておきたい。なお、この日の詳しい内容については、事務局によるレポートをどうぞ。

 7月の第1回に続いての参加、今回は20名ほどの参加者が3つのグループに分かれて、カテイカに関して話してみたいテーマについてディスカッションすることになっていた。選ばれたテーマは以下の3つ。

テーマ1「料理に関する罪悪感」の原因を分類
テーマ2 はじめて習うべき料理は何?
テーマ3 夫婦の家事への関わり方のズレについて考える

 そもそも、私がこの活動に参加したいと思ったのは、家事とどう向き合うか、ということが、この16年ほど私がもやもやしてきたテーマだったからだ。
 大学生のときに子どもができて、夫と一緒に生活するようになって、「母」や「妻」という役割が突然自分のものになった。以来、生活に関わる領域の重要性や豊かさに目を開かされながらも、家事をすること、家事を分担することにまつわるさまざまな困難に一通りつまずいてきた。
 だから、3つのテーマはどれも実感を持って語れることのあるものだった。特に1や3については、散々向き合ってきて一家言あるテーマだ。けれど、この日3つのテーマを眺めた私は、1や3をどうにも選ぶ気になれなかった。この前に参加していた場での体験が頭を離れなかったからだ。

 ミーティングの前、「いまの私スタイルを楽しむ会」という場に参加していた。30代後半以降の人を対象にしたグループスタイリングの会で、ファッションに関する参加者のお悩みや望みに沿ったスタイルを探すのが目的だ(企画した舟之川聖子さんによる開催レポートはこちら ※クローズドな会で、かつ今期は全回終了しています)。
 イラストレーターのナカオクミさんがスタイリングをしてくださって、俗に言うアラフォー以上の女性たちが着替えては鏡の前に立つ。年相応とか、とりあえずとか、こうするべきではなくて、似合う服、着たい服を着ていくことで、みんなどんどん表情が明るくなっていく。私自身も、自分では思ってもいなかったシルエットや色が似合うという気づきがあって、鮮烈な驚きと喜びがあった。「着たいものを着ていい」という主体性を取り戻して、なんだかとにかく楽しいのだ。

 新しいなにかを世に問いかけるなら、課題の核心を探求することは当然として、楽しい要素にも光を当てていきたい。スタイリングの会の楽しさを経て、そう思っていた。テーマ1も3も、一通り悩んで取り組んで、私の中で現段階でのとりあえずの答えは出ている。だとすれば、今日は一家言述べるより、新しくて楽しいアイディアを出したいな、そう思ってテーマ2「はじめて習うべき料理は何?」を選んだ。

 実はこの考えは、私が新しいカテイカで考えたいもうひとつのことにもつながっている。
 農業に関わる仕事をしているので、もっと食べることの価値が高まって、そこに割けるお金も時間も多くなると、生産者も消費者も幸せだなと常日頃思っている。それは多くの関係者共通の願いだけれども、アプローチはどうしても社会的背景や個人の内発的動機を踏まえずに「上から目線」になりがちだ。
 「国産の農産物を食べるべき」、「もっと手をかけて料理すべき」・・・現実的じゃない。楽しくない。抵抗少なく取り組めるハードルの低い方法が提案された上で、さらに「おいしい!」とか「おもしろい!」、「嬉しい!」がないと、人の気持ちや行動は変容しないと思うのだ。

 かくしてテーマ2のグループに参加したところ、「息子さんに教えるならどんな料理?」と聞かれて、息子がときどきリクエストしてくる「マシライス」を提案した(マシライス?とちょっとまわりをざわつかせてしまった)。
 よその家の味は苦手だから自分で料理できるようになりたいと口では言うものの、実際にはキュウリを切ったことがある程度の息子(中3)にとって、ハードルが低く、かつ教えたらその後も作ってくれそうなものは、マシライスくらいしか思いつかなかったのである。
 これも含めて、出てきた「はじめて習うべき料理」は、①「抵抗少なく取り組めるハードルの低い方法」で、②「おいしい!」とか「おもしろい!」、「嬉しい!」がある料理だったと思う。①と②の両立が、やっぱり大事なのだ。

 ディスカッション内容の全体シェアでは、今回避けたテーマ1・3についても、納得する議論や新しい気づきがあって、この活動に心動かされた強い動機はやはりここにあると再確認した。
 分担やマネジメントに関して出てきたTipsには、すぐに使えそうなものもあって、ふむふむ、うちでもやってみようかなと考えたり、息子が来春高校に入学したら、マシライスから始まるカテイカレッスンやるかー!とワクワクしたりしながら帰路についた。

 自宅に帰ってから夫に、「いまの私スタイルを楽しむ会」で訪ねたナカオクミさんのご自宅が素敵だったことや、カテイカ・ミーティングのことをテンション高めに話した。うちもがんばりたいねーみたいな話だ。ひととおり聞いてくれた夫、「それもいいけどさ、こことか、こことか、片付けようね」と、積み上がった紙類や小物で雑然とした本棚を指した。

 ・・・ああ、これだよなーと思う。カテイカの「カテイ」は私一人のものではないのだ。
 私は料理が上手でもないけど好きなほうで、毎日朝6時台に起きて息子の弁当を作って3年、夕飯もだいたいの日は料理している。16年の蓄積もあって、自分は家のことをやっている気でいるし、どちらかというと家事全般のマネジメントは私の権限だと思っている。
 しかし、手作り料理にこだわらない夫は、片付けや整理整頓が得意で、彼の家事価値観からすると、片付けられない妻にもうちょっとがんばってほしいのだ。

 こういうすれ違いに、若い頃はずいぶん傷ついたし逆ギレしてきた。この日も、それなりに不機嫌になってしまったと思う。
 でも、私が食事に云々言い、新しいカテイカからなにか見いだそうとするのと同じように、家族メンバーの1人である夫も家のことに対してなんらかの要求があるのは当然なのである。そして要求が根ざしている価値観は家庭内でも違って当たり前だ。異なる価値観や強みをもつメンバーがいるから、我が家の片付けや整頓はかろうじて持ちこたえている。
 このことを忘れて、家庭内で自分だけが家事のことを考え、コントロールしていると思うと過つ。家族というチームのメンバーであるパートナーや子どもがなにを考えているのか、たとえ耳が痛くても聞き合って修正しながら進むしかないし、それでこそチームなんじゃないのか?と考えた。
 私の、ではなくて、私「たち」の、新しくて楽しい「カテイ」カを見出したい。

#食 , #新しいカテイカ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?