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【ピート・インカビリア】アメリカ大学野球史上 最高の長距離打者としてMLBドラフト1巡目で入団 マイナーリーグ経験する事なく開幕4番でメジャーデビューした超エリートは日本で初めて2軍落ちした悲しき大砲

割引あり

おはようございます。
日本にやってきた
お騒がせ助っ人たちの真相に
迫る番外編、今回は
ピート・インカビリアを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=uA2oajBupwk

1964年、アメリカ合衆国カリフォルニア州に
生まれたインカビリアは、
マイナーリーガーだった父親の影響で
野球を始めると、モンテリー高等学校を
卒業した1982年、ドラフト10巡目で
サンフランシスコ・ジャイアンツから指名を
受けましたが進学する道を選びました。

オクラホマ州立大学に進んだ
天性のパワーヒッターは
3年時に48本塁打を放つなど213試合の
出場で通算100本塁打に143打点をマーク、
アメリカ大学野球、史上最高の長距離打者
としてその名を轟かせたのです。

のちに大学野球の殿堂入りを果たすほど、
NCAAの記録を次々と塗り替えていく若者は
メジャー関係者注目の的になり
1985年、MLBドラフト1巡目で
モントリオール・エクスポズから
指名されるも
「カリフォルニア育ちで寒さが苦手だし
英語が通じないカナダのチームには
行きたくない」と入団に難色を示しました。

そこでボビー・バレンタインが監督を
務めていたテキサス・レンジャーズに
移籍させる事を条件に一旦エクスポズと契約、
入団後すぐに若手選手2名とトレードされて
レンジャーズに移ったのです。

この入団劇はMLBでも議論を呼び
「ドラフトで獲得した選手は最低1年が
経過するまでトレードに出してはいけない」
というルールが新たに設けられると
人は、これをピート・インカビリアルールと
呼びました。

移籍先のレンジャーズは、前年途中から
35歳の若さでバレンタインが監督となり
開幕メンバーにルーキー6人を登録したり
22歳の新人ホセ・グズマンを開幕投手に
起用するなど奇策を連発、その流れに乗ってか
大学からプロ入りしたばかりの
ピート・インカビリアを開幕4番で
デビューさせたのです。

その試合を6対3でモノにし、
ボビーマジック発動中のチームは勢いに乗ると
怖いもの知らずのエリートも
最終的に30本塁打を放つ活躍を見せ、
33発をマークしたホセ・カンセコに
新人王は譲ったものの、チームレコードを
記録するなど見事期待に応えました。

185三振を喫するほど
ホームランか三振かの
どちらかしかない魅力ある大砲は
5年連続で20本塁打以上をマークして
テキサスの人気者になりましたが
打率は低空飛行だった事から解雇されると
デトロイト・タイガースへ移籍します。

しかしルーキーイヤーのような輝きは
なかなか戻らず、その後は
ヒューストン・アストロズや
フィラデルフィア・フィリーズと
移籍を繰り返してきましたが
フィリーズではキャリアハイとなる
打率2割7分4厘、24本塁打、89打点と
ワールドシリーズ進出の原動力に
なりました。

翌1994年は再び打撃不振に陥り、
シーズン終了後に解雇されましたが
時期を同じくしてストライキが勃発、
多くの選手が職にあぶれる事態となった頃、
千葉ロッテマリーンズでは
大きな変革期を迎えようとしていたのです。

日本球界初のGM制を導入して広岡氏が就任、
監督にはメジャーで監督経験のある
ボビー・バレンタインを招聘し、
川崎から移転後3年間採用していた
ピンク色のユニフォームもピンストライプに
リニューアルするなど
チーム編成に取り掛かったGMは
「パ・リーグにはいい左投手が多いので
サウスポーに強い右の大砲として
インカビリアはどうか」とバレンタインに
相談しました。

レンジャース時代に穴の多い大砲を解雇していた
指揮官は「彼は高めの速球に弱い」と
難色を示しましたが
多少の欠点には目をつぶって
日本でテストを行うとオーバーフェンスを連発、
さすがマイナー経験なしのメジャーリーガーだと
同期入団のフリオ・フランコとともに
打線の軸として期待をかけて
年俸1億7千万で契約、身長185センチ、
体重106キロのスラッガーは
海を渡って来たのです。

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