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マイク・ディアズという男

割引あり

今回は、マイク・ディアズを取り上げていきます。

1978年、カリフォルニア州テラノバ高等学校を卒業後、
MLBドラフトでシカゴ・カブスから指名を受け入団すると
マイナーリーグで捕手として活躍、3A(スリーエー)のオールスターに
4度選出されました。

1983年、メジャーリーグに初昇格を果たすと
外野手にコンバートされましたが、ほかにも
一塁や三塁も守るなどユーティリティープレイヤーとしての
道を歩みだします。

フィラデルフィア・フィリーズを経由して
ピッツバーグ・パイレーツに移籍した、1986年、87年と
2年連続で2桁本塁打を記録するなど
メジャーリーグに足跡を残した翌1988年。

移籍先のシカゴ・ホワイトソックス退団を機に、
その年のシーズンオフ、
ロッテオリオンズと契約し、海を渡ってきたのです。

来日してすぐ、全米腕相撲大会、野球選手部門で
3年連続優勝するほど
筋肉ムキムキの肉体と、精悍な顔立ちから、映画俳優の
シルベスター・スタローンに似ていると話題になり

スタローンが不死身のベトナム帰還兵を演じた
映画にちなんでランボーの愛称で親しまれました。

1年目から全130試合に出場して、打率3割1厘、
39本塁打、105打点の成績を残すと
オールスターゲームにも選出され、一気にチームの
主軸となります。

翌1990年も3割、30本、100打点を達成、
クリーンナップとして申し分ない働きをしましたが、
2年目のシーズン途中、ひょんなことから自身の野球人生を
変える出来事が起こります。

いつも守備にはつかず、指名打者のディアズでしたが
Bクラスに低迷するチーム事情から何か起爆剤になるものが
欲しいと探していた金田監督は、キャッチャーが
不足しているという状況も相まって
外国人捕手の起用という奇策を発案したのです。

マイナーリーグ以来、マスクをかぶることになった
ディアズに対して、当初は投手陣から配球の組立てが
バラバラで投げにくいなど評判は決して良くありませんでした。

マサカリ投法で通算215勝をあげたチームの大黒柱、
村田兆治とバッテリーを組んだ試合でも初回から
ディアズが出すサインに不機嫌そうな表情をするエース。

呼吸が合わないバッテリーはいきなり被弾して2失点、
悔しさを露わにマウンドを蹴り上げる村田を見て
体はゴツいが心は繊細な助っ人はオロオロしてしまいます。

「もういい、俺が投げたい球を投げる」と2回以降は
サインを無視して、村田は自身の決めた球種を
捕手ディアズに向かって投げ込んだのです。

サインと違う球種に最初はポロポロこぼしながらも
必死に捕球しようとしていたディアズも終盤には
エースと息がぴったりと合っていき、
打撃のほうでも本塁打を放って村田を援護、
見事、勝利を手に入れました。

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