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シャーマン・オバンドーという男

割引あり

1970年、パナマで生まれたオバンドーは
プリネルシクロ・デ・パナマ高校を卒業した1987年、
アマチュアFAでニューヨーク・ヤンキースから
指名され入団すると1993年、
ボルチモア・オリオールズ移籍を
キッカケにメジャー初昇格も果たしましたが
レギュラー定着には至らず
その後はモントリオール・エクスポズや
メキシカンリーグを転々とする日々を
過ごしました。

1999年、日本ハムファイターズはケガにより
長期離脱していたナイジェル・ウィルソンの
穴埋めとして身長2メートル、体重100キロの
巨漢に目をつけて交渉を開始、
シーズン途中の5月に
契約がまとまると海を渡ってきたのです。

5月22日、東京ドームでの
大阪近鉄バファローズ戦、6番レフトで
先発初出場を果たしますが来日初打席は
ゲッツーに終わり
その後も時差ぼけが長引いた影響からか
なかなか1本がでませんでした。

5日後の西武ライオンズ戦、
2回表、相手のエース西口からレフトスタンドへ
ホームランをかっ飛ばしたの皮切りに
徐々に調子を上げていくと
最終的に打率3割6厘、20本塁打、
62打点を記録し、1年目からチームの
主軸となったのです。

迎えた翌2000年は開幕から好調をキープし
打率3割4分3厘、9本塁打、25打点で
4月の月間MVPを獲得、
首位スタートの原動力となりました。

その後は怪我で30試合近く欠場したにも
かかわらず、最終的にイチローに次ぐ
パ・リーグ2位の
打率3割3分2厘、30本塁打、101打点と
3割30本100打点をクリアし
ベストナインに選出されたばかりか
オールスターゲーム出場や
長打率リーグ1位にも輝きます。

3年目の2001年は開幕3戦目に自打球を
左足に当て骨折したかと思えば
8月には
腰椎椎間板症(ようついついかんばんしょう)
を発症し、わずか52試合の出場に
留まりました。

復活を期した4年目の2002年は
自己最多の118試合に出場、
26本塁打、68打点を記録しましたが、
ヒット116本、打率は2割6分3厘と
膝の怪我の影響で本来の力を出し切れず
この年限りで日本ハムを退団すると
フロリダ・マーリンズに所属していた右の長距離砲
ケビン・ミラーと2年総額660万ドルで契約していた
中日ドラゴンズが、紳士協定を無視した
レッドソックスにミラーを突然横取りされる
ケビン・ミラー問題のあおりを受けて
助っ人を探していた事から
アレックス・オチョアとともに
候補にあがりましたが、
「もう日本には戻りたくない」と断りをいれ
メキシカンリーグでのプレーを選択したのです。

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