フリオ・フランコという男
1958年、ドミニカ共和国で生まれたフランコは
高校を卒業した1978年、
フィラデルフィア・フィリーズに入団すると
3年間のマイナー生活を経てメジャーに昇格、
通算4256安打の記録を持つ
ピート・ローズとチームメイトとなります。
1983年のクリーブランド・インディアンス移籍を
きっかけに遊撃手として
レギュラーの座を掴むと、迎えた1988年、
各ポジションで最も打撃に
優れていた選手が選ばれる
シルバースラッガー賞を受賞しました。
翌1989年にボビー・バレンタイン監督率いる
テキサス・レンジャーズに移籍してからも
3番打者として
2年連続のシルバースラッガー賞のほか
4年連続3割超えやオールスターMVPを獲得、
さらには1991年は打率3割4分1厘で
首位打者にも輝いたのです。
その全盛期に日米野球で来日した
フランコは西武の秋山や清原のプレーを
目の当たりにし
「日本にもメジャーですぐプレーできる
選手がいるじゃないか。このチームで
いつか俺もやってみたい」と
ひそかに西武入りも希望したそうです。
1995年、MLBの選手会とオーナーの間で
ストライキが勃発、試合ができない状況が
続いていた事から、多くのメジャーリーガーが
出場機会を求めて海外に居場所を
求めはじめると、その年、
千葉ロッテマリーンズの
監督に就任したバレンタインの誘いを受けました。
違う環境で野球をしながら
視野を広げたいと思っていた
メジャーの首位打者は、
この誘いを承諾、球団史上最高額の
年俸3億円で契約し海を渡ってきたのでした。
前年までシカゴ・ホワイトソックスで
打率3割1分9厘、20本塁打、98打点の成績を
残していた現役バリバリのメジャー・リーガーが
見せる野球への真摯な姿勢に
多くのマリーンズナインが感銘を受け、
日常生活や
練習態度まで参考にしていきます。
自分にとって球場は会社、
一般的なサラリーマンの生活スタイルに入り込む事は
日本の習慣や言葉に慣れる最大の近道だと
球団が用意したハイヤーを断り、
何百着も持っているオシャレなスーツを
身にまとうと毎日電車で通勤したのです。
そして誰よりも早く球場入りするや
ウエート・トレーニングや
ケガ防止のための入念なストレッチを欠かさず
年齢を感じさせない身長185cm、体重95kgの
アスリートは不老の肉体を維持していました。
食事に対する意識も非常に高く、
日本人選手が夜に飲み歩き、
締めにラーメンを食べ、翌日の
試合前はロッカールームで喫煙している
姿に苦言を呈すほど。
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