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ディンゴという男

割引あり

1969年、オーストラリアは
クイーンズランド州ブリスベンに生まれた
本名デビッド・ウェイン・ニルソンは、
ケドロン高等学校を卒業した1987年、
ミルウォーキー・ブルワーズと契約すると
1992年にメジャーデビューを飾りました。

大型捕手としてレギュラーに定着し
打率2割7分以上をコンスタントに残して
迎えた1996年、
打率3割3分1厘、17本塁打、84打点を
マークしてトッププレイヤーの
仲間入りを果たすと
1999年には野茂英雄とバッテリーを組んだのです。

この年、オーストラリア出身の選手として
初めてオールスターゲームに選出された左打者は、
インターコンチネンタルカップに
母国を代表して出場すると
4番に座ってMVPを獲得、
シーズンの方では
打率3割9厘、21本塁打、62打点の成績を
残しました。

翌年も変わらぬ活躍を期待された
オージーでしたが、2000年は
オリンピックイヤーでもあり、
自国で開催されるシドニー五輪に
オーストラリアを代表して出場する事が
夢だった大砲は
規定により出場出来ないMLBから
他国への移籍を希望したのです。

ちょうどその頃、リーグトップの防御率を誇る
投手陣を擁して11年ぶりにセ・リーグを
制した中日ドラゴンズは
山崎(やまさき)の離脱により
日本シリーズに敗退、
広いナゴヤドームを苦にしないゴメス、
山崎に次ぐ大砲を探していました。

前年MLBで3割20本以上の大砲が宙に浮いている
事を知った中日は
シドニー五輪の出場を認める形で契約を
持ちかけると、無所属のままオリンピックを
待つしかないと思っていた
現役バリバリのメジャーリーガーはすぐに快諾、
身長191センチ、体重105キロの
助っ人は海を渡って来たのです。

出身地オーストラリアに生息する野犬
「ディンゴ」のニックネームで
登録された助っ人は
自身が紹介して一緒に
入団させたダン・カールソンとともに
来日すると
「五輪でチームを離れるまで
打ちまくるよ」と
威勢のいい言葉を発しましたが
一部の関係者は
「シドニー五輪に出たいだけでやる気は無い、
それまで怪我しないように手を抜くよ」と
活躍に疑問を投げかけました。

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