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メジャーリーグで有色人種が活躍する扉を開いた偉大なスーパーヒーロー ジャッキー・ロビンソン 田中もイチローも松井もボンズもチェンも全て貴方がいたからです

おはようございます。今日、取り上げるのは、

メジャー史上初の黒人プレーヤー
ジャッキー・ロビンソンです。

https://www.youtube.com/watch?v=92rONCDFT7k&t=41s

1890年以降、有色人種排除の方針が確立されていた
メジャーリーグで、有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた
偉大な選手です。

ドジャースのブランチリッキーGMが、チームの戦力向上を図るため
黒人選手に目を付けました。

第二次世界大戦で黒人たちが勇敢に戦ったことで
メジャーリーグでも黒人選手に対する感情が
少しづつですが変わり始めていました。

ただ、ブランチリッキーはまだ黒人プレーヤーと契約し
プレーさせるには、選手としての能力はもちろんですが
精神的な部分で優れた選手ではないといけないと探していました。

それは、黒人ということで、嫌がらせを受けたり
差別用語を言われたりすることは間違いない、

ただそこで、カッとなって乱闘騒ぎを起こせば
黒人選手は二度とメジャーリーグでプレーする機会を失うだろう。
と考えていました。

白羽の矢を立てたロビンソンと契約の際、最後のテストとして
リッキーは、わざと罵詈雑言をロビンソンに浴びせましたが、
ロビンソンは反撃することはありませんでした。

リッキーがロビンソンに伝えました。

「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。
その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、
立派な紳士でなければならない。
仕返しをしない勇気を持つんだ」と。

メジャーリーグのオーナー会議ではドジャースを除く全15球団が
ロビンソンがメジャーでプレイすることに反対しており、
フィリーズとカージナルスはロビンソンが出場するなら対戦を
拒否すると通告しました。

しかしコミッショナーやリーグ会長は対戦を拒否したら
出場停止処分を課すと発表し、沈静化をはかりました。

またドジャースのチーム内にもロビンソンとプレイするのを
嫌がる選手もいましたが、

監督のレオ・ドローチャーは
「自分は選手の肌が黄色であろうと黒であろうと構わない。
自分はこのチームの監督である。優秀な選手であれば使う。
もし自分に反対する者がいたら、チームを出て行ってほしい」と
語りました。

ロビンソンも期待にこたえ、野次や嫌がらせ、
時には殺害予告も受けましたが
ひたすら耐え続け、黙々とプレーを続け、
メジャー1年目からリーグ最多の29盗塁、打率.2割9分7厘の好成績を残し、
新人王に輝きました。

1955年にはワールドシリーズでニューヨーク・ヤンキースを破り、
球団史上初のワールドチャンピオンの一員となりましたが

1956年シーズン終了後、ジャイアンツへの移籍話が持ち上がると
「ドジャースにいられないならば」と、あっさり現役を引退したのでした。

引退後は、糖尿病により視力が落ち、また関節炎にも苦しみ、
永久欠番の式典に出席した時には杖なしで歩けず、右目は
失明した状態でした。

1972年、ワールドシリーズ第2戦の始球式に登場したのが
最後の雄姿となり、その9日後、自宅で静かにその生涯を閉じました。

いまでもメジャーリーグでは、
人種の壁を打ち破ったジャッキー・ロビンソン選手の
功績をたたえ、周囲の反対を押し切ってロビンソン選手と契約した
ドジャースのブランチ・リッキー会長の2人が出会った
8月28日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」として
全選手が全球団共通の永久欠番42をつけて
プレーする日として毎年実施されています。

その勇気と挑戦、忍耐力でメジャーリーグを変え、
世界を変え、黒人選手への扉を開いた
ジャッキー・ロビンソン

いかがでしたでしょうか?

いやー野球って本当に面白いですね!

アイラブベースボール!

ご視聴、ありがとうございました。

これからも頑張って更新していきますので
チャンネル登録よろしくお願いいたしますね!

それではまたお会いしましょう!

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