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イ・スンヨプという男

割引あり

1976年、韓国に生まれたイ・スンヨプは
慶尚北道高校時代、
全国大会で優勝投手になるなど、投打で
その才能を発揮すると1995年、
サムスン・ライオンズに入団しました。

高校時代に痛めていた左ひじが
思うように回復せず
日韓で首位打者に輝いた韓国プロ野球界の
重鎮ペク・インチョンから
「打者の才能を伸ばすべきだ」と助言を受けると
憧れだった王貞治と同じ一本足打法に
取り組んだのです。

すぐに打者としての才能を開花させた
左の大砲は1997年、本塁打王に輝くと
高校時代から付き合っていた
イ・ソンジョンさんと結婚、
「一緒にアメリカへ行こうと
プロポーズされたんです」と彼女が振り返るほど
メジャーリーグへの夢を膨らませていました。

1999年、シーズン54本塁打の韓国記録を
マークしてシドニーオリンピック韓国代表に選ばれた
イ・スンヨプは、球団名から敬意を込めて
ライオンキングの愛称で親しまれると
通算300号を達成した2003年のシーズンオフ、
ついにメジャー挑戦を表明したのです。

「DHのあるア・リーグが希望です、
2年以内にあらゆる面で
日本の松井を超えてみせます」と
自信満々にオファーを待ちましたが
メジャー契約を提示する球団が
現れなかった事から、
2年在籍すれば無条件でメジャー行きを
バックアップすると約束した
千葉ロッテマリーンズに入団を決めると
身長183センチ、体重87キロの助っ人は
海を渡って来たのでした。

2004年シーズン、
ボビー・バレンタイン監督のもと
開幕4番を任された助っ人は
松坂から初打席初安打初打点を
記録するなど出だしは好調でしたが、
次第にインコース高めで身体を起こされてから
外の変化球というパターンに弱点を露呈、
打率2割4分、14本塁打、50打点に終わったのです。

翌2005年は打率2割6分、30本塁打、82打点と
少し向上したものの、
選手のオーダーを複数パターン用意し
先発投手によってスタメンを入れ替える
プラトーン・システムを採用していた
ボビー・バレンタイン監督の起用法に
不満を持っていた事から
この年限りで自由契約となりました。

2006年、予定通りメジャーの道を模索して
いましたが、突如、読売ジャイアンツと
年俸2億1000万円で契約したイ・スンヨプは
「子供の頃から憧れていたチームに
入団できて光栄です」と語り、
開幕戦から4番に座ると
挨拶代わりに本塁打を放ったほか、
8月には日韓通算400本塁打を達成するなど
最終的に
143試合に出場して打率3割2分3厘、41本塁打、
108打点の好成績を残したのです。

シーズン終了後、再びメジャー移籍を目指すと
思われましたが、巨人の熱心な説得もあり、
契約金30億円、年俸6億円の4年契約という
破格の条件で残留を決めた助っ人は
左膝や左肩を故障した影響から
打率2割7分4厘、30本塁打、74打点と
前年を下回る成績ながらリーグ優勝に
貢献しました。

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