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ユニエスキー・ベタンコートという男

割引あり

1982年、キューバ共和国ビジャ・クララ州で
生まれたベタンコートは、国技として多くの国民に
親しまれていた野球を幼い頃から始めると
2000年の夏、世界野球選手権大会に
ジュニアナショナルチームの
正遊撃手として出場、
打率5割2分3厘の成績を残しました。

所属していたキューバ国内リーグでは
スター選手であったエドゥアルド・パレが
不動のショートとして同じチームに
在籍していたことから
セカンドにコンバートされ、野球を
続けていましたが
「キューバは、みんなその日暮らしさ。
その瞬間を生きる事に精一杯。
中長期的な視点で夢見る事はおろか、
明日の事すら考える時間がなかったね」と
振り返るほど、キューバの生活は厳しく、
2003年12月4日、仲間と共にボートで
アメリカ合衆国へ密入国を企てます。

ロサンゼルスを経由してメキシコに入国、
不正に入手したパスポートを使って
再度アメリカ合衆国に入り直すという手順で
亡命を果たすと、フリーエージェントを宣言して
MLB複数球団と交渉の席についた
2005年1月25日、シアトル・マリナーズと
4年総額282万6000ドルの契約を結びました。

マイナーリーグで着実に力をつけて
オールスター・フューチャーズゲームの
世界選抜に選ばれると
7月28日のクリーブランド・インディアンス戦で
メジャーリーガーとなり60試合に出場、
打率2割5分6厘、1本塁打、15打点で
シーズンを終えます。

2006年以降はマリナーズの正遊撃手として
二塁を守っていたホセ・ロペスと若手コンビを
形成し、強打と強肩を活かした守備で
チームの中心選手として活躍、特に同僚となった
イチローとは仲がよく
「何度も寿司屋に連れていってもらった」
と振り返るほどでした。

どんな状況でもお構いなしに
早いカウントから振っていく粗い打撃で
毎年、打率は2割8分前後に対して
出塁率は3割程度、1打席あたりの
球数は
過去3年平均が3.20という早打ちに
2008年シーズン終了後に就任した
ドン・ワカマツ監督から
「打席内で落ち着きがない。打者として才能が
あるだけに新しいスタイルを教えるのが
我々の責任でもある」と
打撃スタイル矯正に乗り出す意向を表明します。

迎えた2009年シーズンも
正遊撃手として前半戦63試合に出場しましたが
打率2割5分、出塁率2割7分8厘と過去最低の数字に
終わり、課題とされていた早打ちも特に改善が
見られ無かった事から
7月10日、カンザスシティ・ロイヤルズへ
移籍する事になりました。

ロイヤルズは正遊撃手のマイク・アビレスが
故障で復帰の見通しが立たず
傘下のマイナーリーグにもめぼしい選手が
いなかったためにベタンコートに
レギュラーでの活躍を期待、71試合に出場します。

翌2010年は4月5日の開幕戦から7番ショートとして
先発出場すると、2回裏の第1打席で
デトロイト・タイガース、ジャスティン・バーランダーから
2点本塁打を放つなど、シーズン通して151試合に出場、
3本の満塁ホームランを含むチーム最多の
16本塁打に78打点とキャリアハイの成績を残しました。

ミルウォーキー・ブルワーズへ移籍して
迎えた2011年も正遊撃手としてレギュラーに定着、
ワイルドカード進出に貢献すると、
その年のシーズンオフ、1年200万ドルで
再びロイヤルズに復帰します。

マイナー生活を挟んだ2013年、今度は、
2年ぶりにミルウォーキー・ブルワーズに復帰して
137試合に出場、13本塁打、46打点の
成績をあげていた32歳に
イ・デホ、バルディリスの代わりとなる中軸を
探していたオリックスからオファーが届きました。

MLBで実働9年、通算1000安打を達成している
俊足の中距離打者はアメリカの市民権獲得間近の
2014年1月29日、年俸1億円で契約して
海を渡ってきたのです。

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