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R.J.レイノルズという男

割引あり

1959年、アメリカ合衆国カリフォルニア州で生まれた
ロバート・ジェームズ・レイノルズは
サクラメント市立大学を卒業した1980年、
MLBドラフト2巡目でロサンゼルス・ドジャースから
指名を受け入団すると
3年後にはメジャー初昇格を果たします。

1985年のシーズン途中、
ピッツバーグ・パイレーツへの移籍を
キッカケに才能が開花、打率3割8厘、
移籍前の成績と合わせても
シーズン通して打率2割8分2厘と
レギュラーポジションを獲得する
好成績を上げました。

ちょうどこの年、MLBドラフト1巡目で入団してきた
期待の新星バリー・ボンズと
同僚となり、翌年から
パイレーツ外野陣の一角を形成、
高い守備力を有した俊足のスイッチヒッターとして
数年にわたり、レギュラーまたは
スーパーサブ的な役割を果たしていきます。

バリー・ボンズが打率3割、30本塁打、
50盗塁を達成しMVPを獲得した1990年、
ともにナ・リーグ東地区を制したレイノルズも
95試合に出場して打率2割8分8厘、
12盗塁と好調を維持していた事から
シーズンオフに開催された日米野球に
全米オールスターチームの一員として選抜されました。

この年、阪神タイガースからMLBに復帰して
本塁打王と打点王の二冠に輝いた
セシル・フィルダーや
剛腕ランディ・ジョンソン、
MVP男バリー・ボンズにグリフィー親子、
さらにアロマー兄弟など
超がつくスーパースター揃いのチームの
一員として来日し
12打数4安打を放ったメジャー通算109盗塁の
俊足外野手はすぐに
日本の首脳陣の目に留まります。

アメリカに比べて日本は指導者育成の場が
少な過ぎるという想いから、
メジャーの球団経営者を招いて勉強会を開催し
今回の日米野球にも大きく関わっていた
広岡達朗氏(ひろおかたつろうし)は
早稲田大学時代の後輩で横浜大洋ホエールズの
ヘッドコーチをしていた
江尻亮氏(えじりあきらし)にレイノルズ獲得を
提案しました。

すぐに横浜のスカウト牛込氏に相談したところ
須藤監督はマイヤーに代わる長距離砲を
望んでいるからと一度は難色を示しましたが、
レイノルズ自身が
フリーエージェント権を行使したものの
パイレーツと残留交渉がまとまらず、
手を挙げたカブスからの条件提示も
自身の希望とは開きがあり
頭を悩ませている事を知った横浜は
一転、獲得に動き出します。

カブスの金額を上回る
球団史上最高額の1億6900万円を提示すると
電撃入団が決まり身長183センチ、
体重82キロの現役バリバリの大リーガーは
海を渡ってきたのでした。

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