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川上 憲伸という男

割引あり

今回は、川上 憲伸(かわかみ けんしん)さんを取り上げていきます。

徳島商業高校(とくしましょうぎょうこうこう)時代に4番・エースとして甲子園に出場、
チームをベスト8に導きます。初戦の久慈商戦(くじしょうせん)でセンター頭上を
越える二塁打を放つなど、ピッチング以上にバッティングが
注目されていました。
ここぞという時には必ず打っていたという打撃の才能に加え、
フィールディングも良かったため、ショートやサードでも
プロでやれたと言われています。

実際に高校1年までショートを守っていて
プロ入り後も2年連続ゴールデングラブ賞を受賞した
フィールディングは定評がありましたが、
上級生に力のあるピッチャーがいなかったことから、
当時の監督が転向させたことで投手としての野球人生を
歩むことになったのでした。

進学した明治大学でも、2年春からエースになり、
通算28勝をあげました。特に慶應義塾大学の高橋由伸(たかはし よしのぶ)とは
同期のライバルとして好勝負を繰り広げ、
高橋が打席に入ると、目の色が変わり、普段あまり使わない
フォークを投げていたそうです。
東京六大学野球秋季リーグでもキャプテンとして
全勝優勝に貢献しました。

ちょうどその頃、中日ドラゴンズ監督、星野仙一(ほしの せんいち)が、
優勝するためには柱になるピッチャーがいる、と探していたところ、
明大の後輩でもある川上に白羽の矢が立ち、
逆指名のドラフト1位で、中日ドラゴンズに入団し、プロ野球選手としての
第一歩を踏み出します。

川上はその期待に見事にこたえ、
1年目の開幕から先発ローテーションに定着、
14勝6敗という好成績を残し、
高橋由伸(たかはし よしのぶ)、小林幹英(こばやし かんえい)、坪井智哉(つぼい ともちか)らをおさえて
新人王に選ばれました。

2002年8月1日の読売ジャイアンツ戦では、
21世紀初のノーヒットノーランを達成、

2004年には、リーグ最優秀選手、沢村賞、最多勝など
9つのタイトルを総なめにしてチームのリーグ優勝に
貢献したのでした。

翌年も千葉ロッテマリーンズ戦で、8回途中まで完全試合ペース、
終わってみれば被安打1、スタメン全員から三振を奪って
無四球完投勝利をあげると

2006年も同じくロッテ戦で、9回まで
ノーヒットノーランペースと好投、
シーズン通算17勝を挙げて、自身2度目の最多勝に、
自身初の最多奪三振のタイトルを獲得するなど
球界を代表する投手となりました。

2007年には、通算100勝、さらにチームは
53年ぶりの日本一になり、ついに日本球界の
頂点に立ったのでした。

メジャーが世界最高峰だとは思ってないです。
むしろ日本の方が勝っている部分があります。
足技、クイック、けん制、メジャーが嫌がる野球を
日本はできるけど、日本が嫌がる野球はメジャーにはできません。

だから僕の中では日本とメジャーはトントンです。
僕は投手として日本で極めたいんです。
どの時点で「極めた」と思えるのか分かりませんが、
メジャー行きを考えるのはそれからです。

と、語っていた川上にとって日本一の
次のステージとして
メジャーリーグ挑戦は自然なことでした。

ダン・エバンスを代理人として
海外FA権を行使、アトランタ・ブレーブスと3年契約を
結んで海を渡ります。

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