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デーブ・キングマンという男

割引あり

1948年、アメリカはオレゴン州に生まれ、
高校時代はバスケ、アメフト、野球を
掛け持ちしただけでなく
野手と投手の二刀流として
1967年の高校野球大会で2安打完封と
1試合4本塁打を同時に記録すると
MLBドラフト2巡目で投手として
カリフォルニア・エンゼルス
に指名されました。

しかし当時としては破格の契約金5万ドルの
オファーを拒否、さらに翌年のドラフトでも
1巡目でボルティモア・オリオールズに
指名されましたがそれも拒否して
短期大学から南カリフォルニア大学に
進学すると、大学1年目の1969年、
投手として防御率1.38、11勝4敗、
打者としては4本塁打を記録します。

大学2年目からは投手をやめて外野手に
コンバートされ、打者に専念する環境を
整えた事から全米代表にも選出、
打率3割5分5厘、長打率7割、9本塁打で
カレッジワールドシリーズ優勝にも
貢献しました。

すると、その年の2次ドラフト1巡目で
サンフランシスコ・ジャイアンツから
指名を受けると入団し、即戦力との期待通り、
2Aで15本塁打、3Aで26本塁打を放つと
マイナー経験わずか1年の
1971年7月30日、メジャーデビューを果たします。

その翌日には
メジャー初本塁打となる満塁本塁打を放つと
打率2割7分8厘、6本塁打を記録、チームの
地区優勝に貢献すると
1975年、金銭トレードで
ニューヨーク・メッツに移籍した
1年目から36本塁打、88打点と大活躍、
翌1976年はオールスターゲームに
選出されるほどの打撃を見せつけ、
シーズン通して37本塁打に86打点と変わらぬ
好成績を残したのです。

3年目の1977年は1年で3度の移籍をする
という他に類を見ない珍しい年となります。

6月のサンディエゴ・パドレス移籍を皮切りに
9月6日にカリフォルニア・エンゼルス、
9月15日にニューヨーク・ヤンキースと
1シーズン4球団でプレーしたばかりか
FA権を取得した11月30日には5球団目の
シカゴ・カブスと契約しました。

1978年5月14日、対ドジャース戦で4番として
決勝3ランを含む3本塁打の大暴れを見せ、
敵将のラソーダ監督は
怒りのあまり「あの野郎」とFワードを連発して
悔しがったのでした。

移籍2年目の1979年は開幕から絶好調、
打率2割8分8厘、
48本塁打、115打点で本塁打王となっただけでなく
なんと、ア・リーグとナ・リーグの
オールスター戦を日本で開催しようという
試みが実行されて
ナ・リーグ、ホームラン王の
デーブ・キングマンも来日を果たします。

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