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【福留孝介】小さな体で本塁打を放つ立浪の背中を追ってプロ入り 球界を代表するスラッガーに成長するとMLBに挑戦しデビュー戦で衝撃を与え 最後も指揮官となった立浪のもとで有終の美を飾ったクラッチヒッター

割引あり

おはようございます。
世界で戦うために海を渡ったサムライたち。
今回は福留孝介(ふくどめこうすけ)さんを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=HMPRc8ol1t0

1977年、鹿児島県に生まれた福留は
小学3年生の時にソフトボールチームに入ると
右手の力が強すぎて打球が全てレフト方向に
ファウルになってしまう事から左打ちに転向、
6年時に全国大会出場を果たしました。

中学に上がるとプロ野球選手になるという
明確な目標を掲げて硬式球を使用していた
ボーイズリーグに入部し、全国制覇を
成し遂げたのです。

小さな体でホームランをかっ飛ばす立浪に
憧れていた少年時代、
地元に近い宮崎県で春季キャンプを張っていた
中日ドラゴンズの練習を見に行った福留は
立浪からバットとサインをプレゼントされると
さらにその憧れを強くした事から
地元の有力高校の誘いを全て断り
立浪の母校、PL学園に進学しました。

1年の秋から4番に座り、甲子園出場や
アジア野球選手権大会の日本代表に選出されるなど
高校No.1スラッガーとして注目されると
NPBドラフト会議では高校の先輩、
清原の6球団競合を上回る
7球団から1位指名を受けたのです。

抽選の結果、佐々木監督率いる近鉄バファローズが
交渉権を獲得しましたが、
「希望する中日、巨人以外なら
社会人野球へ進みます」との言葉通り、
入団を辞退して日本生命に入社しました。

1996年、入社1年目からチームの中心打者となり
アトランタオリンピック日本代表に
選出されると銀メダルを獲得、
公式戦以外ではプロ入りに備えて
木製のバットを使用していたというスラッガーは
「憧れの立浪さんがいる中日に入りたい」と
1998年のドラフト会議にドラゴンズを逆指名して
夢を叶えたのです。

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