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バンプ・ウィルスという男

割引あり

1952年、アメリカ合衆国ワシントンに生まれた
本名、エリオット・テイラー・ウィリスは
「母親のお腹にいた時から足を動かして
中から蹴りまくっていたらしいし
生まれてからも周りのものを
蹴り倒して何でも壊すようなベビーだったんだ。
だからバンピーとかバンプって
呼ばれたのさ」とヤンチャな幼少期を過ごしました。

父親のモーリー・ウィルスは
ロサンゼルス・ドジャースの内野手として
1960年から6年連続で盗塁王を獲得し
近代野球では初めて100盗塁を超え、
タイ・カッブが樹立した96盗塁を
遥かに凌ぐ
104盗塁を記録した伝説の盗塁王だったのです。

そんな父親譲りの快足を引き継いだバンプも
アリゾナ州立大学で名を馳せると、
1975年の二次ドラフト1巡目で
テキサス・レンジャーズから指名を受けて入団、
メジャー昇格を果たした1977年には
新人ながら152試合に出場して
打率2割8分7厘、62打点、28盗塁をマークしました。

その後も球界きっての変わり者と言われた
トビー・ハラーとともにメジャー史上初の
二者連続ランニングホームランや
自己最多の52盗塁を記録、
1980年には父モーリー・ウィルスが監督を務める
シアトル・マリナーズと対戦するなど
レンジャーズのレギュラー二塁手として
躍動したのです。

しかし1982年、シカゴ・カブスに移籍して
128試合に出場しましたが、
のちにアメリカ野球殿堂入りを果たす
名セカンド、ライン・サンドバーグの壁に
阻まれると、次第にチームの構想から
外れていきました。

その情報を聞きつけた阪急ブレーブスは
父親のモーリー・ウィルスが
臨時コーチだった縁も手伝って
6シーズンで196盗塁の韋駄天に
白羽の矢を立てて交渉を開始、
年俸1億円の4年契約で契約した
身長175センチ、体重80キロの
スイッチヒッターは海を渡って来たのです。

同期入団の大男ブーマー・ウエルズと
ウィルスが似ているからと
ニックネームのバンプで登録された助っ人は
1番福本との俊足コンビとして活躍を
期待されましたが
フリーバッティングで160メートル弾を連発する
ブーマーの元にメディアは群がり、
聞かれる事はブーマーの事ばかりだと
不満を口にするようになりました。

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